羽花山人日記

徒然なるままに

With Coronavirus

2023-01-30 20:48:32 | 日記

With Coronavirus

政府は5月8日をもって,新型コロナウイルスの法律上の位置づけを,現在の2類からインフルエンザと同等の5類に変更する方針を決定した。いうならば,日本では新型コロナウイルスと共生する,With Corona の時代に入ることになる。

一昨年の1月15日のブログに,長崎大学熱帯医学研究所山本太郎教授の新聞紙上に掲載された,「新型コロナ感染症と生きるには」と題する発言の要旨を紹介した。2年前の発言であるが,現在の状況にとって示唆に富んでいると思うので,再掲する。

 

山本氏は,今の感染対策において,「何をめざすのか,いまどこにいるのか,ロードマップ」が示されていない点が不足していることを,まず指摘する。氏のいう目指すところとは,社会経済と両立する集団免疫によるウイルスとの共生である。ここに至る過程には,社会経済的あるいは防疫的な措置の「大きな物語」のほかに,もう一つ個別の死に関わる「小さな物語」が存在する,という。そして,ウイルスとの共生が望ましくてもそのために命が失われてよいということではなく,「小さな物語」に寄り添って「大きな物語」を進めていかなければならないと指摘している。さらに氏は,「パンデミックに倒すべき相手はいない。闘うのではなく,ウイルスを社会に取り込んでいくという感覚が必要」であるという。

 

氏のいうロードマップは,感染の拡大に応じて規制を強め,波が収まると緩めるという,ピーク アンド カットの戦略に基づいて描かれていたと言えよう。そして,新型コロナウイルス感染症を2類から5類に移し,社会は目指すところのコロナとの共生を実現する,ロードマップ上の段階に至ったと政府は宣言しようとしている。

しかしそれは,感染対策を個人の責任にすべて負わせることであってはならない。「小さな物語り」に寄り添うことは依然として行政の責任である。

新型コロナウイルスに対する集団免疫が果たして形成されているのか,「治療薬」とされる薬に効果はどの程度か,重症化しやすい高齢者や持病保持者へのケアはどうするのか,ワクチンの定期的な接種をどう継続するのか,予防・治療措置に対する財政的援助はどうするのか,これらをしっかりとわたしたちに示すことを求めたい。

わたし自身は,これまでとってきたコロナウイルスに対する予防措置を緩めるつもりはない。

 

天         馬

高校陸上競技部のOBで作っている「天馬会」の機関誌『天馬』60号が届いた。

総ページ数90の立派な冊子である。大正4年卒から現在に至る107年間の卒業生の名前が収録されている。毎年編集・出版の労をとってくださる,在松本のOB諸氏には心から感謝したい。

今号は,昨年亡くなった前天馬会会長藤森茂幸氏への追悼記事が目を惹いた。わたしは現在「東京天馬会」の会長を仰せつかっているが,前会長だった元宮内庁長官・日本赤十字社名誉社長の故藤森昭一氏は茂幸氏のお兄さんであり,ご兄弟そろって天馬会の発展にご努力いただいたことに感謝し,ご冥福をお祈りする。

『天馬』の内容は盛り沢山だが,一番楽しみにしているのは「はがき便り」で,旧知の方々の消息を知ることができることである。ところが,この投稿の密度が若い世代に行くほど薄くなる。高校を出て新しい社会に触れたり,働き盛りで多忙だったり,理由はいろいろあるだろうが,年をとると同じ釜の飯を食った仲間ほどいいものはない。どうか「天馬会」をお忘れなく。

 

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入れ歯

2023-01-28 16:31:51 | 日記

入    れ   歯

ちょっとさえない話だが,入れ歯について書く。

わたしは生まれつき歯が弱くて,虫歯や歯槽膿漏に悩まされてきた。両親が60代から総入れ歯だったので,これは遺伝だと思っている。

カミさんは非常に歯が丈夫なのだが,子供たちはあまり強くない。以前長男を歯医者に連れて行った時,担当の医師がわたしの歯をちらりと見て,「親の歯がこんなでは仕方がない」という趣旨のことを言った。「親の因果が子に報い」というべきか。どうもすまないような気がする。

小学生の時,遊んでいて友達の頭にぶつかって,前歯が二本折れてしまった。友達の方は瘤で済んだのは幸いだった。歯科医は残っていた歯の根っこに穴を開けて,差し歯を作ってくれた。この手術はよほど満足だったのか,学校の集団検診の時は長い間口を開けさせて,立ち会っている教師らに説明していた。

この差し歯は10年くらいもったが,歯根が割れてこんにゃくを食べている時,差し歯が根元から押し出されてしまった。措置をお願いした歯科医が,「固いものを食べたな」というのにこんにゃくとは答えられず,黙って肯定の意を示した。

その後続々と歯が抜けたり抜かれたりして,ブリッジから部分入れ歯と進み,10年ほど前には残っている歯が一本のほぼ総入れ歯となって今日に至っている。

入れ歯は大変具合よく,歯痛や歯槽膿漏に悩まされることが無くなったので,歯に関しては至福の時を過ごしてきた。

ところが,昨年の暮れに入れ歯の歯が一本,ポロリと取れてしまった。雑煮やおせちを食べるのに不自由はしなかったが,口を開けると取れたところの空隙が見えるので,入れ歯を作った歯科医院に出かけ,修理してもらうことにした。

実はこの歯医者さんには,昨年の一月に下の入れ歯が歯茎に当たるようになったのを直してもらった時,作ってから大分経つので,下だけでも作り直したらどうかと勧められていた。寒い時期に自転車や徒歩で通うのは腰が引けたので,とりあえず修理だけで,気候が良くなったらとお願いし,直してもらった入れ歯の具合が良かったので,そのまま1年間を通してしまったのである。

今回の治療に当たって,医師からその話を持ち出された。自分の年齢を申し上げ,さらに年齢を重ねれば治療・調整に通うのが困難になるだろうから,最後の入れ歯として上下とも更新するのはどうかと提案したところ,医師も賛成し,春になったら新しい入れ歯を作ることにした。

入れ歯の耐用年数は平均で,4~5年と言われている。87歳のわたしは,今度できる入れ歯を生涯の友として大切にすることにしたい。

ところで,残っていた一本の歯が虫歯になっていることを発見され,先ずその治療をすることになった。情けない話である。

夏蜜柑と金柑

阿見町にて撮影

 

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ちょっといい話

2023-01-25 16:15:45 | 日記

ちょっといい話

新聞の投書欄は,タイトルを見て興味のあるものを読んでいる。今日の朝日新聞の『声』欄に,ちょっといい話が二つ載っていたので紹介する。

言語聴覚士の野口沙紀さん(群馬県):仕事で愛用しているナースウォッチを落として,長針が取れてしまった。修理に持って行った時計屋さんがナースウォッチを見て,「病院は大変ですよね」とねぎらってくれた。嬉しくてジーンときた。おかげで,今日も時計と一緒に仕事を頑張っている。

兵庫県の川村充さん:もうすぐ16歳になる愛犬の「ゲン」が認知症になり,食事の介護からおむつの世話まで,加齢現象なので叱らずに「最後まで面倒を見るよ」と声をかけている。そして一句〈ペット飼う命預かる覚悟する〉。

なお,わたしは不明にして,言語聴覚士という職業を知らなかった。Wikipediaによれば,「言語聴覚士は、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、接触・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う専門職である。医療機関のほか、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している」とのことで,1997年に「言語聴覚士法」が制定されている。

 

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方言(承前)

2023-01-25 16:15:45 | 日記

 方 言 (承前)

一昨日に続いて,方言のことを書く。

信州にはどのくらい方言があるかと,ネットで調べたら,下記の記事が見つかった。

長野県の方言(信州弁)一覧表!意味や例文もご紹介 | 方言ドットコム (massan.jp)

ここには,信州の方言が86語収録されている。そのうち私が知っているのは44語であった(数え間違いがあるかもしれないが)。長野県は山に隔てられた盆地の集合なので,ところによって異なる言葉を使っていることが多いのではないだろうか。諏訪の親戚の人たちが,「疲れた」を「てきない」と言わずに「ごしたい」と言うのを聞いて,上品に感じたのを覚えている。

わたしが標準語だと思っていた言葉は,「みぐさい」(みっともない),「まてい」(丁寧),「やくやく」(わざわざ),「わにる」(恥ずかしがる)である。いずれも東京に出てきて使って,相手に怪訝な顔をされて気がついたと思う。同期で,松本深志高校から東大に入ったY君は,「やくやく」を卒業するまで使っていた。

思い出深い信州弁としては,「あばね」(さようなら)がある。「あばよ」と言えば上から目線の突き放した言い方だが,「よ」を「ね」に変えると全く違ったニュアンスになる。親しいもの同士の「また明日」,「元気でね」の挨拶である。しかし,東京からの集団疎開の児童が家に遊びに来て別れる時に,「さようなら」というのはよそよそしくて照れ臭く,「あばね」というのは恥ずかしくて困った。

入院して臨終の床にある父のところに母を連れて行った時,かなり認知症が進んでいたにも拘わらず,母は,すでに意識が混濁している父の枕元に身を寄せて,「あばね」と言った。胸にズンと来た。このシーンは今でも鮮明に覚えている。

方言には独特のアクセントやイントネーションがある。わが家では,カミさんと子供たちが東京生まれの東京育ちなので,わたしは唯一の異邦人で,しょっちゅう直された。どんなアクセントやイントネーションだったかは,カミさんも私も忘れている。すっかり《標準語》に直されたのであろう。

 

花キャベツ

 

阿見町にて撮影

 

 

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方言

2023-01-23 16:18:11 | 日記

方     言

すっかり寒くなって,朝布団から出るのが億劫である。こういう時,信州弁の「ずくが無い」を思い浮かべる。「ずくがねえ」と言った方が,もっと信州弁らしい。

「ずく」と「ずくなし」は長野県の方言として広辞苑に収録されている。「ずく」は「精を出すこと」,「ずくなし」は「役立たず,怠け者,無精者」とそれぞれ訳されている。この訳に間違いはないが,「ずく」にはもっと別のニュアンスが含まれているように思う。

例えば,何かをしたくないことを「精を出したくない(気力がない)」というのは,「ずくがない」というのと比べて大げさのような気がする。「ずくがない」には,大目に見て欲しい,あるいは分かって欲しいという仲間意識が篭められているのではないだろうか。

大学に入って,最初のドイツ語の授業で,教師に「地方から出てきた人たちは,先ず標準語を覚えなさい」と言われ,侮辱されたような気分になった。信州人には,一般に,自分たちは標準語を話していると思い込んでいるところがあり,わたしもその例外ではなかった。

しかしそんなある日,入部した陸上部の練習の後,「今日は5千メートルとんできた」と言ったところ,居合わせた人に「すごい記録を作ったね」と冷やかされた。その時のわたしにとって,「とぶ」と「走る」は同義であったのだ。

依頼された原稿に,ある人に言われたことが胸に「こずんで」いると書いたところ,編集者から,この「こずむ」というのはどういう意味かと質問が来た。「何かが沈殿している」ことと説明して検討し,「滞っている」に書き換えることにした。その後で,編集者は「しかし《こずむ》はいい言葉ですね」と言った。

広辞苑には「こずむ」が「偏む」という漢字をつけて収録されている。訳には,「偏る」,「傾く(特に馬が)」,「一箇所に偏って集まる」が採用されている。

松本では,泥鰌が池の底にかたまっているのを「こずんでいる」と表現していた。信州弁の「こずむ」はほかに当てはまる語がないような気がする。

松本に居住する姉妹や姪たちに聞いたところ,世代とともに方言はすたれているらしい。今の若い人とたちは,駆けっこのことを「とびっくら」とは言わないそうである。それを惜しんでか,地元紙の松本市民タイムスでは『おらほの言葉-松本方言辞典』という連載物を昨年の1月から始めている。

茨城に住んで36年になるが,いまだに茨城弁では話さない。ほとんど標準語で話し,話されている。たまに使うのは「どもね」くらいで,これは結構丁寧な表現らしい。「ごちゃっぺ」という語はこの辺の独特の表現で,知ってはいるが,会話の流れとして聞いたことはない。

世界には7千以上の言語があり,その約40%は消滅する運命にあるという。言語は文化と裏腹である。言語の消滅は,文化がなくなることを意味するだろう。

方言の消失・変化は,その地方の文化の消滅・変質であり,多様な文化が画一化されていく過程である。それは仕方のないことであろうか。

 

日光連山

わが家のベランダから,はるか北方に日光連山を見ることができる。

 

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野良猫

2023-01-21 16:42:57 | 日記

野  良  猫

今日の朝日新聞B面に,野良猫に去勢・不妊手術をすることによって,野良猫を減らす運動をしている,山口武雄さんという獣医師の活動が紹介されていた。

この運動は,野良猫を捕まえ(Trap),不妊・去勢手術を施し(Neuter),元居た場所に戻す(Return)の頭文字をとって,TNR運動という。

基本的な考え方は,野良猫をすべて保護して,飼い猫と同じ境遇にするのがベストだが,それは不可能なので,野良に野良の子を作らせず,殺さないで個としての一生を終わらせ,野良猫を増やさないようにするということである。

山口さんが1974年に獣医病院を開業して10年目に,骨折して胎児が死んでいる野良猫を手術して助け,飼い猫にしたことが,この運動をするきっかけとなった。

以来40年間,獣医師,行政職員,ボランティア団体などに運動を広げ,山口さん自身も,73歳になる現在も全国を飛び回って施術を続けている。

TNR運動の考え方は,わたしにとっては意表を突かれた感じだが,インフルエンザの予防のために何十万,何百万という鶏が殺処分にされるのに比べたら(比べるべきでないかもしれないが)ずっと受け入れやすい。とにかく,出発点は猫愛である。

わたしは,30数年前に野良猫一家と遭遇したことがある。茨城大学に赴任し,大学の宿舎にいたころ,ある日物置の方で,子猫の鳴き声がするので行ってみると,段ボールの空き箱の中に,もう目がぱっちり開いていた子猫が3匹身を寄せ合っていた。わたしを見ると毛を逆立てて一斉に「フー」とうなった,

袖振り合うも他生の縁,珍客におもてなしをと,皿にミルクを入れて持っていくとやっぱり「フー」である。こっそりのぞいていると,親が戻ってきて子供と一緒にミルクをなめていた。

それから数日後,一家はいなくなった。その間毎日ミルクを持っていってやったが,最後まで「フー」であった。

猫というのは気位の高い動物だと感じた。

 

一 筆 啓 上

今日の紙面に,福井県堺市の「丸岡文化財団」が主催した「日本一短い手紙のコンクールの,「一筆啓上賞」の入選作が掲載されていた。

丸岡城には,徳川家康の家臣,本田佐久衛門重次が戦陣から妻女宛に書いた,「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の碑があり,その縁で財団はこのコンクールをやっているらしい。今回が第30回で,手紙のテーマは「挑戦・チャレンジ」だった。

入選作の中から,恣意的に二つを選んで紹介する。

 

新潟市 田淵祥子様  《2歳の息子へ》

一人でズボンを履こうと挑戦する君。「ママ手伝わないで」と言うけど,それTシャツよ?

情景が目に見えるよう

 

勝山市 斉藤優奈様 《お父さんへ》

どうせ大好きなんだからお母さんに「愛してる」って言ってあげなよ。

そういわれてもねえ

 

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87+1/365

2023-01-19 15:02:03 | 日記

87+1/365

今日で87歳と1日になった。つまり昨日が誕生日だったのだ。一昨日と今日で体調その他に別に変化はないのだけれど,年齢を一つ多く言うと,なんとなく歳をとった気分にさせられる。

日本人男性の平均寿命は81.47年,平均健康寿命は72.68年であるので,もう十分に健康に生きてきたことになる。

一方平均余命の方は,ネットに出てくる値はばらついているが,87歳では5.7年ぐらい。86歳では6.2年なので,一つ歳をとって残された時間が半年減ったことになる。大体歳をとるごとに,平均余命は0.5年ずつ短くなるので,あと10年すると余命はほぼ0と言うことになる。

こういう値は統計値なので,個々人がどうなるかは運次第で不明だが,大体そのへんを目途に考えている。

別に死に急ごうとは思っていない。机の上やパソコンとスマホのKindle bookには積読になっているのが数冊あり,コカリナで吹きたい曲も残っているので,余りじたばたしないで,こなしながら過ごしていきたい。

ただ,世の中のことを考えると,如何ともし難く,なんとも切ない思いに駆られることが多い。

 

マエナガ

今日の朝日新聞の一面に,シマエナガという北海道に生息する野鳥の話が載っていた。

写真で見るとなんとも可愛らしく,雪の妖精というニックネームがふさわしい。

写真家のやなぎさわごう氏が運営するSNSアカウントの「ぼく,シマエナガ」が大寒の日をシマエナガ記念日として制定し,2019年に一般社団法人「日本記念日協会」 が認定・登録したという。

こういう協会があることは知らなかった。同法人のネット上の紹介文を以下に転載する。

日本記念日協会では記念日文化の発展を願い、従来からある記念日はもちろん、新たに誕生した記念日についても登録制度を実施しています。
企業、団体、個人などで独自の記念日を登録したいとお考えの方は、記念日の名称・日付・由来などの必要事項を所定の「記念日登録申請書」にお書き込みの上、日本記念日協会までお申し込みください。
また、創業、創立、誕生、発売、開校など、何かを始めた年月日を登録する周年記念登録制度も実施しています。
始まりを記録し、歴史を記憶するこの制度に登録したいとお考えの方は「周年記念登録申請書」にお書き込みの上、日本記念日協会までお申し込みください。

記念日文化という言葉も初めて知ったが,協会のホームページを見て,ものすごい数の記念日にびっくりした。

生きている間に,一つくらい記念日を作って登録しようと考えたが,登録料が1件15万円とあって断念した。

 

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読書備忘(19)『変わりゆく世界の中で』

2023-01-17 14:56:38 | 日記

読書備忘(19)

ミハイル・ゴルバチョフ(副島英樹訳)『変わりゆく世界の中で』

朝日新聞出版 2020年

昨年亡くなった,ソヴィエト連邦の最初にして最後の大統領,ミハイル・ゴルバチョフの回顧録である。

本の題名から類推できるように,ゴルバチョフの回顧は,ペレストロイカ(再構築)とグラスノスチ(情報公開)による国内の改革を背景に,冷戦終結による新しい世界秩序の構築に向けた1980年代末から1990年代初頭までの,彼の努力の軌跡に重きを置いて述べられている。

レーガン,ブッシュ(父)の米大統領,サッチャー英首相,ミッテラン仏大統領,コール西独首相らとの交渉における対話が,細かに収録されていて,活き活きした歴史の側面を見る思いがする。

ゴルバチョフのいう「新思考外交」は,平和,軍縮,民族自決を基調として,国家間の関係を脱イデオロギー化し,相互理解と信頼に基づく世界秩序を構築することを目標にする。

西側首脳との会談で彼が強調するのは,ソ連は西側にとって脅威ではなくなっていること,そのことを理解して西側はソ連に手を差し伸べて欲しいということ,そしてソ連はそれを受け入れる政治・経済的態勢をペレストロイカとグラスノスチによって達成しようとしていること,である。

相手の立場を理解する妥協と,粘り強い説得によって,1987年にレーガンとの間で中距離核戦力全廃条約を結び,1989年ブッシュとのマルタ会談で冷戦の終結宣言を行うという成果をあげる。

さらに,1990年の東西ドイツ統一に際しては,民族自決の原則から軍事的な介入をせずに,東ドイツからソ連軍を撤退させ,ドイツのNATO加盟を容認している。

ゴルバチョフは,こうした世界秩序の一員としてペレストロイカによって民主化したソ連を構築するべく,新たに設置した人民代議員会における選挙によって大統領に就任し,さらに新連邦条約によって新しい枠組みのソヴィエト連邦を発足させようとした。

しかし,1991年の旧守派のクーデター失敗による共産党権威の失墜,さらにはロシアをはじめとする連邦構成国の離脱によるソ連の崩壊によって,ゴルバチョフはよって立つ基盤を失い,政治の世界から退くことになる。

ゴルバチョフは,外国首脳との会談において,一貫してペレストロイカは実現するとして交渉に当たっている。彼自らが述懐するように,まさに楽天主義者である。彼は一貫して自分を共産主義者であると規定している。そして,冷戦終結を,資本主義の共産主義への勝利と総括することに反対している。

共産主義者として彼が描いたスキームが実現可能であったかどうかの議論は,識者に任せたい。ただ,この魅力的な政治家にもう少しやらせてみたかったという気分に,わたしはとらわれる。

著書の中で,ゴルバチョフはウクライナが厄介な問題を抱えていることを指摘している。そしてこの問題は武力ではなく,あくまでも外交的な手段によって解決すべきだと主張している。

プーチンによるウクライナ侵攻は,この本の出版の後である。ゴルバチョフは,当然この暴挙に反対している。

この本には,ゴルバチョフによる1990年のノーベル平和賞受賞講演,そして,ロシア通の元外交官の佐藤優氏による解説が収録されている。この二つを読むと,ゴルバチョフが全人類的な利益と価値が存在するという思想に基づいて行動したことが一層よく理解できる

副島さんの訳文は分かりやすかったが,読み終えて,ずっしりと重みを感じる本だった。

 

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お詫びと訂正

2023-01-16 20:52:57 | 日記

お詫びと訂正

昨日のブログに。星野リゾートが経営する「堺」(これも「界」の誤り)が「小柳」を受け継いだと書きましたが,これは全くの誤りでした。浅間温泉で「梅の湯」を経営している甥に聞いたところ,「界」は「鷹の湯」のあとに建っているそうで,「小柳」は「松本十帖」の名前で新たな形で営業を続けているとのことでした。

事実を確認せずに,間違ったことを書き,ご迷惑をおかけしたことを心からお詫びいたします。

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故郷2題

2023-01-15 17:08:17 | 日記

故  郷  2 題

なりゆき街街道:

テレビの画面を撮影

毎週日曜日の正午から,8chで放映されている番組だが,松本市が取り上げられているとカミさんが教えてくれたので,今日初めて観た。

お笑い芸人の澤部佑さんがホスト役で,今日は俳優の若村麻由美さんと,お笑いの秋山寛貴さんがゲストだった。松本市とその近郊の観光名所を訪問して,レポートする内容だった。

松本市の住民でなくなってからすでに70年近くが経ち,市の再開発やら何やらで,街の様子がかなり変わったので,わたしは松本市内を歩くとやや異邦人的な感覚にとらわれることがある。それでも,松本にはわが故郷という思いが強い。

今日三人が訪ねたところでわたしが知らなかった食べ物屋は,燻製工房「KUNMARU」,ドライフルーツの「壱の蔵」,おやきの店「小昼堂」で,いずれも魅力的で,松本に行くことがあったら立ち寄りたい。

浅間温泉に星野リゾートが経営する「堺」という宿ができているのは知らなかった。姉に問い合わせたら,老舗の「小柳」を引き継いでいるとのことだった。

信州の食べ物として,馬肉と昆虫食が紹介されていた。馬肉を食べるというのは,やはりローカル色があるらしい。現役時代に,乗馬部の学生に馬刺しの話をしたら,人にあらずというような目でみられた。

ザザムシ,イナゴ,蜂の子,繭子(カイコの蛹)は松本駅の土産物屋で売っているがなかなか高価である。時代とともにものの価値は変わってくる。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星)というべきか。

 

今日の朝日歌/俳壇より:

「前山がべた黒となる午後三時彫を深める白き遠山 」(松本市 馬木和彦様)

松本平から,冬の西山を望む。

枯れふかむ山をかさねて無人駅」 (長野市 縣展子様)

冬の篠ノ井線冠着トンネルあたり。

 

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