羽花山人日記

徒然なるままに

筑波山

2025-01-30 19:58:27 | 日記

筑 波 山

朝夕にベランダから筑波山を眺めている。

孤立峰なので実際より高く見えるが、標高は877mで、日本百名山の中で一番低い山である。

西の富士、東の筑波と並び称されるようだが、高さの差は歴然としていて、ちょっと身贔屓の感じがしないでもないが、『常陸國風土記』にはつぎのような逸話が書かれている。

諸国をめぐり歩く神祖尊(みおやのみこと)が、新嘗の日に富士山に一夜の宿を頼んだところ、富士の神は新嘗祭で忙しいからと断った。神祖尊は「この山は生涯冬も夏も雪が降り積もって寒く、人が登れず、飲食を供える者もなくしよう」恨みを籠めていった。今度は常陸の筑波山に行き宿を乞うと、筑波山の神は新嘗祭にもかかわらず快く宿を供してもてなした。喜んだ神祖尊は、「…天地(あめつち)とひとしく 月日と共同(とも)に 人民(たみぐさ)集い賀(よろこ)び 飲食(みけみき)豊かに 代々(よよ)絶ゆることなく 日々に弥(いや)栄え 千秋万歳(ちあきよろずよ) たのしみ窮(きわま)らじ」と歌った。それから富士山はいつも雪に覆われて登る

山腹に筑波山神社があり、伊弉諾・伊人もなく、筑波山は昼も夜も人が集い、歌い飲食をするようになったという。弉冉の二体が祭られている。ベランダから見て左側の峰が男体、右側が女体である。

なお、茨城県の市町村で、筑波山の見えるところがどこにもないのは一つしかないそうである。

毎年正月には初詣に行き、時にはケーブルカーで男体山の頂上近くまで行っていたが、4年前をもってお終いにした。

信州の山に比べればなんともかわいらしいが、眺めて心休まる山である。

いずれも自宅ベランダから撮影

 

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八十九歳

2025-01-28 16:26:10 | 日記

八十九歳

10日前に89歳になった。

88歳からひとつ増えたからと言って、特に感慨があるわけではない。来年90歳になることができたら、多分もっと感慨深いだろう。しかし、89年間何とか無事に来られたのはありがたいことである。

父のことをふと思う。父は1900年生まれで、1993年に亡くなっている。この生涯で生じた世の波風は実に容易ならざるものだった。日露戦争、第一次世界大戦、対中戦争、太平洋戦争と40代の半ばまではほぼ戦争続き。戦後も社会体制の大きな変革があった。人生の半分をその時代に過ごし、それに伴う父自身の一身上の変化も、わたしから見れば波乱万丈であった。

それに比べれば、わが人生なんと平穏だったことか。それはやはり、これまでの人生の90%に戦争がなかったことが大きな要因ではないだろうか。

平和のありがたさをしみじみと感じる。

蛇足の暇つぶしを:

89は素数である。自身と1以外に約数がない孤独な数だ。この前年齢が素数だったのは83歳の時で、その1年が特に孤独だった記憶がないので、縁起を担ぐ必要はなさそうだ。

次の素数は97。この孤独な数を背負うことはまずないだろう。

ついでに、生まれた年のことについて。

わたしの生年、1936は44の二乗の平方数である。次の平方数までは生きていないだろうと思っていたら、今年が45の二乗の2025で、平方数が生年の人と会うことができることになった。

46の二乗は、2116。今年生まれた人が91歳まで生きれば巡り合える。

 

左眼手術終わる

左眼の白内障手術が無事終了した。

手術の前、親からもらったレンズでこの世を見るのは最後と、看護士さんを見つめたら、変な顔をされた。

歯は入れ歯、耳は補聴器、眼はプラスチックレンズと、なんだかアンドロイドに近づいたようである。

手術の前に白内障手術で事故が起きる確率は1/3000と聞いた。以前心臓のカテーテル検査を受けたとき、事故の確率は1/10000と聞いていたので、やや高いと感じたが、得られる利益を考えて躊躇なく手術を受けることにした。

この確率が1/1000だったらちょっと考えたろうし、1/100だったら受けなかったろう。逆に、医術の方からすれば、1/3000であれば患者に利益をもたらす安全な手術とみなしていることになる。

100%安全な技術や装置はない。どこで安全の線を引くかはリスクvs.ベネフィットの問題であり、ベネフィットがだれにとってどのようなということを考えると、一筋縄ではいかない問題である。

 

勢ぞろい

散歩の途中で

 

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背番号11

2025-01-26 20:44:33 | 日記

背番号11

佐々木朗希選手のドジャース入団の記者会見をテレビで観た。

奇を衒わず。訥々として答える姿に好感が持てた。ロスアンゼルスの山火事被害への心配りも忘れず、自身の震災・津波被害と重ね合わせて、ロス市民を激励していた。

ドジャースを選んだ理由に大谷、山本の存在を意識したかとの問いに、きっぱりと否定し、フロントの対応が良かったからと答えていたのに心意気を感じた。とはいえ、日本人のドジャース熱はまた一段と上がるだろう。

高校以来、大事に育てられて来た逸材。自身も誇る速球とフォークに、さらに磨きをかけて活躍することを期待する。

同僚となる選手から譲ってもらった背番号の11には、2011年3月11日、亡くなったお父さん、おじいさん、おばあさん、そしてあの大震災の被害者への思いが込められているのだろう。

怪我をしないようして、けれんみのない真っ向微塵の投球で、大活躍することを期待する。

 

戦国大相撲

大相撲初場所は、三つ巴の決勝戦の末大関豊昇龍が優勝を飾った。

自身は元横綱朝青龍の甥、三つ巴戦を争った王鵬は同じく元横綱大鵬の孫というのも何かの因縁だろう。

金峰山を先頭に1敗から3敗までの力士が終盤まで並び、今場所も下克上かと見ていたが、最後は大関の貫禄が制した。

それにしても、最近の大相撲は番付上位に実力者や曲者が名を連ねていて、群雄割拠の趣がある。横綱、大関は盤石であるべしと、一時はそのふがいなさを嘆いていたが、この頃はその方が面白いと思うようになった。

しかし、琴桜はいただけない。先場所優勝した時は一皮むけたように感じたが、横綱昇進を期待され、蚤の心臓が復活してしまった。育ちが良すぎるのだろうか。

同じ大関のわが大の里は、大関2場所目でようやく二桁の白星を挙げた。

わたしは、彼が二場所優勝を引っ提げて大関に昇進した時、そのまま突っ走るよりは、一度辛酸をなめて実力を蓄えた方がいいと思っていた。その意味では、今場所はよかったのではないか。敗けた相撲は、相手に見透かされて欠点を突かれていた。それを糧とし、来場所はじっくりと腰を落として優勝を狙って欲しい。

それにしても、いつも感じることだが、外国出身の力士はどうしてあんなに日本語が上手なのだろうか。

 

買い物の途中で

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左甚五郎の置き傘

2025-01-24 20:09:59 | 日記

左甚五郎の置き傘

昨日のブログで、イチロー氏の野球殿堂入り推薦の投票結果が満票にならなかったことに関連して、「左甚五郎の置き傘」であると書いたところ、友人の一人から、満票を逸したことと置き傘とはいかなる関係があるかと質問が来た。

言われてみると、確かに舌足らずで尻切れトンボの記述であると気づき、ここに捕捉する。

「左甚五郎の置き傘(忘れ傘)」は。知恩院本堂で見ることができる。なぜそこに傘があるかについては、いろいろな伝説があるようだが、わたしが聞いていたのは以下のとおりである。

甚五郎が知恩院の工事が終わったとき、そのあまりにも完璧であることから、魔がさす恐れがあり、わざと傘を置き忘れたようにして魔除けにした。

イチロー氏の殿堂入りを問う投票で、賛成票を入れなかった記者に非難が集まっているようだが、その記者はイチロー氏に魔がささないように配慮したと考えれば許せるのではないか、というのがわたしの言いたかったことである。

遅蒔きながらご理解願いたい。

ものの本によれば、左甚五郎は名工の誉れ高い職人とされているが、実在したかどうかもあやふやらしい。しかし、落語にはしばしば登場する。

お気に入りを一席。

甚五郎が旅をしている途中で、とある商家に頼まれ、鼠の彫り物を作った。見事な出来栄えで、店先に置くと体を小刻みに振るわせて、まるで生きているようである。それが評判となって、その店は繁盛した。

向かいの商店の主が悔しがり、やはり名工の名が高い職人に虎の彫り物を頼んで鼠をにらみつけるようにした。

すると、鼠の動きがぴたりと止んでしまった。

店の主は大慌てで、何とかしてほしいと甚五郎に来てもらった。

甚五郎は虎の彫り物を一目見て言った。

「なんだ。猫か。」

お後がよろしいようで。

 

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快挙だ!イチローさん

2025-01-23 19:17:50 | 日記

快挙だ!イチローさん

元大リーガーのイチローさんの、日本人では初めての、アメリカ野球殿堂入りが決まった。まことにめでたい。日本での野球殿堂入りが花を添えている。

記者投票満票を逸したのはちょっと残念だが、完璧すぎるのは縁起が悪いともいう。左甚五郎の置き傘である。

3089安打、509盗塁を、27歳という遅い年齢の大リーグ加入にもかかわらず達成した。恐るべきことだ。

以前、イチローさんが、自分を天才だと言っていることを、読むか聞いたことがある。しかし、それは、努力の裏付けがあってということだった。磨きあげられた珠玉と言うべきだろう。

わたしが彼のプレーで一番好きだったのは、ライトからキャッチャ-や内野手に送られる矢のような送球だった。

野球殿堂入りは受諾しても、国民栄誉賞は辞退する。そこに彼の哲学があるのだろう。

 

コカリナそして蕎麦

昨日は、コカリナ同好会「ひびき」の新年会だった。

今年2回目の練習日だったが、前回を休んだわたしにとっては、初練習だった。

課題曲は『琵琶湖周航の歌』と『エデンの東』。歳をとるに連れて、早いテンポは苦手になり、バラード風の抒情曲を好むようになってきた。この二つはもともと好きだった。

練習の後は蕎麦屋に移動して昼食会。会場の「手打ちそば工房 おかだ」を訪ねるのは数年ぶりである。

閑静な住宅街の一角にあるしもた屋がお店で、完全予約制、予約は1日1件に限り、料金は格安の採算度外視の経営である。

蕎麦打ち三段のあるじによる手打ち蕎麦は、噛み心地良し、喉越し良しの絶品。蕎麦を堪能した後は別室にしつらえられたコーヒーとケーキを頂戴しながら、談笑とコカリナ吹鳴に興じた。

今年も、「コカリナわが友」で1年を過ごそう。

 

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連れション

2025-01-21 20:02:47 | 日記

連れション

夕方のNHKニュースを観ていたら、「連れション」という言葉が字幕に現れてびっくりした。ジェントルマンを自任するわたしは、少なくともご婦人の前では絶対に口にしない言葉である。ところが、淑やかそうな女性アナウンサーも、淡々とこの言葉を口にしている。

しかし、これはれっきとした学術報告のニュースであった。

京大大学院博士課程の大西絵奈さんは、京大野生動物研究センターで飼育する20頭のチンパンジーを観察して、近くにいるチンパンジーが小便をするとつられて小便をする傾向があることを発見した。この傾向は順位が低い個体ほど大きいという。

大西さんは、「連れション」というよりも、「つられション」というべきだといっている。

この結果は、京大のホームページ(チンパンジーにおける排尿の伝染―仲間がおしっこすると、つられておしっこする― | 京都大学)、あるいは投稿論文が掲載されたCurrent Biologyの電子版(https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(24)01594-X?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2F)で読むことができる。

わたしは動物行動学の話を聞くのが大好きだが、研究者はひたすら対象を観察することで法則性を見出す。運根鈍である。

有名なミツバチの「8の字ダンス」を発見し、ノーベル賞を獲得したカール・フォン・フリッシュは、巣箱の下に寝そべって、ひたすらミツバチの動きを観察したという。

大西さんもチンパンジーのおしっこを観察するのが大変だったとおっしゃっている。

ユニークで面白い結果を発見したこの若手動物行動学者に拍手を送りたい。

 

神  よ

ドナルド・トランプ氏が返り咲きアメリカ大統領に就任した。

就任式には歴代大統領夫妻が列席していたが、オバマ元大統領夫人のミシェル氏が欠席したのが印象的だった。

彼の就任の衝撃が1期目に比べて小さかったのは、トランプ⇔大統領という組み合わせに対する違和感が減少したためであろうか。

しかし、言うことは前にも増して過激である。

TikTokはアメリカでのサービスを再開し、「言論の自由」を言うトランプ氏のおかげと言っている。どんな「自由」が展開されるだろうか。

パリ協定からの離脱を表明し、化石燃料を「掘って掘って、掘りまくれ」とアジり、EV車の義務化を廃し、ガソリン車を奨励している。環境問題や地球温暖化などのニュースは、トランプ氏にとってはフェイクなのだろう。

選挙運動中の襲撃事件を2度にわたって切り抜けたことの理由を、「神がわたしを救ったから」とトランプ氏は言う。

わたしは言う。神よ、地球を守りたまえ。

 

ホワイトハウス。2014年撮影。

 

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ドリーム・ホース(映画)

2025-01-19 17:00:39 | 日記

ドリーム・ホース(映画)

2020年に公開された実話に基づくイギリス映画。21世紀の初頭に農村地帯から彗星のごとく現れ、ウェールズの最高レースを制した、ドリームアライアンスという競走馬の物語である。Prime Videoで配信されたものを観た。

ウェールズの片田舎に住むジャネット・ヴォ―クス(ジャン)は、夜はパブのバーテン、昼間はスーパーマーケットの清掃・レジ打ちで働き家計を支えている。

しかし、無気力な夫ブライアンとの暮らし、両親の介護と、生活に張りがなく、なにか打ち込めるものを求めていた。

ある日パブに現れた税理士のハワードが、以前に競走馬を所有していたという話を聞き、ジャンは自分も競走馬のオーナーになるという夢を持ち、有り金をはたいて引退した牝馬ルーベルを購入する。

ハワードに協力を求めるが、種付け料だけでも多額な資金が必要と、相手にされない。

ジャンは組合員を募って投資させ、資金調達を計画する。そして、応募した夫をはじめとする地元の村民20人で馬主組合を結成し、週に10ポンドの会費を集めることにする。

ハワードは、最初はためらっていたが、かつて挫折した馬主の夢を忘れがたく、妻に内緒で組合員となり、指導と経理に当たる。ハワードは、馬主として大きな損失を出し、妻には競馬にかかわらないことを約束させられていたのだ。

ジャンは資金を捻出して種付けに成功し、仔馬が生まれるが、母馬ルーベルは難産で死亡してしまう。

馬主組合員の協議により、仔馬の名前はドリームアライアンス(夢連合)と決定する。

ジャンとブライアンは、ハワードの助言で、名調教師の名が高いホッブズの厩舎に成長したドリームアライアンスを連れていくが、農村からアポなしで押し掛けたジャンたちは冷たくあしらわれる。しかし、ホッブズ調教師は、鞍をつけて馬場を走るドリームアライアンスに非凡なところを感じ、厩舎に預かることにする。

初めて地方競馬に出場したドリームアライアンスは、走るのを嫌って6馬身遅れてスタートするが、最後は4着となり、貸し切りのマイクロバスで応援に来た馬主組合員は大騒ぎする。

ドリームアライアンスはその後も地方競馬で好成績をあげ、ホッブズ調教師は重賞レースへの出場を決める。競馬場のオーナー席で組合員は大はしゃぎし、並み居るお歴々をびっくりさせる。場内アナウンスは、ドリームアライアンスを田園育ちのサラブレッドと紹介する。

ドリームアライアンスは見事に優勝し、有名な馬主から高額での譲渡を打診されるが、ジャンは一言の下に拒絶する。この独断は組合員から非難され、ジャンは窮地に立たされるが、ハワードの発言に救われる。

しかし、好事魔多し。次のレースでドリームアライアンスは障害につまずいて腱を傷つけてしまう。

その場で安楽死させるか、失敗すれば多額の損失が出る危険な手術を受けさせるか、組合員は即断を迫られる。自分たちに夢を与えてくれたドリームアライアンスに、われわれが夢を与えるべきだというジャンとハワードの発言で、組合員は手術を決定する。

奇跡的に手術は成功し、再生手術によって腱は前よりも強くなる。そして、ホッブズ調教師はウェールズの最高レース、ウェルシュナショナルへのドリームアライアンスの出場を馬主組合に打診する。

復帰第一戦をそんな大レースにすることは危険だと組合員で一人反対するするジャンを、夫のブライアンは説得し出場を決める。

ドリームアライアンスのオッズは50。最後尾を走っていたドリームアライアンスは徐々に順位を上げ、最後は本命馬とデッドヒートを演じ、1馬身差でウェールズ最高の賞を獲得する。

映画では、夫の真意を知って理解した妻と税理士ハワードの和解、ドリームアライアンスに励まされたブライアンの農業への情熱の再燃、介護させるだけで自分を無視していた父の遺品からドリームアライアンスの新聞記事のスクラップを発見して号泣するジャンなど、人情噺も散りばめられている。

とにかく底抜けに明るい演出である。一つ一つのシーンに笑いが籠められ、何回も腹を抱えさせられた。

競馬のシーンでは実況中継の音声が流され、思わず手を握ってドリームアライアンスを応援してしまう。競走馬の映画ではいつも感じるが、出演したお馬さんたちの演技は、主演のトニ・コレットにも増して見事である。

ちなみに、ドリームアライアンスの生涯獲得賞金は13万7千ポンドで、組合員は1430ポンドの配当金を得たという。

この映画は三が日明けに観た。楽しい初笑いをさせてもらった。

 

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地震の確率

2025-01-17 19:25:07 | 日記

地震の確率

阪神淡路大震災から30年が経過した。

当日、わたしは大学入試センター試験の業務で東京にいた。テレビで地震の惨状を観ながら、これが試験の実施された前日だったらと、ぞっとしたことを記憶している。

この30年間にいくつも大きな地震があった。2004年に起きた中越地震の後で訪れた旧山古志村で、被災者の方から、わたしにしてほしいこととして、「忘れないで欲しい」と言われた。以来その言葉を肝に銘じている。

ところで、今年になって、南海トラフ巨大地震の30年以内に起きる確率が80%に引き上げられた。

この確率はちょっとわかりにくいところがある。天気予報の降雨の確率は、雨が降ると予報してそれが当たる確率で、過去のいろいろなデータから計算されるらしい。100%ならその日あるいはその時間に確実に雨が降るということで、0%なら傘の心配は無用ということである。

南海トラフの場合は、30年間という長い年月のどこかでということで、雨降りのようにいつということが実感できない。

今の地震予知技術では、いつどこでということを予言することができない。以前、地震予知連絡会の会長が、「地震はいつどこで起きてもおかしくない。」と言っているのを聞いて、いささか白けた気分になったが、むしろ正直な発言と理解すべきだろう。

だから、この80%という確率は、30年間のどこかでということになり、いつどこでということは含まれていない。

南海トラフ巨大地震は、過去に100年から150年の間隔で起きていて、最後の南海トラフ地震は1946年でそれから80年が経過している。100~150年のサイクルの80年が経過し、残りが短くなると起きる確率は高くなるといいうのが、根拠の一つとなっているようだ。

この理屈で言うと、南海トラフ巨大地震が起きない期間が長くなるにつれて、確率は100%に限りなく近づいて行くということになる。100%と言われたら人はどう感じるのだろうか。30年以内に確実に巨大地震が起きるのである。しっかりした対策が提示されないと、パニックが生ずるのではないだろうか。

しかし、一方で、この80年間に、東日本大震災のような南海トラフとは直接の関係のない大きな地震がいくつも発生している。南海トラフの震源域から離れたところにいるからと言って、安心できるものではない。

阪神淡路大震災30周年を機に、兜の緒を締めなおすことにしよう。

2004年の中越地震による山崩れで土砂に埋まった集落。

2007年旧山古志村で撮影。

 

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白内障手術

2025-01-15 16:15:34 | 日記

白内障手術

昨日右眼の白内障手術を受けた。

わたしの父は84歳で白内障の手術を受け、世の中が明るくなったと喜んでいたので、わたしも白内障恐れるに足らずと思っていた。また、この手術を受けた知人・友人が簡単だったというのを聞いていたが、さすがに眼の中をいじられることにいささか神経質になっていた。

手術を受けたのは、徒歩で5分ほどの眼科医院で、執刀医の腕がいいとの評判を聞いていた。

手術の1カ月前にオリエンテーションがあり、あれこれ注意事項を聞かされたが、なるほどと思ったのは、当日は襟ぐりが緩やかか前開きの衣服を着用との注意だった。術後の着替えで、首が窮屈なプルオーバーは眼をこすってしまう。

理解に苦しんだのは、入れ歯をはずせという事項だった。理由を看護師さんに尋ねたが、こちらの耳が悪いせいか、よくわからなかった。しかし、入れ歯は外すことにした。

挿入するレンズについて説明があり、3焦点というのが魅力的だったが、保険適用外と聞いてあきらめ、遠距離の単焦点を選んだ。

麻酔は眼に注射するのかとびくびくしていたら、何回かの点眼で行われたのでほっとした。

眼の中をぐりぐりされるのはあまり気持ちのいいものではなかった。超音波でレンズを粉砕して吸い出し、人工レンズを挿入するという手順の説明を読んでいたので、何か音や動きを感じるとその手順を想像していた。

手術した眼はガーゼで覆われ、今朝まで独眼で生活した。両眼があることのありがたさを実感した。

今朝、医院でガーゼをとってもらって、目に入った周囲がはっきり・くっきりしているのには驚いた。右目と左目の結ぶ映像の差は歴然としていた。

父は93歳まで入れたレンズで支障がなかったので、わたしもこれは生涯ものだと思っている。

28日の左眼手術に勇んで臨む。

寒天の下で

日本水仙

紅白の南天

 

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未知との遭遇

2025-01-13 20:10:11 | 日記

未知との遭遇

1月8日にNHKから放映された『クローズアップ現代 アマゾンに10年ぶりに出現した未知の人々「イゾラド」』をビデオで観た。

アマゾン川の上流、ペルーとブラジルの国境地帯の密林には、文明から隔絶されて暮らす人々の存在が確認され、免疫を持たない彼らへの伝染病の感染を防ぐために、ペルー政府は一定面積の森林を立ち入り禁止としてきた。

この森林に、川を挟んで接する集落の人々の前に、2014年「イゾラド」と名付けられた150名くらいの原住民が現れ、集落民は彼らにバナナを渡して、敵対者でないことを示した。また、言葉によってある程度意思疎通ができるようになった。

その後「イゾラド」は森林に姿を消し、消息は分からなかったが、昨年の6月に80名くらいの集団が姿を見せ、世界中を驚かせた。

番組は、四半世紀にわたって「イゾラド」を追い続けてきたNHKの菅井カメラマンの報告をもとに構成されている。

昨年6月に姿を見せた「イゾラド」の集落の人々への振る舞いは10年前と同様で、バナナを受け取り、森に帰っていった。

しかし、異変は10月に起きた。釣りをしていた集落の住民に矢が射かけられ、さらに、40名くらいの集団で現れた「イゾラド」の態度は敵対的だった。そして、彼らとの折衝に当たっていた保護担当官は矢を受けて瀕死の重傷を負った。

彼らは、「森の中で服を着ている奴は悪い奴だ」といい、カメラを見て「あなたたちも武器を置いてください」といったという。

集落では女性と子供を避難させた。NHKの取材班はちょうどこの時期に村に到着し、避難していた人々が帰ってきたのに出会った。

この原住民の変化の原因は推測によるものだが、保護区域には木の密伐採者が入り込んでいて、原住民が銃で撃たれ、その報復として密伐採者が殺されたのではないかと考えられている。それを裏付ける証拠も見つかっている。

この番組を観て、いろいろと考えさせられた。

「イゾラド」と文明人との出会いは、互いに未知との遭遇である。特に「イゾラド」にとってはその感が強かったのだろう。

服を着て言葉をしゃべる人間たちは自分たちにバナナを分けてくれ、その限りでは無害と考えられる。しかし、同じように服を着た人間が鉄砲で仲間を殺した。今までバナナをくれていた連中も服を着て武器らしきものをもっている。やはり危険な存在だ。ということになってしまう。

文明と非文明の接触の難しさが示されている。異文化の接触による悲劇としてあった、ヨーロッパからのコンキスタドール(征服者)による先住民の隷従、虐殺を想起する。現代の文明人はその悪を歴史から学んでいなければならない。

番組の最後で菅井カメラマンと話した漫画家のヤマザキマリさんも言っていたことだが、非文明人も文明に触れることによって、文明化していくことは避けられないだろう。すでに「イゾラド」の中には衣服をまとった人が見かけられている。

私たちは文明の中にどっぷりと漬かっているが、文明とは麻薬のようなものではないかとふと考えてしまう。

 

黎  明

自宅ベランダから撮影

 

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