羽花山人日記

徒然なるままに

パーカッション

2023-02-27 16:12:44 | 日記

パーカッション

わたしは,70歳近くなって,ラテンパーカッションの練習を始めた。そのきっかけは栗である。

ある晩,同僚のH氏から電話がかかってきた。わが家の近くにあるラ・クラベ・カサ・デ・マロンというキューバ料理の店にいるので,出てこないかというお誘いだった。

その店のことは,車で通りかかって看板を見て知っていたので,出かけることにした。

H氏は栗の研究家で,マロン(栗)の名前に誘われて店に入り,出された料理がなかなかおいしいので,わが家が近くにあるのを思い出し,呼び出したという次第だった。

実はマロンというのは栗色の毛を持ったイヌの名前で,この店のオーナーの飼い犬だった。オーナー兼シェフがこの犬を社長として遇し,店の名前にしたということだった。

客席に挨拶に来たオーナーと話をして,彼が元東京キューバンボーイズのパーカッショニスト渡辺康之さんであることを知った。話の流れで,70歳近い老人にもパーカッションを教えてくれるのかと訊くと,どうぞどうぞということになり,それから2,3日して,店を訪ねた。

わたしはかねてから,何か楽器の演奏を習いたいと思っていたが,リズムとメロディーを両方受け持つのは大変で,パーカッションならリズムだけ面倒見ればよいと虫のよいことを考えて入門することにした。

これはとんでもない思い違いで,カラオケでマラカスが振れたらと言ったら,「マラカスは難しいですよ」と言われ,事実その通りで,師匠のようなキレのある音を出すには至らなかった。

このカサ・デ・マロンで出される料理はとてもおいしくて,子供や孫たちが遊びに来た時には,夕飯を一緒に食べに行った。マロンとも仲良しになった。

孫とマロンと渡辺師匠(右上隅)と

また,この店はライブスペースとしても利用でき,師匠の人徳と顔の広さから,ラテン音楽の一流アーティストたちが訪れ,生演奏を聴くのも楽しみだった。

渡辺師匠のレッスンは,とにかく楽しくという方針で遊ばせていただいたが,リズムそのものはゆるがせにしなかった。こちらも出された宿題は一生懸命頑張った。

孫が遊びに来るので一緒にパーカッションを楽しみたいと,幼児用のCDを持参したら,1時間以上かけて全部の曲に伴奏をつけて指導してくれ,おかげで楽しく孫と遊ぶことができた。友人のボランティア活動を手伝った時には,演奏予定の曲の伴奏を,使う楽器の種類も含めて,すべて編曲してくれた。どんな音楽であれ,おろそかに扱わないという気持ちが伝わってきた。

古希のお祝いに,家族からボンゴをもらい,本格的にボンゴの練習を始めた。3年ほどして,師匠からパーカッションのアンサンブルをしないかというお誘いを受け,メンバーを紹介された。年齢差50歳近くの老若男女6名のチームが結成され,「ロス・ソニードス(Los Sonidos;音たち)と命名した。

師匠が作曲した5曲くらいを持ち歌にし,練習した。作曲料をと申し出たが,楽しんでもらえれば十分と,絶対に受け取らなかった。

演奏にある程度まとまりができたところで,聴衆の前で演奏するように指示された。チラシを見たら,入場料を取ることになっていて,びっくりした。もっとびっくりしたのは,ギャラを頂戴したことである。冷や汗三斗というところだが,楽しかった。

ライブ演奏は2回行ったが,そのころ師匠が病に倒れ,半年足らずで亡くなられてしまった。痛恨の極みだったが,カサ・デ・マロンは閉鎖になり,ロス・ソニードスも自然解散になった。

師匠は落語が好きで,先々代の古今亭市志ん生の全集カセットテープを持っていて,もらってくれないかとわたしに託された。大切にしている。

聴くだけでなく,演奏するという音楽の楽しみの窓を開けてくれた,渡辺康之師匠を偲び,心から感謝している。

 

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ロシアのウクライナ侵攻一年

2023-02-25 16:56:58 | 日記

ロシアのウクライナ侵攻一年

ロシア軍のウクライナ侵攻開始から,1年が経過した。

わたしは,昨年の2月24日のブログに次のように記している。

 

ロシア軍ウクライナに侵攻

どうしてこんなことが!怒り,心痛,憂鬱。

 

この気持ち,感情は今でも変わらない。あらためて,自身の気持ちを確認する。

  1. 武力による領土侵略は断固として認められない。
  2. ロシア軍の侵攻に係る,プーチンおよびロシア施政者,そしてロシア議会の追随者の責任は,徹底的に糾弾されなければならない。
  3. 侵攻に際しての,戦争犯罪行為は断罪されなければならない。
  4. 直ちに停戦し,ことの解決を,例えば国際司法裁判所のような,あるいはもっと強力な権限を付与された第三者に委ねるべきである。
  5. 戦争犠牲者,特にウクライナ人民への支援に協力する。

以上について,わたしのできることは極めて小さい。主張が実現することは極めて困難だろう。この1年でわたしがしたことは,ウクライナの人道支援に向けて,コカリナのチャリティーコンサートに2回参加し,貧者の一灯のカンパをしただけである。

しかし,ウクライナに平和が戻るまで,わたしはこの気持ちを持ち続け,祈り続けたい。

 

霧   の   朝

自宅ベランダから撮影

 

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パンダの親指

2023-02-23 19:37:18 | 日記

パンダの親指

シャンシャンが中国に行ってしまった。テレビのニュースで見ると,大勢のファンが見送り,涙を流している人も多かった。

レッサーパンダやコアラなど可愛い動物はたくさんいるのに,なんでジャイアントパンダ(以下パンダと略す)はこんなに人気があるのだろう。

考えるに,希少性があり,ゆったりとして悠々迫らない動作が,多くの人に癒しを与えるのではなかろうか。

パンダは食肉目クマ科ジャイアントパンダ属に分類されている。この属にいるのはパンダだけで,1属1種である。

もっぱら竹の類を餌にし,1日10時間余りを座り込んで竹を噛んで過ごしている。両方の前足で器用に竹を握り,しごいたり口に運んだりしている。

この握るという動作は,向かい合った指が必要で,哺乳動物では霊長類の専売特許で,この動作が備わっているから人類は進化したとされている。

この握るという動作が,なぜクマの仲間でパンダだけにあるのか,子供の時からパンダが大好きだった著名な進化学者S・J・グールド(元ハーバード大学教授,故人)の著書『パンダの親指 進化論再考 (上)』(早川書房 1986年)にその理由が詳細に書かれている。

S・J・グールド『パンダの親指(上)』より複写

グールドはパンダの前足を調べ,指が6本あるのに驚いた。この6本目の指はどうやってできたのか。カナダの動物解剖学者D・D・デーヴィスの書いたモノグラフに,その解答を見つけた。

パンダの親指らしく見える構造物は,解剖学的には指ではない。普通は手首の小さい構成要素である撓側種子骨(トウソクシュシコツ)が異常に発達し,盛り上がった肉趾の芯になって指の役割を果たしているのである。この偽親指には,元々種子骨にくっついていた小さな筋肉も一緒に大きくなり,”指”の動きを司っている。

パンダはクマの仲間と共通の祖先から進化してきたものであり,その祖先には5本の指が備わっていたと考えられる。パンダだけが6本目の指を新しく備えるよりも,すでに存在するものを利用したほうが,進化のコストは少なくて済むということである。

パンダの親指はそうした進化の具体例なのだ。

お元気で,シャンシャン!

 

梅は咲いたか桜はまだかいな

阿見町にて2月22日撮影

 

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読書備忘(20) 『ぼくはウーバーで捻挫し,山でシカと闘い,水俣で泣いた』

2023-02-21 16:37:45 | 日記

読書備忘(20) 『ぼくはウーバーで捻挫し,山でシカと闘い,水俣で泣いた』

KADOKAWA 2022年

 

この長い本の題名は,恐らく一言では言い切れない著者の思いから来ているように感じる。

著者の斎藤幸平氏は,超ベストセラーになった『人新世の「資本論」』(集英社 2020年)の執筆者である。

わたしは名声に誘われてこの『資本論』を読んだ。資本主義下の環境問題の楽観論への著者の批判の鋭さに感心し,新しいコミュニズムによって脱成長の社会を創出しようという主張には一定のシンパシーを感じつつ,なにゆえにマルクスにこだわらずに彼自身の意見として展開しないのかにいささか疑問を抱き,また成長の限界については,ローマクラブの報告書以来半世紀が過ぎているのに,問題解決に至らないのは何故か,また,彼自身は目指すところを具体的にどう実現しようというのか,すっきりしないところが残った。

恐らく。斎藤氏は先の著書の執筆後,いろいろな批判を受けたであろう。その一つが思想家としての理想論と現場の問題との乖離を指摘されたことがあったのではないか,彼自身もそのことは十分自覚し,現場に出かけて具体的な問題に触れて見ようというのがこの著書の目的になっている。

著者は2年間で,実に様々な現場を体験する。自転車に乗ってピザを配達したり,自宅でのテレワークを見直したり,男性化粧品を使って「新しい」自分を発見したり,学生と一緒にタテカン(立て看板)を作ったり,ゲームをやったり,世の中で行われている営為の価値と矛盾を体験する。衣料のリサイクル,介護の仕事,林業における労働などの現場を見て,矛盾を乗り越えようとする試みに挑戦している人たちがいるのを見て,希望を抱く。水俣や福島で,過去を乗り越えて新しいコミュニティーを作ろうとしている人たちの実践に望みを託す。

そして,そうした経験や見聞から思想家としての自分に回帰し,福島で聞いた「共事者」という言葉に,思想家としてどうあるべきかを見つめ直す。「共事者」とは,例えば,水俣病患者運動のリーダーだった緒方正人さんの「私もまたもう一人の窒素であった」という言葉に象徴される,加害者あり被害者である立場を言う。その共事者の立場から思想家としての営為を続けて行くことを,斎藤氏は決意する。

読んで感じたことは,斎藤幸平氏というのは,恐ろしく生真面目な学者だということである。この真面目さが,すべての研究者,運動家に共有化されれば,どんなにか素晴らしいだろうと思う。

斎藤幸平氏は最近『ゼロからの資本論』(NHK出版 2023年)という本を出し,たちまち15万部突破という売れ行きになっているらしい。この本と言い,『人新世の資本論』が50万部を突破したことと言い,多くの人が環境問題に危機感を抱き,解決を求めていることを示しているのではないだろうか。

出版に当たっての対談の中で,斎藤氏はあるべき世のシステムとして,例えば,一定以上の収入を禁止する,ということを言っている。これははっきり言ってユートピアである。

ユートピアを⓵現在する,②将来実現する。③夢物語で終わる,の三つに分けるとして,せめて斎藤氏のいっていることが,②と➂の境目にあるようになっていくことを希望する。

 

土 ぼ こ り

自宅ベランダから撮影

田畑が作物で被覆されていない季節は,乾燥と強風で土ぼこりが舞い上がる。

 

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気球

2023-02-19 16:31:35 | 日記

気      球

気球の話題がニュースを賑わせている。

アメリカに渡来した気球と聞いて,わたしが真っ先連想したのは,風船爆弾である。この風船爆弾,正式には気球爆弾と言ったらしい。

旧日本軍による開発で,紙風船に爆弾をぶら下げて,わが茨城県の海岸から,1944年から45年にかけて,9,000個の気球が飛ばされ,偏西風に乗って推定で300個が北アメリカに到達し,実際に人的被害が出たとのことである。

全く自慢にならないが,日本は気球の兵器としての利用では先進国だったのだ。

それはさて置き,アメリカで撃ち落とされた気球と類似するものが2,3年前に日本の上空にあらわれていた。ニュースで聞いた覚えがあるが,それほど問題にされず,政府の見解などあったのか,無かったのか記憶にない。少なくとも,気球をどう考え,どう対処しようとしているかについて,国民には全く知らされていなかった。

当時の防衛大臣だった河野太郎氏は,記者会見で気球の進路について訊かれ,「気球に訊いてください」と答えている。

恐るべき無神経である。

「のんき節」という昔の歌謡曲に,のんきな父さんが疾駆する馬の背中にしがみつき,「父さんどこ行くの?」と訊かれて,「私は分からないお馬にきいとくれ,ハハのんきだね」という歌詞がある。

「○○にきいとくれ」というのは,そのことに関して不見識で,どうでもいいという無責任さを表している。河野氏がこのことを意識して発言したかどうかは知らないが,少なくとも質問した記者,ひいては国民を愚弄したことになる。一国の大臣が「のんきな父さん」では困るのである。

アメリカでの気球への対応を見て,日本でもようやく内閣や国会で,議論が始まった。中国から「アメリカに追随して」と揶揄される始末だ。

日本に飛来した気球について何も分析しなかったというのであれば,危機管理体制の完全な不備ということになる。分析したが結果を秘匿したというなら,これまた問題である。施政者はどのような見解を持ち,どう対処すべきかについて,国民に明らかにし,国会の場で,そして言論の場で議論すべきである。

かといって,過敏に反応し,撃ち落としてしまえというような,ことの解決を武力で済まそうなどということ,これまた極めて危険である。

 

週 刊 朝 日

今日の朝日歌壇に,週刊朝日の休刊を取り上げた和歌が,3首選ばれていた。選者の朝日新聞への忖度かと思ったが,同種の歌の投稿が多かったらしい。その中で共感した1首。

「スマホなど無かった時代の情報源週刊朝日が休刊するとふ」 川越市 西村健児様

生家で取っていた週刊朝日の,吉川英治の『新平家物語』と徳川夢声の対談を楽しみにしていた。

 

雛  人  形

サークルの集まりで利用する土浦市の公民館に,2月早々から雛段が飾られている。九州では春一番が吹いたとか。

 

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風に立つライオン(映画)

2023-02-17 16:14:35 | 日記

風に立つライオン(映画)

NHK BSプレミアムで先月放映されたものを録画しておいて観た。

三池嵩史監督による,2015年にリリースされた日本映画で,さだまさし作詞・作曲の『風に立つライオン』に感動した俳優の大沢たかおが,さだに頼み込んで映画を前提にした小説を書いてもらい,さらに自身が主演する映画の制作に至ったものである。なお,小説は2013年に幻冬舎から出版されている。

歌は,JICA青年協力隊員としてアフリカで3年間働いた医師の体験したことに基いて作られているが,小説と映画はフィクションである。

小説にあるエピソードは,いくつか省略されたり改変されたりしているが,その方が原作に見られた冗長さがなくなっている。

映画のロケはケニアで行われ,アフリカ人の子どもは現地でのオーディションで選ばれたそうで,アフリカらしい雰囲気が伝わってくる。

映画は,2011年3月24日の石巻海岸に津波が残した瓦礫が積み重なっている場面から始まる。雪が降りかかる中に黒人の青年が現れ,麻の袋からトウモロコシの種を手の平にあけ,握りしめる。瓦礫の中にうずくまっていた少年が黒人に気づき,びっくりする。黒人は,「怖がらなくていい。僕の名前は,ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥング,医師です。」と日本語で言う。

この黒人と映画の主人公,島田航一郎とのかかわりが映画の縦糸である。

1987年,ケニアのナイロビにある,長崎大学熱帯医学研究所に,島田航一郎(大沢たかお,熱演)という名前の医師が派遣されてくる。研究所は地域の医療も担っていて,スーダンとの国境に近いロキチョキにある,赤十字戦傷病院へも,医師を派遣している。

航一郎は戦傷病院に運ばれてくる孤児や少年兵の実情を知り,志願して赤十字病院の医師となる。

彼は「オ・ケイ,ダイジョウブ」が口癖の楽天家で,子供たちに慕われるようになる。そんなある日,少年兵で銃創を負った少年が運ばれてくる。この少年は助けを受け入れようとせず,心を閉ざしているが,航一郎のほかの子供たちとの接触を見て,徐々に心を開くようになる。そして,自分の名前はンドゥングだと教える。

インドのマリア・テレサ終末病院から派遣された日本人の看護士,草野和歌子(石原さとみ,好演)はそんな航一郎に最初は反発するが,航一郎の熱意と人間性に惹かれ,一緒に子供たちの面倒を見るようになる。

ある日,病院の看護師が,ンドゥングが鉛筆で書いた航一郎の肖像画を持ってくる。それがあまりにも見事なので,航一郎はンドゥングにミケランジェロというあだ名をつけ,ミケと呼ぶことにする。

和歌子は病院長に談判して,病院の中に孤児院を開き,航一郎とともに子供たちに勉強を教える。なお,和歌子はこの仕事に身を捧げ,現地でがんのために亡くなる。

クリスマスの日に,ンドゥングは航一郎に,「自分は少年兵で人を9人も殺しているが,医者になれるか」と問う。航一郎は「ダイジョウブ,9人を殺したなら一生かけて10人の命を救えばいい」と答え,ンドゥングを抱きしめる。

航一郎は,ある日国境近くの村に往診に出かけ,ゲリラに遭遇して襲われ,行方知れずになる。

映画では,航一郎の日本にいる恋人との別れ,子供時代の吃音の克服,長崎大学付属病院の医師だった時の患者への対応などいくつかのエピソードが語られているが,最後の話を紹介する。

2011年の3月11日から日ならずして,一人の老婆がロキチョキの赤十字病院を訪ねてくる。そして,今日本は大変なことになっていて食糧も不足しているだろう。自分は日本人の医師に命を救われた。どうかこれを日本に持って行って,播いてほしい。」と,麻袋に入れた,トウモロコシの種を差し出す。

映画は,終わりに冒頭のシーンを再現する。「私の名前は,ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥング。ダイジョウブ」と言って,握っていた種を地面に撒く。

最後に歌うさだまさしの『風に立つライオン』と,その中に響く『アメージング・グレース』のメロディーは荘厳である。

全編を通じてあふれるのは「善意」,善意が善意を呼ぶ。年取るにつれて涙腺がたるんできていて,善意には特に弱い。映画を見ながら何回も目を潤ませた。

心が洗われる映画である。

なお,『風に立つライオン』からの収益の一部は,「公益法人風に立つライオン基金」としてアフリカの医療を支援しているとのことである。また,映画でアフリカからのトウモロコシの種を播いたのは,植物防疫法違反の行為である。小説ではその点について,ンドゥングが種を無断で持ち込んだのは違法だと認識し,誰か確かな人に渡したい,と言っている。(写真はすべてテレビ画面を撮影)

 

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小噺2題

2023-02-15 17:14:00 | 日記

小  噺  2題

(スペイン語教室の教材から)

クリスマスの贈り物:

クリスマスに,トビアスは叔父さんから手紙をもらった。叔父さんは農場を経営していて,トビアスに鶏を送ったので,駅に受け取りに行くようにとのことだった。

トビアスは喜んで,家族と一緒に駅に行って,鶏が入っている段ボール箱を受け取った。

ところが運が悪いことに,帰る途中で箱が壊れてしまい,鶏が逃げ出してしまった。一家は総出で,村の中を駆けまわって鶏のあとを追っかけ,何とか捕まえることができた。

翌日,トビアスは叔父さんにお礼の手紙を書き,その中で前日の事故について報告した。

「運が悪いことに,一生懸命鶏を追いかけたのに,9羽しか捕まえられませんでした。」

数日後,トビアスは叔父さんからもう1通の手紙を受け取った。そこには,次のように書いてあった。

「愛する甥っ子や,不運を嘆くんじゃない。あべこべだよ。わしがお前に送った箱には,4羽しか鶏は入っていなかったはずじゃ。」

 

老人の恋:

トビアスの昔からの知り合いのエリアスは,妻に先立たれ,子供たちも独立しているので,無聊を慰めるために,旅行に出かけることにした。旅行社に相談すると,グループツアーを勧められた。いろいろな人たちが参加し,新しい知り合いもできると聞いて,ギリシャへのツアーに参加することにした。

旅行から帰ったエリアスから,トビアスに電話がかかってきた。

「なあトビアス。君は昔からの友人で,経験豊かだから相談にのってほしいんだが,ギリシャのツアーでペネロープという素敵な若い女性と友達になったんだ。彼女はわしのことを気に入っていて,わしは彼女と結婚出来たらと思っている。しかし,75歳にもなって若い女性と結婚するにはどうしたらいいかわからないんだ。」

トビアスは訊いた。

「で,彼女はいくつになるの?」

「22歳だ。」

「ウウンそれなら」トビアスは言った。「君は有り金全部はたいて,彼女に君が大金持ちだと思わせるようにするんだ。そして,自分は85歳だと言えばいいよ。」

 

バレンタインデー

わが家でたった一人の元乙女から,オレンジを模ったフランス製チョコレートを頂戴した。これは何チョコ?

 

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トンコリ

2023-02-13 20:04:31 | 日記

ト  ン  コ  リ

一昨日の『おんがく交差点』のゲストは,トンコリ奏者のOKIさんだった。

トンコリは樺太から北海道に伝わってきたアイヌの楽器で,トンコという北海道に自生するマツの仲間の木から作られている。5弦が原則だが,OKIさんは6弦にして演奏している。

トンコリは女体をなぞらえた形をしていて,頭部,胴体の部分からなり,胴体の中には心臓に相当する石が埋め込まれている。OKIさんは黒曜石を埋めているそうだ。

開放弦のまま,左右の手の指でメロディーを奏でる。難しい曲は弾けないという。しかし,やや哀愁を帯びた,素朴なメロディーとリズムは独特の雰囲気を醸し出す。

アイヌの間では,極めてポピュラーで,各戸に一台はあったらしい。OKIさんが弾いた2曲は,広場に投げ込んだ帽子を目隠しして杖で探すゲーム,二人の男が口げんかする様子を,それぞれ歌っているとのことだった。

ゲストのOKIさんは変わった経歴の持ち主で,東京藝術大学で工芸を学び,アメリカにわたって映画の仕事をし,日本に戻って北海道を旅している時,従弟からトンコリを与えられ,以来独学で練習した。祖父がアイヌの酋長で,自分の中にアイヌの血が流れているのを自覚している。

トンコリの演奏でOKIさんが目指すところは,世界のいろいろな楽器・音楽とのコラボで,トンコリの可能性を広げていくことだそうである。アイヌの伝統的な楽器がいろいろな楽器と和して,新しい文化を作って行く。夢のある話に思え,なんだか楽しくなる。

最後に,大谷康子さんとのコラボで,その夢を垣間見たように感じた。

いつもながらのことだが,大谷さんのヴァイオリンは,OKIさんが作曲したKAI KA AS TOの意を汲みとって,トンコリに寄り添う,素晴らしい演奏だった。(写真はいずれもテレビ画面を撮影)

 

菜  の  花

阿見プレミアムアウトレットにて,2月12日カミさん撮影

 

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哀悼 上條宏之君

2023-02-11 16:10:23 | 日記

哀悼 上條宏之君

松本在住の姉からの一昨日の電話で,上條宏之君が7日に亡くなったのを知った。

宏之君は中学一年の時に,お父さんの郷里の和田村に引っ越してきて,知り合いになった。物静かな秀才で,わたしとは成績がライバルのような関係だったが,余り意識せずに親しく話すことが多かった。中学卒業後,ともに松本深志高校に進んだ。3年間を通じて同じクラスにはならず,彼は文科系,わたしは運動部系のサークルにそれぞれ属していたので,学校で話すことはあまりなく,秋津会と称する同じ村出身の深志生の集まりで一緒になり,歌ったり話したりして遊んだ。

高校卒業後,彼は東京教育大に進学し,お互いに会うことが無くなったが,大学卒業間際に,帰郷した折に会い,日本史を専攻し,家永三郎氏に私淑していることを知った。

その後,彼が長野吉田高校から母校の松本深志高校の教諭を経て,信州大学教養部の助教授に転じたことを風の便りに聞いた。

彼と再会したのは,お互いに大学の教職に就いた後での中学の同級会で,お互いの専門の話を紹介し合った。当時彼が研究していた富岡製糸場に由来する長野県の製糸工業の歴史の話を聞き,著書『絹ひとすじの青春 「冨岡日誌」に見る日本の近代化』(日本放送協会出版)の献本を受けた。

私の生家は製糸工場を営んでいたので,その内容は大変懐かしく,興味深く読んだ。この著書および富岡製糸場に係る宏之君の仕事が,学会で高い評価を受けていることは後で知った。

その後も,お互いに中学の同級会で顔を合わせ,折節の近況を伝えあった。

宏之君は信州大学から長野県立短期大学に転じ,学長を長く務めた。短大の4年制大学への組み換えの仕事に取り組み,2018年の長野県立大学発足に大きな役割を果たした。その年の同級会で会った折,初代学長にならないのかと訊ねたら,「もうほかの人に決まっているよ。」と恬淡として答えた。

学長時代の2009年に,長野県北の木島平村で,「全国ヤーコンサミット」を開催した時,学長室に宏之君を訪ね,講師の推薦と派遣をお願いしたところ,その場で教師の方を紹介してくれて,おかげで立派なシンポジウムを行うことができた。

宏之君は故郷に居を構え,旧和田村の歴史や,地方史の編纂や出版に労を惜しまず,和田村出身の歌人窪田空穂記念館の理事長を務め,地元ではなくてはならない存在だった。

それだけに,わたしが実家の家屋敷を整理することを知って,残念で寂しい思いを綴った長文の手紙をもらった。

2018年,宏之君が春の褒章を受けた折に,お祝いの手紙を書き,その返礼に彼の半生記をもらったのが,最後の通信となった。

訃報に接して,あらためて半生記のページをめくり,真摯な学究としての上條宏之君の足跡に敬意を覚え,思い出に浸った。

冥福を祈る。

 

蝋      梅

探していたが,なかなかお目にかかれず,今日の散歩道でやっと見つけた。

 

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コラム記事から

2023-02-09 19:51:33 | 日記

コラム記事から

昨日の朝日新聞の26面に,面白いコラム記事が二つ載っていた。

一つは歌人の俵万智さんによる『言葉探し 同行の旅』,もう一つはミュージシャンにしてコラムニストの後藤正文さんの『豊かさを求めた後の責任は』である。

俵さんはNHKの「プロフェッショナル」という番組の取材申し入れを承諾したところ,ディレクターのH氏が現れ,何か行事の際の取材だと思っていたのと異なり,短歌ができる「現場」を撮りたいという。

そして,どんな時に短歌が生まれるか訊かれて,テンプレ(templateの日本式略語と初めて知った)で用意してあった,「あらゆる場面で心が揺れたとき,(中略)その場面から言葉探しの旅が始まります」と答えたところ,H氏はその場面に立ち会って,旅に同行したいという。

自分でもいつその場面が訪れるか分からないのに,無理な話と思っていた。しかし,だんだんと要領をつかまれたのか,H氏が干し柿を熱心に撮っていた翌朝,干し柿の短歌がいくつもできてしまった。

こうなると,俵さんも面白くなり,真剣に向かい合うようになったが,失敗もあった。ボーイフレンドとのお茶飲みにH氏は目を輝かせてついてきて,恋の歌が生まれるのを期待したらしいが,望み通りにはいかなかった。

結局,観察されながら俵さんは百首余りの短歌を詠んだ。番組の方は27日に放映されるという。面白そうだ。

後藤正文さんは,原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定を,「政府の責任で取り組む」という言葉について,数万年の管理が必要とされる廃棄物の行く先も決めずに進めてきた原子力行政の是正という意味で「政府の責任」というのは相応しいと思う。

しかし,数万年先の人類にとって,現在の政策にかかわる人間は誰も生きておらず,この責任は無意味であると,後藤さんは考える。

そして,水俣病被害者緒方正人さんの『チッソは私であった』を読み直し,緒方さんが発する「公害を生み出した責任は豊かな暮らしを求めた私たち自身にもある」という言葉の重みから,私たちが求める豊かな生活は,そうした加害の可能性を持っているのに,その責任をどう考えたらいいのかと問いかけている。

根源的な問題提起である。答えは探し続けなければいけない。

 

同  級  会

大学の同級会を4月に計画している。

高校の同級会3月開催の通知が今日届いた。

快哉快。米寿の年をいざ祝おう。

 

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