羽花山人日記

徒然なるままに

散歩

2022-10-30 19:47:42 | 日記

小    散   歩

カミさんの足慣らしを兼ねて,裏の小さな公園まで,往復500mの散歩をしてきた。有志の方々が育てている花々が迎えてくれた。

 

残念天皇賞

テレビの画面を撮影

逃がした魚は,いつもそう思うが,大きかった。逃げ馬の3番パンサラッサの予想外の粘りに,野望は砕かれた。本命馬イクイノックスは,今春2着続きの鬱憤を見事に晴らした。雪辱はジャパンカップで。

 

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80歳の壁

2022-10-29 18:50:11 | 日記

80歳の壁

今日の朝日新聞be』に,精神科医にして小説家の和田秀樹さん(62歳)へのインタビュー記事が載っていた。この方の書いた標記の本が,売れに売れてミリオンセラーに届きそうだという。

和田さんは,小学校時代は障害児で,灘高校に劣等生として入り,一念発起して東大の理科Ⅲ類に現役で合格し,その経験を書いた本がベストセラーになり,医者になったときは,自分のミスで殺す率が一番低いからと,余り感心しない理由で精神科を選び,自分が診ていた高齢の患者が自殺したのを契機に,老年医学に本気で取り組んできた。

では,それ以前は本気ではなかったのかと,どうもこの方のおっしゃることは,上げ足をとりたくなる。しかし,著書が約800冊あるということで,異能の持ち主ではあろう。

記事の後半にある彼自身の健康管理を読むと,「医者の不養生」を地で行っている感がある。

運転を止めた人は運転を続けている人に比べて,要介護のリスクが2倍だからと,和田さんは高齢者の免許返上に異を唱えているが,これは本末転倒で,わたしには要介護のリスクが高いような人は運転を止めていると見る方が腑に落ちる。

わたしは”How to”ものに偏見を持っていて,読書の幅を狭くしているが,そのせいもあってか,和田さんのご著書は一冊も読んでない。それに,「80歳の壁」はとうに通り抜けているので,この本を読む必要はなさそうだ。

ひるがえって,自分のことを考えると,67歳の現役終了から現在の80歳台の後半まで,加齢に伴うメンタルな問題を感じたことが無い。それは何故だろうと自問してみると;

現象的にみると,退屈する時間がなかったと思う。その原因は,好奇心と言えば聞こえがいいが,要するにあれこれと気が多かったということではないだろうか。

現役時代は,やはりあれこれと興味本位で手を出し,自分の無能さも手伝って碌な成果を残さなかったが,この性癖が高齢期にはプラスに働いたようだ。センスがないと分かっていながら70台で手を出した音楽,パーカッションとコカリナに結構はまって楽しんでいる。手伝いを頼まれた投資会社では,人と人がお金を通してつながる社会を経験し,いろいろと勉強になった。

しかし,何よりもこの間の日々を過ごす上で大きかったのは,友達の存在である。古くからの,そして新しく知り合った多くの友と,本音を飾らずにつきあうことができたのが,心を大きく満たしている。

80歳の壁は無事通り抜けた。次は90歳の壁だが,フィジカルにはどうなるか分からないにしても,メンタルには通り抜けるつもりでいることにする。

 

買い物の途中で

買い物の途中にあるお宅の庭の菊が満開になった。秋が深まっている。

(10月29日撮影)

 

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母子手帳

2022-10-27 16:48:37 | 日記

母  子  手  帳

今日の朝日新聞に母子手帳の話題が出ていた。

正しくは,母子健康手帳というのだそうだ。カミさんが交付されたのを,ろくに見ていないので,このことは初めて知った。妊娠を自治体に届け出るともらえるとのこと。

厚生労働省では10年に1回,母子健康手帳の内容などについて有識者の意見を聞いて見直すことをしていて,今年がそれにあたる。

先ず,手帖の名称が問題になったとのこと。つまり,妊娠から育児まで父親も関わるのだから,名称を変えた方が良いということで,10年くらい前から問題になっていたらしい。自治体によっては,愛知県小牧市のように「親子健康手帳」を併記しているところもある。

厚労省では結局,名称は変更しない方針にしたらしい。理由は,母子健康手帳は名称が国民に定着していて,妊娠と出産のリスクを負うのは母親と赤ちゃんだからとのこと。ただし,親子健康手帳の併記は認めるのを落としどころにするらしい。

記事の中にも書かれていたが,わたしには親子健康手帳の名称の方が時代に合ってすっきりするような気がする。とはいえ,その名称にふさわしいことをしてきたかと言われると,大変具合が悪い。

カミさんに,母子健康手帳はどうしたと訊ねたら,予防注射の接種のような大事な記録があるので,それぞれの子どもたちに,大切にするようにと渡してあるとのことであった。そのことも,全然知らなかった。

 

公民館の花

いつもコカリナサークルで利用する,土浦市三中地区公民館の玄関わきには,ボランティアの方々が丹精込めた鉢植えの花が咲き誇っている。

クレマチス

ゼラニウム

フウセントウワタ

ノキア

 

追 悼 演 説

10月25日に行われた,衆院本会議での野田佳彦元首相による安倍晋三元首相への追悼演説をテレビで見た。演説が終わった時,思わず拍手をしていた。感動に理屈は要らない。すばらしかった。

 

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相沢病院

2022-10-25 18:54:20 | 日記

  相  沢  病  院

女子スピードスケートの小平奈緒選手が,過日行われた全日本距離別選手権の500m優勝を花道に,引退した。

小平選手は長野県茅野市の出身。伊那西高校から信州大学教育学部に進学した。大学では,卒業に必要な科目はすべて履修し,単位を取得して卒業したという。そんな話を聞くと,なんとなくうれしくなる。

テレビで見た彼女のレースの中で一番印象に残っているのが,2016年の平昌オリンピックでの500mのレースである。五輪新記録で滑り終えた小平選手は,唇に指をそえて観衆のどよめきをしずめ,つぎに滑るライバルの李相花選手を気遣った。

小平に及ばず2位に終わった李選手を,小平はリンク上で抱きしめた。その時彼女は広げた日の丸で李選手を包み込んだ。

見ていたわたしは一瞬ドキッとした。しかしそれは杞憂だった。観衆は二人の健闘をたたえて大きな拍手を送った。

李選手は,韓国のマスコミを通して,小平選手はライバルであると同時に無二の親友であることを,繰り返し述べていた。

二人の友情は,ともすれば日韓の間に生じやすい思惑やこだわりを打ち消したのだ。2019年4月7日、韓国の「2018平昌記念財団」は、小平と李相花に「韓日友情賞」を授与した。

小平選手の所属は「相沢病院」である。

相沢病院は松本市にある私立病院で,地区医療の中核を占めている。わたしは,親戚や知人のお見舞いで何回も行ったことがある。この相沢病院が2009年から小平選手をサポートしている。ネットにそのことについてのデイリースポーツの記事が出ていた。以下それを引用する。

「小平の選手生活を支えた所属の相沢病院の最高経営責任者で、社会医療法人財団慈泉会の相沢孝夫理事長は、ラストレースを見届け「小平さんがこれまでやってきた集大成のレースだったと思う。後半に伸びもあって、本当に感動した」と、目を細めた。

相沢病院は2009年から小平をサポート。当時まだ小平は“無名”の存在だった。長野の拠点を変えず競技を続けたいと希望していた小平だったが、不況もあって所属企業はなかなか決まらず、信州大卒業間近の3月、結城コーチと病院のスタッフとが知り合いだったことや、小平が病院でリハビリを受けていたという縁もあり、相沢病院を頼った。

相沢理事長は「長野の人が長野で五輪を目指したいと言っているのに、どうして長野の企業はできないの。みんなができないなら僕がやるよと」と振り返る。「一流になることは期待していなかった。(周囲からは)広告価値がって言われるけど、相沢病院の名前が出たからって患者さんが来るわけじゃない」。初対面にして小平は、下心なしにその姿勢を支えたいと思える人だった。

ソチ五輪後のオランダへの武者修行も「スタッフの海外留学」という形で支援。小平は「金銭面のサポートがないと無理だった」と感謝する。W杯などの海外遠征へも、できるだけビジネスクラスを利用できるよう支援。17年4月からはサポート役としてソチ五輪代表で栄養士の石沢志穂氏も雇用した。

支援金は年間約1000万円にものぼったが、それでも相沢理事長はかつて「(病院内から)不満もあまり聞かないし、もっと言えば、私がもらっている給料を半分にすればいい」と、語った。これだけ小平が有名になった今も「病院そのものにとってメリットがあると思えない。盛り上がって、一体感があって、仲間意識を持てる。それが重要」。そんな応援を小平は「すごく温かい」と感謝してきた。

現役生活を駆け抜けた小平を、相沢理事長は「2009年に相沢病院を選んでもらったことに心から感謝したい。結果が出るときも出ないときも、自分の目指すスケートに向かい、山と谷を乗り越え、トップアスリートとして活躍したことに、『お疲れさま』と声を掛けたい」と、ねぎらった。」

商業化がはなはだしいスポーツの世界で,相沢理事長と小平選手の関係は一服の清涼剤である。

相沢病院と言えば,わたしは医師にして小説家の夏川草介を思い出す。彼は相沢病院に勤務していた。

彼の出世作「神さまのカルテ」は,松本市の本庄病院という救急外来のある私立病院を舞台として,そこに勤務する栗原一止医師を主人公とする小説である。

故郷の松本市の町名や施設が出てくるので懐かしく,軽妙なタッチに誘われて,わたしは多分シリーズのほとんどを読んだのではないだろうか。

舞台となった本庄病院は,著者が勤めていた相沢病院から着想を得ているのだろう。2019年に出された「勿忘草の咲く町で 安曇野診療記」は,夏川医師が転じた,松本市の農村医療の中核,松本市立波田病院の雰囲気が感じられる。

扱っているテーマは医療現場の抱えている重い問題であるが,それを深刻にせずに,関係者の善意で解決していく軽妙な筆致は見事である。小説には,友人・家族を含めて悪人が登場しない。読み終わると心がほのぼのとする。

以上三題噺ではないが,いずれも心温まる話である。年寄りには,心温まる話が何よりである。

松本城。季節外れですが,2013年4月撮影。

 

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パリは燃えているか(映画)

2022-10-23 19:36:56 | 日記

パリは燃えているか

テレビの画面を撮影

1966年に公開された,ルネ・クレマン監督による米仏合作映画で,2時間53分の超大作である。録画しておいたのを見た。

原作は,ラリー・コリンズ,ドミニク・ラピエールによる,同名のノンフィクションで,志摩隆訳で2005年早川書房から邦訳が出版されている。わたしはこちらを読んだ。

1944年8月のパリ市民蜂起を軸とした,ナチス支配からのパリ解放の過程を描いている。原作にあるエピソードのいくつかは省かれているが,原作にないものも挿入されている。

ドゴールのパリ凱旋のシーンなど,ニュース映画を援用したと思われる画面もあるが,群衆を動員してのロケ場面を多用し,多額の制作費をかけた作品であることを想像させる。

一部にカラーの場面はあるが,黒白映画である。パリロケの際に,公共の建物にハーケンクロイツの旗を掲げることを市当局が許さず,旗の色を変えたのをごまかすためだったという。

仏米のお馴染みのスターたちがちょい役を含めて顔を出し,映画フアンには楽しめる娯楽作品の趣となっている。アラン・ドロン,ジャンポール・ベルモント,カーク・ダグラス,オーソン・ウェルズ,シモーヌ・シニョーレ,レスリー・キャロンetc.数え上げればきりがない。

物語は,1944年8月7日,ヒトラーがコルティッツ将軍をパリ防衛司令官に任じ,パリの死守と,撤退せざるを得ない時にはパリ全市を破壊することを命ずるところから始まる。

一方,パリのレジスタンス陣営は,蜂起を主張する共産党を中核とする自由フランス派のグループと,連合軍の到着を待つべきだとするドゴール派のグループの対立があり,そこへ連合軍はパリを包囲はするが,迂回して進軍するとの情報が届く。

自由フランス派はこのニュースに,パリの労働者にゼネストをうながし,独自に武装蜂起し,警察本部を占拠する。パリの市民もこの戦いに加わる。

スウェーデン領事の仲介によっていったんは休戦が実現するが,レジスタンス陣営内部では蜂起継続と休戦継続の方針の対立があり,多数決の結果一票差で蜂起継続に決まる。

一方,コルティッツ司令官は,パリ市内の主要な建造物への爆弾の敷設を命じ,全市の破壊を準備する。

パリ市民側は,有利に戦いを進めるが,武器弾薬は限られていて,敗北は時間の問題で,パリは全市崩壊の危機にある。

レジスタンス陣営ドゴール派は,パリを包囲している連合軍に密使を派遣し,フランス内地軍司令官,アメリカ軍司令官に直ちにパリに進軍することを要請する。

パリにおける市民の戦いを聞いた連合軍の司令官は,方針を変更してパリ進軍を決定し,市民の歓声の中パリに入場し,8月25日にパリは解放される。

ドイツ軍コルティッツ司令官は,最後にヒトラーの指令を無視し,パリ爆破命令を出さず,連合軍に投降する。

ノートルダム寺院の鐘が,パリに鳴り響く。

コルティッツが机の上に放置した受話器から,「パリは燃えているか?」のヒトラーの絶叫が聞こえる。

わたしがこの映画を見て改めて感じたのは,民衆の力である。レジスタンス内部の対立も,連合軍の逡巡も,民衆の歓呼に象徴される力によって乗り越えられている。軍事力や圧政によって,この力は圧殺できない。

ウクライナのことを想う。プーチンの野望は,達成されるはずがない。

「たゆたえども沈まず」パリ市の紋章にある言葉だ。

 

菊の花散る

テレビの画面を撮影

菊花賞,大魚を逸す。17番のところに11番が来ればよかったのに,残念。しかし,

レースは白熱した素晴らしいものだった。今年の3歳馬は強者揃いだ。

 

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ヘラルボニー

2022-10-21 17:00:18 | 日記

ヘラルボニー

昨年の12月11日のブログで,障害者のアートを商品化し,健常者と対等な関係の自立を目指す,ヘラルボニーという会社についての記事を書いた。

今週の『AERA』に,このヘラルボニーの社長と副社長を務める双子の兄弟,松田文登さん,崇弥さん(いずれも31歳)の紹介記事が出ていた。

ヘラルボニーは,二人の障害者の兄の翔太さんが自由帳に書いていた言葉で,格別の意味はない。三人の兄弟は仲良く暮らしていたが,中学生になって翔太さんが差別を受け,それにショックを受けて,二人は外では兄さんのことを隠すようになる。

二人は大学を卒業し社会人になるが,2016年の夏に転機が訪れる。お盆で盛岡に帰省した崇弥さんが,母親に連れられて花巻市の「るんびにい美術館」を訪れ,障碍者のアート作品を見てその素晴らしさに衝撃を受ける。障害者だから支援するというのではなく,純粋なアートとして評価できないかと考える。

崇弥さんは文登さんを呼び出し,「MUKU」というブランドを立ち上げ,るんびにい美術館に作品をネクタイにするという企画を提案し,障害者の作品=安いという概念を覆すために,プリントではなく,シルク織りの最高品質のネクタイを作ることを考える。この困難な織りを引き受けてくれる工房と巡り合い,超高級感のある4種類のネクタイを100本作り,売り歩く。これがマスコミの注目を引き,NHKのドキュメンタリー番組で放映される。

そんな二人に,自分のお腹にいる子供がダウン症だと知った女の人からメールが届く。彼女は生むかどうか迷っていたが,ドキュメンタリーを見て,生む決意をしたという。そして残っていた4本のネクタイを購入してくれる。

二人は,母とその子の人生に関与したことに責任の重さを感じると同時に,小さなプロジェクトでも社会には求めてくれる人がいるということに気づく。

崇弥さんは文登さんに,「自分は会社を辞めるからお前も辞めろ。人生をかけてやりたいことはこれだ」と電話する。そして,2018年に株式会社ヘラルボニーを立ち上げる。最初は数人だったが,現在は社員数30名になるまで成長した。

この会社の業務は,障害者のアート作品を売り込んでいろいろなものに使ってもらうということで,注目を浴びたのが工事現場の板囲いの壁にアート作品を掲出するというプロジェクトだ。鯖の缶詰から高級ホテルのスイートルームまで,障害者のアートは進出し,コカ・コーラ,JR東日本,JAL,丸井などそうそうたる企業とのコラボが実現している。

営業の方針はあくまで作家ファーストで,クライアントの要望でも作家が承諾しなければお断りする。

作家の家族から,「作品がグッズになったときに,初めて息子を誇らしく思った」との手紙をもらったことがある。「ただ支援するのではなく,自尊感情を損なわないように,本人が得意なことで報酬がもらえる仕組みを作ることが重要」と文登さんは言う。

「障害者でなく,一人の作家として社会に認知される景色を作られたことがすごくうれしかった。」「障害は欠落ではないという思想を拡張していきたい」と崇弥さんは言う。

ここまでのサクセスストーリーには,二人の思想と行動力と同時に,幸運もあっただろう。異彩を放つ能力を持った障害者だから,このようなことが実現できた,ということもあるかもしれない。しかし,障害者を憐れみの対象として見るのではなく,対等な個人として付き合うというこの二人の考え方は重要である。

ヘラルボニー頑張れ。

 

夜明け前

自宅ベランダから撮影

 

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買い物

2022-10-19 20:34:48 | 日記

買  い  物

阿見町内にて撮影

主夫業の大事な仕事の一つが買い物である。

大体のものは近くのスーパーマーケットですませている。ドラッグストアが隣接しているので都合がいい。

近くに,スーパーマーケットとドラッグストアが隣接したところがもう一つあるのだが,なぜかそちらには足が向かない。習慣というのは保守的である。

主夫業を始めたころは,おどおどしながら買い物に出かけたが,今はルンルンである。どこに何が置いてあるかは大体理解してきた。セルフレジの支払も店員を煩わすことが無くなった。

月・火がシニア―の5%割引,木・日に買い物をすると10%の割引券がもらえる。というわけで,買い物は火・木・日に決めている。

しかし,この割引というのが曲者で,割引だから買わなければと,つい買い過ぎてしまう。これが敵の狙いであろう。

感心するのは,かなり混んでいても,ショッピングカート同士の衝突を見かけたことが無いことである。狭い場所で向かい合った時は,阿吽の呼吸のように譲りあい,会釈してすれ違う。この謙譲の美徳がスーパーマーケットだけでなく,あらゆる場面で発揮されれば,世の中はずいぶん暮らしやすいだろう。

店内をうろうろと,商品の品定めをしながら歩き回るのは意外に楽しい。自転車に乗れなくなって,買い物の主導権をわたしに奪われた時のカミさんの悔しさが理解できる。

カミさんは,家の中では車椅子を使わないまでに回復しているが,自転車に乗れるようになって,主導権をお返しするまでには,まだしばらくかかるだろう。当分買い物の楽しみを味わうことにする。

 

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やまなし

2022-10-17 19:49:39 | 日記

や ま な し

「やまなし」は宮沢賢治初期の作品で,文庫本で7ページに収まる小品である。小学校の教材などに引用されているので,賢治の作品の中では知名度が高く,人気もある。

「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。」と冒頭にあるように,彼の心をスクリーンとして映される映像を綴った,心象スケッチである。

5月と12月の二つの季節における川底を舞台として,兄弟とその父親の蟹が登場する。

5月の場面では,兄弟の蟹が会話遊びをしている。兄がいう。

「クランポンはわらったよ」

それを受けて弟がいう。

「クランポンはかぷかぷわらったよ」

兄がなぜクランぽんが笑ったのかと問い,弟が分からないと答えてこの会話は終わる。

次の会話で,クランポンは殺されて死んだことになり,やはりなぜそうなのか分からないということで終わる。

これらの会話は青じろい水の底で行われ,差し込む日光が水の動きでゆらめく。上の方を魚がゆったりと光をくちゃくちゃにしながら泳いでいく。魚が戻ってきたとき。青い先のとがったものが飛び込んできて魚を上の方に運び,もう魚は戻ってこない。

兄弟が震えあがっているところへお父さんの蟹が出てきて,それはかわせみで蟹は怖がらなくて大丈夫と教える。

樺の花が沢山流れてきて,その影が砂の上を滑って行く。

12月の場面は,夜である。

大きくなった兄弟蟹は,差し込む月光があまりにもきれいなので,外に出てきて,吐く泡の大きさを競い合っている。

お父さん蟹が出てきて,もう寝るように兄弟に行っている時,大きな丸いものが落ちてきて,浮かび上がる。

「かわせみだ」と怖がる子供たちに,それはやまなしの果実であることをお父さんが教える。

やまなしは月光でかがやく水の中に芳香を漂わせながら流れて行く。その後を追って3匹の蟹とその影法師の合計六つが,砂の上を滑っていく。

やまなしは木の枝にひっかかって止まる。それを食べたがる子供たちに,お父さんは「二日ほど待てば,やまなしはひとりでに沈んできて,いいお酒ができている」と教える。

3匹はそれぞれの巣穴に戻り,波は金剛石の砂をはいているような青じろい焔をゆらゆらとあげている。

幻燈はここで終わる。

この作品は、蟹の視点で書かれている。射し込み揺らぐ光、流れるものの影、浮き上がって行く泡、擬音声をまじえながらの川底から見た「風景」の記述は,読みながら映像を見る気持ちにさせられる。

「やまなし」を童話として、裏腹にある生死の問題、自然の厳しさと豊かさなどの寓意を求めることに異論はないが、わたしはむしろこの小品を、ニ枚の絵画を見るような気持ちで読んでいる。

蟹の会話に出てくる「クランポン」が何かについて議論があるらしい。なぜそんなことを追求するのだろう。わたしは、兄弟が共有する空想上の何かで、賢治が遊び心でそれに名を付けたものと考える。クランポンはいかにも賢治が好きそうな響きだ。それで十分ではないか。

 

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ドップラー効果

2022-10-14 17:25:40 | 日記

ドップラー効果

昨日のブログに,高校同期のB・S君が出てくる小説のことを書いたので,彼の思い出を書き残しておきたい。

B君とは,高校1年の時同じクラスになった。田舎の村立中学で多少天狗だったわたしは,町場の中学から進学してきた秀才連を前にして,たちまち鼻が折れてしまった。

中でもB君は目から鼻に抜ける感じで,特に数学の才能にはいつも目を見張らされた。全く自慢にならないが,一回だけ彼より数学の試験で高い点を取ったことがある。文章題で,ちょっと読んだところ難しそうなので後回しにして,終了時間ぎりぎりで何とか解答に導く連立方程式だけは書くことができた。後日返ってきた答案には,その解答に部分点が与えられていた。近くの席にいたB君がそれを見て,憤然としていた。彼は解答まで解いていたのだが,途中の計算ミスから答えが違っていて,×が付けられていたのだ。

彼は才能の持ち主であると同時に努力家だったが,その努力をあまり見せないようにしていた。昼休みに図書室で,Encyclopedia Britannicaを1ページずつ読んでいたという話はあとで知った。

大学を一緒に受けた時,会場からの帰り道は彼と一緒だった。乗った電車が対向車とすれ違う際に,警笛の音が近づいてくる時は高く大きくなり,遠ざかる時は低く小さくなるのを聞いて,「ドップラー効果」と二人で口に出し,顔を見合わせて笑ったことを覚えている。

車の交通量が少なく,線路も単線という当時の松本では,物理で習った「ドップラー効果」を実際に経験するのは,二人とも初めてだったのだ。

ある意味で,B・S君はわたしにとっての「ドップラー効果」だった。高校に入学した時,大きな存在として目の前にあらわれ,彼に1年遅れて大学に入学したら,卒然として逝ってしまった。

今頃は。この7月に亡くなった,中学時代からの親友にしてライバルのO・K君との再会を喜んでいるのだろうか。

よき友らおほく地下にあり
時に彼らを憶ふ
また一盞をそそぐべし

          (三好達治)

 

男 心 か

久しぶりの秋空。明日はどうなるのやら。自宅のベランダから撮影。

 

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スピリッツ島

2022-10-13 15:53:06 | 日記

スピリッツ島

パソコンのファイルを整理していたら,「スピリッツ島」という名前をつけたPDFのファイルが出てきた。

もう10年以上前に,当時の高校同期生のホームページ『七四会の部屋』を通して,H・S君が紹介してくれた,寺山あきのさんが書かれた短編小説である。原著は,2006年に『文芸雑誌O』38号に発表されて,何かの賞をとったと記憶している。

******************

紗枝という70歳代の女性が,ロッキー山脈のふもとの町を訪れて,近くの山道を散歩していると,大学2年生の時に夭折した弟とよく似た人物に遭遇する。

-さとし?- とつぶやくと,-姉貴を待っていたんだ― と,その人物が答える。

目の前にいるのは,亡くなった時そのままの姿の弟である。姉弟は50年ぶりの再会を喜び,散歩しながら,様々な思い出を語り合い,ホテルで一晩を一緒に過ごす。紗枝以外には,さとしの姿は見えない。

翌日,二人はスピリッツ島という島を散策するツアーに参加する。島に着いて,細い山道をツアー客と一列になって進んでいき,紗枝がふと後ろを振り向くとさとしの姿が見えなくなっていて,いくら探しても見つからない。

1人で帰りの船に乗り,スピリッツ島が死者の魂が帰る島だったことに気づく。宿に着いてクローゼットに置いた袋を探してみると,さとしが脱ぎ捨てた衣服は消えていた。しかし,おみやげだと渡してくれた松ぼっくりは残っていた。

紗枝は,松ぼっくりを握りしめ,-愉しかったよ― とさとしに呼びかけながら,旅を続ける。

******************

珠玉のような,大人のメルヘンである。

この小説の主人公のさとしは, わたしの高校同期生のB・S君をモデルにしている。そして,作者の寺山あきのさんは,B・S君の姉君である。つまり紗枝はあきのさんの分身ということになる。B・S君は,東京大学教養学部理科Ⅰ類2年生の時に,腎臓病からくる尿毒症を発症して急逝した。

「スピリッツ島」は,作者の弟に向けたこの上ない挽歌である。この小説は,私の中にあるB君の思い出にさらに深い刻印を与えた。

なお,あきのさんの消息をネットで調べたところ,元気にお過ごしのようである。「あきの来年は90歳」と題するブログの記事を毎日執筆し,スポーツジムに通われている。

 

赤とんぼ

以前は群れをなして飛んでいた赤とんぼは,すっかり姿を消してしまった。10月12日菜園にて撮影。この日,今年はじめて,菜園で蚊に刺された。なんとなくホッとした。

 

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