パーカッション
わたしは,70歳近くなって,ラテンパーカッションの練習を始めた。そのきっかけは栗である。
ある晩,同僚のH氏から電話がかかってきた。わが家の近くにあるラ・クラベ・カサ・デ・マロンというキューバ料理の店にいるので,出てこないかというお誘いだった。
その店のことは,車で通りかかって看板を見て知っていたので,出かけることにした。
H氏は栗の研究家で,マロン(栗)の名前に誘われて店に入り,出された料理がなかなかおいしいので,わが家が近くにあるのを思い出し,呼び出したという次第だった。
実はマロンというのは栗色の毛を持ったイヌの名前で,この店のオーナーの飼い犬だった。オーナー兼シェフがこの犬を社長として遇し,店の名前にしたということだった。
客席に挨拶に来たオーナーと話をして,彼が元東京キューバンボーイズのパーカッショニスト渡辺康之さんであることを知った。話の流れで,70歳近い老人にもパーカッションを教えてくれるのかと訊くと,どうぞどうぞということになり,それから2,3日して,店を訪ねた。
わたしはかねてから,何か楽器の演奏を習いたいと思っていたが,リズムとメロディーを両方受け持つのは大変で,パーカッションならリズムだけ面倒見ればよいと虫のよいことを考えて入門することにした。
これはとんでもない思い違いで,カラオケでマラカスが振れたらと言ったら,「マラカスは難しいですよ」と言われ,事実その通りで,師匠のようなキレのある音を出すには至らなかった。
このカサ・デ・マロンで出される料理はとてもおいしくて,子供や孫たちが遊びに来た時には,夕飯を一緒に食べに行った。マロンとも仲良しになった。
孫とマロンと渡辺師匠(右上隅)と
また,この店はライブスペースとしても利用でき,師匠の人徳と顔の広さから,ラテン音楽の一流アーティストたちが訪れ,生演奏を聴くのも楽しみだった。
渡辺師匠のレッスンは,とにかく楽しくという方針で遊ばせていただいたが,リズムそのものはゆるがせにしなかった。こちらも出された宿題は一生懸命頑張った。
孫が遊びに来るので一緒にパーカッションを楽しみたいと,幼児用のCDを持参したら,1時間以上かけて全部の曲に伴奏をつけて指導してくれ,おかげで楽しく孫と遊ぶことができた。友人のボランティア活動を手伝った時には,演奏予定の曲の伴奏を,使う楽器の種類も含めて,すべて編曲してくれた。どんな音楽であれ,おろそかに扱わないという気持ちが伝わってきた。
古希のお祝いに,家族からボンゴをもらい,本格的にボンゴの練習を始めた。3年ほどして,師匠からパーカッションのアンサンブルをしないかというお誘いを受け,メンバーを紹介された。年齢差50歳近くの老若男女6名のチームが結成され,「ロス・ソニードス(Los Sonidos;音たち)と命名した。
師匠が作曲した5曲くらいを持ち歌にし,練習した。作曲料をと申し出たが,楽しんでもらえれば十分と,絶対に受け取らなかった。
演奏にある程度まとまりができたところで,聴衆の前で演奏するように指示された。チラシを見たら,入場料を取ることになっていて,びっくりした。もっとびっくりしたのは,ギャラを頂戴したことである。冷や汗三斗というところだが,楽しかった。
ライブ演奏は2回行ったが,そのころ師匠が病に倒れ,半年足らずで亡くなられてしまった。痛恨の極みだったが,カサ・デ・マロンは閉鎖になり,ロス・ソニードスも自然解散になった。
師匠は落語が好きで,先々代の古今亭市志ん生の全集カセットテープを持っていて,もらってくれないかとわたしに託された。大切にしている。
聴くだけでなく,演奏するという音楽の楽しみの窓を開けてくれた,渡辺康之師匠を偲び,心から感謝している。
STOP WAR!