羽花山人日記

徒然なるままに

名詞の性

2024-08-30 19:25:11 | 日記

名詞の性

一昨日の「天声人語」に、フランス語を学ぶ時に付随する名詞の「性」についての日本人の戸惑いがちょっと書かれていた。

ドイツ語を学び始めたとき、やはり名詞に男性、女性、中性の区別があり、つける定冠詞も異なっていることに戸惑いを覚えたことを思い出した。

今サークルで勉強しているスペイン語も、やはり名詞に男性、女性の区別があり、どっちかわからなくなって辞書を見ることがある。

どうも規則性はなさそうで、例えば時間の単位にしても、秒、分、日、月、年は男性名詞だが、時間だけは女性名詞である。森は男性、密林と林は女性、木は男性、材木は女性となる。

何故そんなことになっているか、たまに不思議に思うことがあったので、この際と、語学の「達人」、チャット君に尋ねてみた。以下ちょっと長いが、興味がおありならご覧あれ。

わたし:

男性名詞と女性名詞の区別がある言語の起源について教えてください。

ChatGPT:

男性名詞と女性名詞の区別がある言語の起源は、主にインド・ヨーロッパ語族にさかのぼることができます。この語族には多くの現代のヨーロッパおよび南アジアの言語が含まれ、特に古代インド・ヨーロッパ語(Proto-Indo-European, PIE)と呼ばれる仮説上の祖語が重要です。

〈中略〉

性の区別の理由

名詞に性を割り当てる理由については、明確な答えはありませんが、いくつかの仮説があります。一つは、物や概念に対して性を割り当てることで、言語の体系がより複雑で精緻になるというものです。また、性は言語の中で統一性や一致性を保つために重要な役割を果たしていた可能性もあります。

言語の進化と性の保持

インド・ヨーロッパ語族の多くの言語は、この性の区別を保持し続けました。例えば、ラテン語(後にロマンス諸語)、ギリシャ語、サンスクリット語などでは性の区別が存在しています。現代のスペイン語、フランス語、ドイツ語などもこの伝統を受け継いでいます。一方で、英語やペルシア語のように、性の区別を失った言語もあります。

〈中略〉

まとめ

男性名詞と女性名詞の区別は、古代インド・ヨーロッパ語や他の言語族における文法体系の進化に起因しており、言語が持つ体系的な複雑さを増すための一つの手段とされています。性の区別は、言語の進化や文化的な影響を受けて、さまざまな形で現代の言語にも受け継がれています。

わたし:

名詞の性はどうやって決められるのでしょうか。

ChatGPT:

名詞の性がどのように決められるかについては、言語ごとに異なるルールやパターンが存在します。特にスペイン語では、以下のような基準が性の決定に影響します。

スペイン語における性の決定

  1. 語尾による性の決定:
    • 多くのスペイン語の名詞は、語尾によって性が決まります。
      • 一般的に、-o で終わる名詞は男性名詞です。例: libro(本)
      • -a で終わる名詞は女性名詞です。例: casa(家)
  1. 生物の性:
    • 人や動物に関連する名詞では、その生物の性別によって男性名詞か女性名詞かが決まります。例: hombre(男), mujer(女)
  2. 例外と特定の語尾:
    • -ción, -sión, -dad などで終わる名詞は女性名詞であることが多い。例: nación(国), libertad(自由)
    • -ma で終わるギリシャ語由来の名詞は男性名詞であることが多い。例: problema(問題)
    • 〈中略〉

まとめ

スペイン語における名詞の性は、主に語尾や生物の性別に基づいて決定されますが、外来語については元の言語の性やスペイン語の既存の類似語との関連性が考慮されることが多いです。最終的には、言語使用者の間で合意された性が定着していきます。

わたし:

名刺の語尾にaがつくかoがつくかを決める以前に、その名刺の性は決まっているのではないのですか。

ChatGPT:

とても鋭い観察ですね!おっしゃる通り、名詞の語尾に -a や -o がつくのは、もともとその名詞の性が決まっている結果です。語尾が性を決定するというよりも、性がすでに決まっているため、その性に従って語尾が選ばれるのが正確です。

名詞の性と語尾の関係

スペイン語のような言語では、名詞の性はその名詞が持つ文法的な特性の一部です。この性は、歴史的に言語の進化の過程で決定されてきたもので、ある名詞が男性か女性か、または中性かは、必ずしも論理的に決定されるわけではありません。

性が先か、語尾が先か

  1. 性が最初に決まる: 言語学的には、名詞の性はまず最初に決まり、その性に基づいて語尾や形態が選ばれます。(中略)
  2. 語尾は性を反映する: 語尾は、性がすでに決まっている名詞に対して、性を反映する形で付与されます。〈中略〉

まとめ

名詞の性は、語尾が決まる前にすでに確定している文法的な特性です。語尾はその性を反映する形で付けられるもので、性そのものを決定する要因ではありません。したがって、性が最初に決まり、それに応じて語尾が選ばれるという流れが一般的です。

結局のところ、名刺の性は、なぜそうなっているか興味はあるが、そういうものとして受け取るということのようだ。ちなみに、エスペラント語の名刺は性中立だそうだ。

ところで、スペイン語の人名では、女性の場合は語尾にaがつき、男性はoをつける。Mariaはイエス様の母上で、Marioはゲームで活躍するオジサンである。

日本人の女性の名前は最後が「子(ko)」で終わることが多く、そのために男性と間違えられることがしばしばある。

 

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生きる-Living(映画)

2024-08-28 19:07:24 | 日記

生きる-Living(映画)

1952年に公開された日本映画、黒澤明監督、志村喬主演の『生きる』をリメークしたイギリス映画である。2022年に公開されている。

脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。彼は若い時に黒沢の『生きる』を観て衝撃を受け、イギリスを舞台にしてその内容を再現しようとしたという。その試みは見事に成功している。

舞台は1953年のイギリス。近郊の住宅街からロンドンの市役所に列車で通勤する、初老のロドリー・ウイリアムズが主人公である。息子夫婦と同居しているが、家庭では二人から疎外されている。

ロドリーの容姿は典型的なイギリス紳士で、市民課の課長である。しかし、仕事に積極性はなく、婦人たちからの児童公園造成の嘆願書が、公園課、都市計画課、下水課とたらい回しにされて市民課に押し付けられても、預かって未決書類の山に入れてしまう。そんな課長を就職したての新人、ピーター・ウェイクリングは奇異の目で見つめる。

ある日ロドリーは自分が末期がんで余命がわずかであることを医師に告げられる。残された人生を楽しくと、役所を無断欠勤し、喫茶店で知り合った遊び人の男性にあちこち連れて行ってもらうが心は満たされない。

ロドリーは欠勤をつづけ、ロンドンの街を漫然と歩いていると、元部下でレストランに転職した若い女性のマーガレット・ハリスと出会う。彼女の働く姿と生き生きとした若さに触れて、忘れていた「生きる」意味について気づき、役所に戻って嘆願書にあった公園候補地に部下を連れて視察に出かける。

ここで映画はロドリーの葬儀のシーンに移る。葬儀の参列者や、元部下の市役所職員の回想で、児童公園造成に向けての彼の仕事ぶりが写し出される。

新任の市民課長は、ロドリーの遺志を継いで責任を持った仕事を行うと宣言するが、それは口先だけで、前の課長の仕事をそばで見ていたピーターはがっかりする。

心が折れそうになったピーターは、そんなときは自分たちが作った公園を思い出しなさいという、彼宛のロドリーからの遺言ともなる親展の手紙を思い出し、夜の公園を訪ねる。そこに通りかかった若い巡査の職務質問に答えて、自分がこの公園を作ったロドリーの同僚だったと話す。

それを聞いた巡査は、「雪の降る晩にブランコに乗ってスコットランド民謡の『ナナカマドの木』を歌っている老人を見たが、あまり幸せそうだったので、帰りなさいと声をかけられなかった。あんな立派な方のことを放置して死なせてしまったことを悔いている。」と打ち明ける。

それに対してローリーは、ロドリーが末期がんだったことを告げ、彼は幸せだったから気にしないでと慰め、二人はうなずきあって別れる。

この最後の挿話は、黒沢作品にはなかったもので、降る雪の中ブランコに揺れながらスコットランド民謡を楽しそうに歌うロドリーの映像とともに、印象的である。

テレビ画面を撮影

課長役のビル・レイは。イシグロがこの役者を思い浮かべながらシナリオを書いたというだけあって、すばらしい演技である。黒沢作品における志村喬を思い浮かべながら観ていた。

不朽の名作、黒澤明の『生きる』がイギリスの地で新しい息吹をもって生まれかわったことを喜びたい。

 

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詩心

2024-08-26 19:18:31 | 日記

詩   心

8月22日付の朝日新聞の「耕論」に、『詩の心』と題して、3人の方の談話が載っていた。

ちょっと言うのが恥ずかしいが、わたしは二十歳前後のころ詩作に凝ったことがある。友達が同人誌に発表したのを見て、自分も書いて見ようかと思ったのがきっかけだった。

どこかに発表しようという気もなく、自己流で大学ノートに書き溜めたが、引越しを繰り返すうちにノートは紛失してしまった。

どんな詩だったかほとんど忘れてしまっているが、「冷気の中で凍って光るエーテルの針」とか、「何万年か後で南の海で見つかる人間の化石」なんていうのを題材にしていたことは記憶している。

短歌や俳句と違って、自由に言葉を並べられるので、自分には合っているかと思っていたが、ノート1冊も埋めないうちに種切れとなって、その後詩を書こうとは思わなくなった。

ところで、「耕論」の3人の方の言葉には詩人ならではという感じがある。

佐藤文香さん(詩人・俳人)

「詩を書いていると、いつの間にか海岸を走ったり大きな犬と出会ったり、-----詩がわたしを知らない世界に連れて行ってくれたりします。」

「詩は言葉を愛する人間同士が出会える〈待ち合わせ場所〉なのかもしれません。」

中井悠加さん(国語教育学者)

「(発見がなく、何を書いていいかわからないという子供がいるが)でも順番は逆なんです。発見ありきでなく、言葉を使って書いたり試したりしているうちに発見が繰り返される。いろいろ試せるのが詩なのです。」

四元康祐さん(詩人)

「誰が読まなくても、誰のためにでもなく、自分に向き合ってただ書く。でも、それが偶然誰かの目にとまればいいと祈りつつ、書いた詩を瓶につめて海に投じる。大海を漂ったその瓶がたまたま僕の元へも流れ着く。僕も、日本語の詩に詰め替え、瓶をもう一回海に放る、そんな比喩がふさわしいかもしれません。」

「ただ少し危うさも感じます。------詩が共感を得るためのツールになっているのでは、とも思えるからです。詩が誰かに届き、共感されるのは〈偶然〉であって、それが目的ではありません。」

いずれも含蓄のある言葉である。ちょっと詩心をくすぐられて、書いてみようかなと思ったが、あの頃の感性はもう残っていそうもない。

本棚から宮沢賢治の『春と修羅』を引っ張り出して、お気に入りの詩、『原体剣舞連』を音読した。

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

 

マンションの小さな公園で

 

 

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丘の上の本屋さん(映画)

2024-08-24 19:13:26 | 日記

丘の上の本屋さん(映画)

息子に勧められて、Netflixで配信されているこの映画を観た。

約1時間の短編で、観終わると心が温まっている映画である。

イタリアの丘の上にある小さな村の古本屋を舞台とする物語。書棚に囲まれた部屋に机と2脚の椅子があるだけの簡素な店で、店主のリベロはかなりの年齢で、朝通ってきて店を開けると、一人でゆったりと店番をしている。

店には、隣の喫茶店のウェーターの二コラとその恋人のキアラ、ごみ箱をあさって捨てられている本を持ち込むボジャン、手元にもなくなってしまった自分の著書を探す教授といった、どこか憎めない面々が時々店に顔を出し、リベロに話しかける。

リベロは嫌な顔をせずに話を聞き、包み込むように穏やかに返事をする。訪客と交わす会話に、リベロの並々ならぬ書籍への造詣がうかがえる。

ある日、肌の色が黒く、明らかに移民の子とわかる少年が、店先に置いてある漫画を立ち読みしているのにリベロは気付く。少年の名前はエシエシ。漫画は好きだけど買うお金がないという少年に、リベロは好きな本を貸してあげるという。エシエシはミッキーマウスを借り、翌日に返しに来る。リベラは続いてピノキオを貸し与える。

このようにして、老人と少年の読書を通じての付き合いが始まる。貸し借りがあり、読後の感想のやり取りがあり、それが映画の中心の筋立てになっている。

ちなみに、エシエシが読んだ本は、上記2冊のほかに、イソップ物語、星の王子様、白鯨、密林の医師シュヴァイツァー、アンクル・トムの小屋、白い牙、ロビンソン・クルーソー、ドン・キホーテの、合計10冊である。

読後の二人の会話には、「心底本好き」の雰囲気があふれている。リベロ役のレモ・ジローネ、エシエシ役のディデー・ローレンツ・チュンブの抑えた演技が素晴らしい。本を抱えて公園のベンチに駆けていくエシエシの姿には、胸を熱くさせられる。

死期を悟ったリベロは、エシエシに『世界人権宣言』の冊子を渡し、書かれていることの大切さを言い聞かせる。

本を持って古本屋を訪れたエシエシは、「店主死亡につき閉店」の掲示を見て愕然とする。

そこに現れた二コラから、エシエシはリベロからの手紙を受け取る。公園のベンチで開いた手紙には、店にある本で欲しいものがあったらエシエシが自由に持ち出せると遺言したことが書かれていた。

時折カメラが写し出す、村から眺めた初秋の丘陵の鮮やかな光景が目を慰めてくれる。

本当にいい映画だ。

 

校    歌

夏の甲子園高校野球が終わった。

決勝戦は息詰まる熱戦の末、京都国際高校に軍配が上がった。

流れるハングルの優勝校校歌に、新しく吹き込む風を感じた。

 

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床屋

2024-08-22 19:23:10 | 日記

床   屋

床屋に行ってきた。月に一回散髪することにしている。

以前は、住んでいた大学官舎の近くにあった床屋に30年近くにわたって通っていた。なじみとなって、担当のおかみさんが読書と植物が趣味で話が面白かったので、引っ越してからもひいきにしていた。

3年前に運転をやめてから、近所にある床屋に鞍替えした。徒歩5分ほどで、中年の夫婦がやっていて、電話予約ができる。担当のおかみさんの仕事は至極丁寧で、満足している。

子どものころ、村には1軒しか床屋がなかった。その割に混まなかったのは、当時は丸刈りが多く、散髪は自宅で済ましている人が多かったからではないだろうか。

しかし、年末はすごい混雑で、待合室の畳部屋にしつらえた炬燵に、10人くらいが足を突っ込んで車座になっていた。番号札を配るわけでもないのに、順番でもめた記憶がない。待っている間に少年雑誌を読むのが楽しみだった。

よそから引っ越してきて店を始めた初老の夫婦が経営していた。散髪が終わると、今のように座ったまま頭を洗ってくれるのではなく、洗面台の前に歩いて行って、金盥に汲まれたお湯で顔を洗った。拭く手ぬぐいは持参したように記憶している。

高校のころは、旧制中学を出て修行を終えた長男が店に出るようになり、彼が嫁さんをもらってからは、初代夫婦は隠居したように思う。そのころにはお湯のシャワーが出るようになっていた。

30年近く前、父の葬儀で実家に帰った折、村を散歩していたら、床屋がまだ残って営業していた。懐かしくなって店に入ると、2代目の奥さんがいて、わたしのことを覚えてくれていた。ご主人はずいぶん前に亡くなったとか。

最近はご婦人の染髪しかやってないからと断るのを、無理にお願いして散髪してもらった。出来上がったのは、見事な虎刈りだった。

店を出てから虎刈りを撫でながら、温かい気持ちで帰路をたどった。

 

アラン・ドロン逝く

フランスの名優、アラン・ドロンが亡くなった。わたしと同い年だったとは、新聞記事で知った。

来日した折のファンの女性たちとの座談会の模様をテレビで観た。参加していたご婦人の一人がドロンにキスをねだった。彼はくわえていた葉巻を口から離して、丁寧にその求めに応じていた。すごいサービス精神だと感心したのを覚えている。

彼の出演映画では、なんといっても名匠ルネ・クレマン監督による『太陽がいっぱい』だ。特にラストシーン、「完全犯罪」の成就に満足しデッキチェアに寝そべるドロンふんする主人公が、刑事に指示された女中に「シニョール」と呼びかけられゆっくりと立ち上がるシーンは、流れる主題歌、背後の広がる海と青空とともに、瞼の裏に焼き付いている。

安らかに眠られることを。

 

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読書備忘(41)『それでも日本人は戦争を選んだ』

2024-08-20 17:09:15 | 日記

加藤陽子

『それでも日本人は戦争を選んだ』朝日出版社2009年

著者は日本近現代史の専攻で、東京大学文学部の教授である。何日か前の新聞紙上のインタビュー記事を読んで彼女の発言に興味を覚え、かねてから名著と聞いていたこの本を読んでみたいと思った。

読み終わって、いい勉強をさせてもらったというのが感想である。

本書は、2007年から2008年にかけての年末年始の5日間、著者が横浜市の栄光学園の生徒を相手に行った集中講義の講義録である。

日本の近現代を、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争の五つ時代に区分し、日本がなぜ無謀な戦争へと突き進んでいったのかを考えさせようとしている。

時の施政者、外交官、官・軍の実務家、農民、技術者などの残した膨大な一次資料を巧みに引用するとともに、それを取り巻く米・英・中などの諸外国の思惑や政策決定の過程にも触れ、日本の命運が歴史的にいかに定まっていったかを、実証的にかつ分かりやすく記述している。

登場する人物を生身の人間として描いているのが、魅力的であり、挿入されている略地図が歴史の地政学的な理解の助けになっている。

わたしには、「第一次世界大戦」から「満州事変と日中戦争」の章がもっとも読みごたえがあった。

日露戦争を経て列強の仲間入りをした日本が、国内的には政党政治が空洞化して軍部にヘゲモニーを握られ、国際的には身勝手な論理と行動から孤立して行く過程が、実にわかりやすく丁寧に述べられている。第一次世界大戦とその戦後処理が、日本にとって大切な岐路であったことがよく理解できた。

2001年9月11日の同時多発テロへのアメリカ政府の対応と、日中戦争における日本政府の対応の類似性や、1863年のゲティスバークにおけるリンカーン大統領の演説の内容の戦争における意味の記述は、なるほどとうならされた。

本書の中で、著者は日本の現在に対する重要な警句を発している。

1930年代の日本には、政党政治を通しての「社会民主的な改革」を行う形が整っていた。しかし、納税額で制限された選挙権による議会や政党政府は、小作料軽減とか労働組合の団結権制定といった民意を汲むように機能していなかった。

それに対して、こうした民意を実現しようとする「疑似的な改革」推進者が現れ、それが軍部への人気を高める結果につながった。

著者はこの時代の状況と、現在の小選挙区制がもたらした政党政治の空洞化の状況とを対比させている。「この道はいつか来た道」などという短絡的なことを言っているわけではないが、傾聴すべき指摘である。

出版から15年を経過しているが、特に若い人たちには読んでほしい本である。

 

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ハッとさせられた記事

2024-08-18 16:01:16 | 日記

ハッとさせられた記事

ブログを休んでいた間に読んだ記事の中で、ハッとさせられたのが一つあった。

8月13日付の朝日新聞デジタルに載っていた、小川尭洋記者による『日本語の歌声が響いた中国旅行のバス 赤面し頭下げた私の父の願い』と題する記事である。

小川記者は、2001年の夏、両親と一緒に中国でシルクロードをめぐるバスツアーに参加していた。前の席にいた中国人のおばあさんが、日本語で話しかけ、1曲歌わせてほしいといい、立ち上がって日本語で唱歌の「故郷」を朗々と歌った。

車内は拍手喝さい。しかし、ふと見たお父さんの顔は赤面して汗ばみ、中国語で「すみません。恥ずかしい。」と繰り返していた。おばあさんはお父さんに「落ち着いてください。日本語で歌うのは60年ぶりです。」と穏やかに声をかけた。

記者のお父さんは近代中国文学の研究者で大学教員、研究の過程で中国人のお母さんと知り合って結婚した。中国に対する日本の侵略行為や、中国人差別については身に染みて知っていた。

後年その時のことを訊いた記者に、お父さんは「自分の意思に反して日本語を教えられたわけだから、申し訳ない気持ちになるのはごく自然なことだったと思う。」といった。記者のお父さんは、おばあさんの年齢から、その日本語が強制的に教えられたものとすぐ気がついたのだろう。

もしその場にいたのがわたしだったら、「日本語お上手ですね。どこで習ったのですか。」と無神経にたずねただろう。

言語も侵略性を持っていることに、あらためて気づかされた。世界の共通語になっている英語にも、そうした背景と歴史があるのではなかろうか。

 

美空ひばりの英語

昨日の『おんがく交差点』(テレ東)のゲストは、ジャズクラリネット奏者の北村英治さんだった。95歳というお歳は聞かないと信じられない。矍鑠とした演奏は驚くほかない。1時間半以上あるステージを、立ったままで演奏されるそうで、それが不思議とは思っていらっしゃらない。

ホストの三遊亭小朝師匠が、ドラムスを叩いてジャズスタンダードNo.『 Sing Sing Sing』で北村さんとセッションし、見事な演奏を披露したのには驚いた。

面白かったのは、美空ひばりさんにまつわる話である。

北村さんは彼女の伴奏を務めたことがあり、その特異な才能に驚いたという。どんな歌でも一度聴いただけで完全にコピーしてしまうそうである。

沖縄で演奏した時、ひばりさんは英語でジャズを歌った。聴いていたGIが、日本人でこんなに完ぺきな英語で歌うのを聞いたことがないと感激して、楽屋に押し寄せ早口の英語で話しかけた。

ひばりさんは、「この人何言ってるのかさっぱりわからないわよ。」と悠然と構えていたそうだ。

テレビ画面を撮影

 

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オリンピック雑感(続)

2024-08-12 19:17:23 | 日記

オリンピック雑感(続)

パリのオリンピックが終わった。

3年前の東京大会の時は、コロナ禍の真っただ中ということもあって、開催そのものからオリンピックの意義に至るまで、わたしもそうだったが、意見百出であった。

パリ大会についてはどうだったかよく知らないが、やっぱりよその国のこと、あまり気にせず日本が獲得したメダルの数を喜んでいた。

わたし自身が慣れ親しんでいた陸上競技は予想以上の健闘だった。何人もの選手が予選突破、決勝進出、入賞と、堂々と実力を発揮して好記録を出していた。

なんといっても特筆ものは女子やり投げの北口榛江選手。世界の女王などとマスコミでもてはやされるプレッシャーのもと、事前の大会では不調ではないかと心配したが杞憂であった。一投目で手ごたえを覚え、二投目以下は70mを狙ってやや力んだか、しかし圧勝であった。独学でチェコ語を覚え、コーチの指導を受けたとか。本当にすごいなと思う。

ブレイキンとかスケートボードとか、若者たちの路上の遊びだったのが、立派にスポーツとして昇華し、オリンピックの種目に加わった。

ブレイキンは初めてテレビで観た。あたかも「タイマン」のようにステージ上で一対一で選手が向かい合い、課題曲に合わせた技をかわりばんこに繰り出して競い合う。自分の演技が終わると相手に「どうぞ」と身振りし、対決が終わると握手して別れる。見ていて実に気持ちがよかった。しかし、あんな激しい動きで大丈夫かとハラハラもさせられた。

馬術、ヨット、フェンシング、近代五種と、マイナーな種目で、初めてあるいは久々にメダルを取ったのはなんとなく嬉しかった。近代五種は日本の競技人口は50人とか。いずれの競技もヨーロッパ伝統のもので、日本人というのは外国の文化を取り入れてこなすのに長けた民族というべきだろうか。

大学の教養部の時に、体育講義の試験に「ステート・アマチュア」について記述する問題が出された。当時、ソ連や東側諸国が国家丸抱えで選手を育成するのを指して言った言葉で、西側諸国からこれはプロフェッショナルではないかと批判がされていた。

しかし、アマチュアリズムを標榜していたオリンピックもプロ・アマの壁が取り払われ、この言葉はもはや死語である。選手の育成にせよ、競技の開催にせよ、企業あるいは公的な資金援助なしには成立しなくなっているのが現状だろう。オリンピックが商業主義の中にますますどっぷりとはまり込んでいくのはやむを得ないのだろうか。

しかしやっぱり、オリンピックは「平和の祭典」であって欲しい。

 

サルスベリ

 

夏休み

一週間ほどお盆休みを頂戴します。

 

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「ルシア」サロンコンサート

2024-08-10 20:47:06 | 日記

「ルシア」サロンコンサート

パラグアイアルパ演奏の第一人者、ルシア塩満のことはこのブログに何回も書いた。

わたしは彼女のフアンクラブ「パナンビ」の終身会員である。

そのパナンビから、8月10日に東京紀尾井町サロンホールで「ルシア塩満サロンコンサート」を開催するという通知が来た。

彼女のライブ演奏を聴いたのは、もう10年以上前になるだろうか。アルパは大ホールより、サロンのような身近な雰囲気で聴く方が好きだ。

そのようなコンサートに、もうあまり行くチャンスもないだろう。定員80人で満員で締め切りとある。カミさんの脚の怪我もそのころには治癒しているだろう。最寄駅から会場までの徒歩5分は炎天下でも大した問題ではない。

というわけで、さっそく申し込み、今日出かけてきた。

しかし、東京の地下鉄というのはなかなか複雑で、下車してから出口までに10分、そこから会場まで5分であったが、あまり汗もかかずに到着した。

会場は満席。顔なじみのフアンが多いらしく、和やかの雰囲気が漂っていた。

演奏はルシアのソロのしっとりした曲で始まった、久しぶりに聴く生演奏のアルパの響きに、鳥肌が立つ思いがした。そして、これに4人の演奏者が加わって盛り上がり、客席からは手拍子も出た。第一部は定番のコーヒールンバで締めくくられたが、その前に、2015年に亡くなったコーヒールンバの伝説的演奏者ウーゴ・ブランコを偲んで、彼の作品が2曲演奏された。ルシアは生前のブランコに会い、特別な思いを抱いているようだ。。

第二部では、ルシア作曲の「ひとりごと」、共演者の堂本さんが作曲した「風に舞う」が披露された。いずれもしっとりしたいい曲だった。

フィナーレに向けて、2拍子3拍子のポリリズムからなるパラグアイポルカの2曲が演奏され、アルパの古典的名曲カスカーダでコンサートは終わりを迎えた。

共演の3人の男性は、いずれも、ギター、チャランゴ、クアトロ、ケーナ、サンポーニャのなんでもござれの手練れたちで、ルシアを盛り上げ、見事なアンサンブルだった。

短い時間だったが、ルシアとも言葉を交わすことができた。

楽しい半日だった。しかし、もうこれで、彼女の生演奏を聴く機会はないかもしれないと思うと、ちょっぴり寂しい。

 

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長崎原爆忌

2024-08-08 16:54:22 | 日記

長 崎 原 爆 忌

明日の長崎市平和祈念式典に、イスラエル大使を招待しないことが話題を呼んでいる。

一昨日行われた広島市の平和記念式典にはイスラエル代表が招待され、長崎市には招待されているパレスチナ代表は招待されなかった。

いずれも不招待の理由を、「式典を円滑に進めるため」(長崎市)『招待の基準を満たしていない』(広島市)と、政治的なものではないとしているが、対照的な判断に政治的なものがなかったとは言い切れないだろう。

核のない世界は戦争のない世界と同値であるべきと考えるわたしは、長崎市の判断により親近感を覚える。

イスラエル不招待に抗議して、日本を除くG7加盟6カ国とEUが長崎市の式典への代表不参加を表明しているが、核兵器禁止に対するこれらの国々のスタンスを明確にさせたという意味で、長崎市の対応はそれなりの意義があったといえるのではないだろうか。

 

 甲 子 園

夏の全国高校野球大会が甲子園で始まった。古關 裕而作曲の『栄冠は君に輝く』はいつ聴いても素晴らしい。

今年から二部制が導入され、炎天下で白球を追う球児たちの果敢な姿が見られなくなったのはさみしいが、これは冷房完備のテレビ前特等席で観戦する方のわがまま、地球温暖化による異常気象を恨むべきだろう。

題名に誘われて、昨日NHKBS1から放映された映画『アゲイン 28年目の甲子園』のビデオを、高校野球午前の部と夜の部の間に観てしまった。

元高校球児たちによる「マスターズ甲子園大会」をめぐる、友情と家族愛の物語。人情味あふれるストーリーと、中井貴一をはじめとする中年俳優たちの熱演に、心が温められた

わが町の代表霞ケ浦高校頑張れ!

 

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