羽花山人日記

徒然なるままに

年の瀬雑感

2024-12-27 19:29:12 | 日記

年の瀬雑感

大ニュース:今年の重大ニュースのトップは、圧倒的に能登半島地震が挙げられている。東日本大地震の時は怒りを感じたが、今回の震災には悲哀を感じている。それは、過疎あるいは高齢化が付随して露呈しているからであろうか。

自分がこうした災害に遭わなかった幸運に感謝し、言葉と気持ちだけで申し訳ないが、被災された皆様のご健康と被災地の一時も早い復興をお祈りする。

漢字:今年の漢字は「金」だそうである。わたしはこの1年間金(キン)にも金(カネ)にも特段の縁はなかった。

カミさんが骨折、脳梗塞と災難続きだったので、わが家の今年の漢字は「災」ということだろうか。これを転じて来年の漢字を「福」としたいものだ。

戦争:ウクライナもガザも解決は年を越しそうである。異常事態が長期化すると、あってはならないことが日常的な感覚の中に胡坐をかいて居座りそうになる。ブログの最後に書く”Stop War!”に込めた気持ちが形骸化しないように自戒しよう。

革命:アメリカの大統領選挙や兵庫県知事の選挙をめぐって、SNSが既成メディアを制した革命だと評する識者が何人かいる。「プロレタリア革命」などという言葉はもう死語かもしれないが、こちらが縦方向の革命とすれば、SNS「革命」は水平方向の動きのように感じる。わたしもブログやLINEでSNSを利用しているが、XやFacebookには近寄らないようにしている。さわらぬ神にたたりなしとでもいうべきか。「革命」からは無縁である。

ブログ:このブログを始めてから4年が経過した。年賀状を止め、その代わりの生存証明の手段として始めたものだが、この間に約950回ブログを書いていて、1回に2つ以上の題目について書くこともあるので、おそらく1500近くの記事を書いたことになるだろう。

ありがたいことにこのブログを覗きに来てくださる方がいて、訪問者は延べ約18万人となっている。

古い記事を読まれる方もいて、自分で何を書いたか忘れていて読み直すことがある。今でも時々読まれるのは「種苗法」と「ガンマフィールド」の記事で、人物評では新沼謙治さんについて書いた記事を読む方が時々いる。古い記事の誤字を訂正してくださった方もいた。いずれにせよありがたい話である。

ブログはわたしの生活にとって大切なアクセントである。あまり自分にストレスをかけないようにして、のんびりと続けていきたい。

寒  椿

休筆

三が日明けまでブログを休筆します。

ここを訪れてくださった皆さま、

よいお年をお迎えください。

 

STOP WAR!

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年の瀬心の会

2024-12-25 21:30:39 | 日記

年の瀬心の会

5月に再会を約した「心の会」の集まりに行ってきた。

この会の仲間は、50年以上前に催涙ガスや農薬の毒性の研究を通じて知り合い、その後それぞれの道に進んだが、70歳を過ぎてから中の一人が声をかけ、同じ時空を共有した気心が通じ合う仲間として旧交を温め始めたものである。

会場は5月の前回と同じ東京都文京区の菊坂通りにあるハワイアンレストランOGO’s CAFÉ KIKUZAKA。店内はハワイアンムードにしつらえられ、大型テレビの画面からは本場のフラダンスの映像が流されていた。

全員が集まれば7人だが、今日は2人欠席。90歳を超える最長老のKさんは、呼びかけに反応がなく、姿を見せないのが心配である。

話は昔話になり、最長老のわたしが学生時代のサークル活動や学生自治会の話をしたところ、そんなに歳は違わないのにみんなから珍しがられ、時代の「生き証人」として、是非その話を文字にせよと迫られた。そんなに長生きをしたのかとあらためて感じた。

ビールを飲みながら、わたしが「世界的にビールの減少をノンアルコールビールで補っているのは、ビール会社の陰謀で、ビールの代替飲料がノンアルコールビールである必然性はないのでは」と、疑問を呈したところ、「ノンアルコールビールにはホップが入っているので、認知症の予防にいいのだ」と反論された。しかし、下戸にとってはノンアルコールビールは美味い飲料ではないような気がする。

次々と話題が出てあっという間の3時間で、来年5月の再会を約して散会した。

帰路の東京駅周辺は、木々の電飾と人出であふれていた。

日本は平和である。

 

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さようならU・M子さん

2024-12-23 19:53:20 | 日記

さようならU・M子さん

友人から、U・M子さんが亡くなっていたことを知らせるメールが来た。昨日のわたしのブログを読んで、第九コンサートの参加者がそのことを知らないでいることに気づき、知らせてくれたのだ。

昨日も会話の中で、彼女の病状が容易ならざる状態だということは話題になっていたが、まさか亡くなっていたとは。

U・M子さんは、高校同期の集まり、七四会にはなくてはならない存在だった。

誰とも分け隔てなく話し、気を配ってくれた。品のいい服装で、にこやかにしている彼女を集まりの中で見つけると安心感があった。

友の演奏を聴きに行った津軽路の旅、駿河路に共通の友を訪ねた旅、楽しい思い出は尽きない。

身内の不幸で喪中の知らせを差し上げると、いつも見舞いの書状をいただいた。思いやりの人だった。

彼女とは、1年生の時同じクラスになった。村出身のわたしには、町場出身の彼女は品よく毅然として近づき難かった。

英語の授業で、彼女の席はわたしの前になった。ある日、英文の訳を彼女に訊かれ、たまたま調べてあったわたしは教えることができた。それ以来、打ち解けて話ができるようになった。

彼女は授業中後ろ手を組む癖があった。目の前でひらひら動く指が眩しかった。今でも目をつむると浮かぶその幻影を見ながら、別れの挨拶を告げよう。

さようならM子さん。ゆっくり休んでください。

合掌

 

感謝と思いやり

12月21日付けの朝日新聞デジタルに、『きっかけは1通のメール 被団協への「感謝」、機内アナウンスに乗せ』と題する、小川崇記者による記事が載っていた。

スカンジナビア航空の客室乗務員渡辺慶子さんは、ノーベル平和賞を受賞した被団協の代表団が搭乗する帰国便を担当した。渡辺さんは代表団が往復の航空機でエコノミー席に座っていることをチェックしていた。

高齢の代表団がオスロで多忙な日を過ごし、エコノミー席で10時間以上のフライトで帰国するのは大変なことだと思い、ビジネスクラスの席に空きがあるので、そちらに移ってもらうよう、出発直前に、SAS航空のCOEにメールを出した。

COEから「大変いいアイデアだ」と返事をもらい、代表団の3人にビジネスクラスに移ってもらった。

(わたしは、被団協の代表団がエコノミークラスでノルウェーに行ったことに驚いている。彼らがビジネスクラス以上に乗ることに異議を唱える人はいないだろう。3人の方が謙虚だったのか、周りが気が利かなかったのか。)

かねてから、渡辺さんは被団協の活動に敬意と感謝の気持ちを抱いていた。その思いを到着時の機内アナウンスに添えて、日本語で読み上げた。

「これまで生涯をかけて行ってきた、そして、これからも続けていくであろう貴重な活動に対し、深く感謝すると同時に、核兵器も戦争もない平和な世界が一日も早く訪れますよう、心よりお祈り申し上げます」

「これからも平和への声を上げ続けてください。SAS乗務員一同、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます」

機内からは温かい拍手が起こった。

いい話だ。

 

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今年の第九

2024-12-22 20:14:56 | 日記

今 年 の 第 九

年末恒例のN響の第九を聴きにNHKまで出かけてきた。

北千住で乗り換えた千代田線は、わたし以外は全員若者。その中の一人が席を譲ってくれた。木枯らしの中を出かける酔狂な年寄りは余りいないらしい。

このコンサートの楽しみは、音楽のほか高校時代の友に会えること。しかし、年々集まる数が減って、今年は5人だけだった。

指揮はイタリア出身のファビオ・ルイージさん。歯切れのいいテンポの演奏に気持ちよく身を委ねた。

終演後、元N響ビオラ奏者で、この集まりのお世話をしてくださる村山弘さんに感想を伺ったところ、「モダン」な演奏だったとのこと、なるほどと納得した。

NHKを後にして、一同原宿まで歩き、どこかでお茶でもとまわりを見まわしたが、様変わりした原宿駅周辺に、数世代前のわれわれにはどこに入っていいやら見当もつかず、わたしはお先に失礼して帰路に着いた。

来年はどうなるか。あまり考えないでおこう。

ともあれ、楽しい半日が終わり、また年の瀬に近づいた。

なお、原宿でうろうろしている間に、中山競馬場では今年最後のG1レース、有馬記念が行われ、わが投票馬は圏外に沈んでいた。毎年同じことを言ってしまう。来年こそは捲土重来を!

 

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エレクトーン

2024-12-21 19:56:39 | 日記

エレクトーン

今日の『おんがく交差点』(テレ東)のゲストはエレクトーン奏者の神田将さんだった。

わたしは子供たちが小さい時に買ったエレクトーンの記憶があり、ピアノの代替練習用のような認識を持っていたが、今日の演奏を聴いてびっくりした。

ピアニストだった神田さんも、あるきっかけでエレクトーンを見て、子供時代に知っていたものからは格段の進歩を遂げ、多彩な能力を持つようになっていたことに驚き、この道に入ったという。

神田さんは、中国の二胡や能の鼓の音をエレクトーンで聞かせてくれた。そして内包する多様な音を駆使して、1台のエレクトーンでオーケストラの演奏が可能であるといい、『オペラ座の怪人』をソロで見事に演奏した。

大谷康子さんとのコラボは、『風と共に去りぬ』からマックス・スタイナー作曲の『タラのテーマ』、リムスキー。コルサコフ作曲の『シェヘラザード』の2曲。神田さん編曲の「オーケストラ」に乗って、大谷さんはバイオリンの音を響かせ、見事なアンサンブルだった。

『タラのテーマ』に合わせて、大谷さんはスカーレット・オハラに扮したビビアン・リーの衣装をまとい、すっかりその役になり切っていた。

わたしはふと思ったのだが、エレクトーンでオーケストラや能の演奏ができるのは素晴らしいことだが、それだけの機能を内包したエレクトーンならではできないような音楽はないのだろうか。神田さんはきっとそれに挑んでおられるだろう。あとで、YouTubeでじっくり聞いてみよう。

テレビ画面を撮影

 

面会制限

今日の朝日新聞『多事奏論』に、編集委員の岡崎明子さんが、病院による入院患者への「面会制限」について意見を述べている。

岡崎さんは夫が入院した時に自由に面会ができたのに、知人から週1回15分に面会を制限されたという話を聞き、驚いて「面会制限」について取材を始めた。新型コロナが5類に移行したのに、なぜ入院患者への面会がコロナ以前に戻らないのかという疑問である。

ある医師の話として紹介されているのは、面会制限によって感染症や死亡が増えたというエビデンスはなく、むしろ回復の遅れやせん妄を生じるという報告が多いということである。

岡崎さんは、面会制限は誰のためなのかと疑問を呈し、「コロナ以前に戻すことがルールを作る側の務めだと主張している。

カミさんが入院した時に申し渡された面会のルールは「面会者は2名まで、週2回以下で時間は10分以内、17歳以上の親族のみ」であった。

ちょっと厳しいなと感じたが、病院側にも都合があるだろうと異議は申し立てず、ルールに従っている。

カミさんはスマホを持っているので、日常的なコミュニケーションはLINEあるいは電話で可能で、週1~2回10分間の面会で特に問題なく過ごしてきた。

しかし、子どもたちは2時間以上離れたところで生活していて、往復5時間以上かけて10分間の面会というのはと、会いたくても二の足を踏んでいる。

カミさんの友人や近所の方からお見舞いに行きたいといわれるが、面会ルールを説明して「お気持ちだけいただきます」と辞退している。カミさんもこの人たちとは会って話したいと思っているだろうが、メールの交換ができる人にはそれで我慢している。

こうした「面会制限」は普通だろうと思っていたが、岡崎さんの記事を読んで、病院がこのルールを再検討してくれたらと感じるようになった。

入院中のカミさんのことを思うと、今はいざこざを起こしたくないので黙っているが、何か機会があれば、この意見を病院に伝えたいと思っている。

 

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スギ花粉米

2024-12-19 19:40:08 | 日記

スギ花粉米

スギ花粉米の開発が加速されるとのニュースが流されている。

スギ花粉米とは、スギの花粉のアレルゲンを改変したペプチドを発現する遺伝子を遺伝子組み換え技術によって組み込んだイネから生産される米で、これを食することによってスギ花粉によるアレルギー症状を軽減することを狙いとしている。アレルゲンを改変したものを用いることによって、アレルゲンそのものを舌下錠などで用いるのに比べて、副作用が小さいことが期待され、すでに小規模の試験ではポジティブな結果が得られているという。

遺伝子組み換え技術の作物育種への応用は1980年代から始められ、1990年代には、除草剤耐性や害虫抵抗性のダイスやトウモロコシの品種が大々的に栽培されるようになった。

しかし、遺伝子組み換え食品は消費者から敬遠される傾向が続いてきた。

この技術を推進しようとする側は、生産者だけでなく、消費者にも直接的な利益をもたらす産物を開発することで、組み換え技術への理解を図ろうとしてきた。

スギ花粉米は、そうした意図も含めて開発されたものである。

スギ花粉米が除草剤耐性や害虫抵抗性品種と異なるのは、組み込んだ遺伝子の産物を積極的に体内に取り込ませようとするところにある。

組み込んだ遺伝子の産物か消化されて体内に届かないことは、遺伝子組み換え食品の安全性のひとつの根拠とされてきた。

したがって、スギ花粉米は一般的な農産物としてではなく、医薬品としての扱いを受けている。

農水省農研機構によって2003年にはスギ花粉米品種が完成していたのにその利用が足踏みしていたのは、医薬品としての大規模な試験体制が整わなかったためとのことである。安全性はもとより、薬効についても慎重な試験が必要であろう。

昨年5月。花粉症に関する関係閣僚会議で、各省庁の縦割りを排して従来の取り組みの促進を確認する中、農水省所管のスギ花粉米について、実用化に向けた臨床研究などの実施が決まり、関係機関の協力による研究に弾みがついている。

スギ花粉米は、一般の圃場ではなく、植物工場での生産が考えられている。薬品原料としての安定供給がその理由とされているが、組み込んだ遺伝子が環境に拡散するのを防ぐためにも、隔離栽培が必要であろう。

実用化までには5年必要といわれている。作物の中に人為的な薬を作らせるという、遺伝子組み換え技術の可能性の一つとされてきたものが、ようやく実用化を視野に入れられることとなった。

良い結果を期待して注目したい。

 

入れ歯リサイクル

公民館の玄関ロビーに置いてあった。こんなリサイクルがあるとは知らなかった。ユニセフが主催している。引き出しの中に転がっている入れ歯を提供することにしよう。

 

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同級会幕引き

2024-12-17 19:13:20 | 日記

同級会幕引き

学士会館で開いた東大農学科の同級会に行ってきた。

1959年(昭和34年)卒業だから、それから65年が経過している。同期の卒業生は32名で、音信不通が4名、死亡が15名、存命が確認できるのは13名となっている。

この同級会、切れ切れではあるがずっと続いてきた。50歳を過ぎるころから毎年行うようになり、多いときには25名くらい参加していた。

同級生の一人が務める出版社の寮が熱海にあり、ほぼ貸し切り状態で宿泊できるので、1泊して、飲み、語り、歌い、碁盤を囲む会がかなり長い間続いた。

寮が閉鎖になり、東京の学士会館に場所を移して昼飯を食べる形に移行したが、間もなくコロナ禍で中断となり、それを境に、参加者の数が減ってきた。

わたしは、ずいぶん前に幹事を頼まれて、相方が止めていって取り残され、万年幹事のような役をやってきた。

今回メールとファックスで通知をしたところ、3人から欠席の、5名から出席の返事をそれぞれもらった。

返信のない人たちに念のため電話をかけたところ、声を聞くことはできたが、かなり不明瞭な話し方であり、いずれも出席は無理ということであった。

そんなこんなで、万年幹事としてはこの辺が幕の引きどころと考え、出席者の了承を得ることができた。

わたしを含め出席者6名は、肢に多少の不自由はあるがいずれも矍鑠たるもので、各自の近況報告はなかなか話が終わらないほどであった。学生時代の思い出話、当時の先生方の消息と話題は尽きず、あっという間の2時間だった。

この調子ならまだ集まりを続けられのではという気分になりかけたが、何事にも終わりはあるもの。言い出したことをひっくり返せば切りがないと、別れを告げて帰路についた。

胸中寂寥。

 

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ワクチン接種

2024-12-15 16:26:39 | 日記

ワクチン接種

10月から12月にかけて、5回のワクチン接種を受けた。

わが家は今「非常事態」なので、病気にかかってはいられないとインフルエンザと7回目の新型コロナは、11月の上旬にすませた。

昨年交通事故で手にけがを負い、整形外科で治療を受けた時には破傷風の予防接種の1回目と2回目を受け、1年隔てて3回目のワクチンを11月下旬に接種してもらった。この3回の接種で破傷風耐性獲得である。

ことのついでと、町の補助が出ている帯状疱疹の予防接種を受けた。効果が大きい方と、2回の接種が必要な不活化ワクチンを選び、その2回目の接種を先週受けた。

医師に相談しながらインターバルを置いて接種を受けたが、最後の帯状疱疹ワクチン接種の後は、当日37.2度の発熱があり、翌日までやや疲労感があった。

4種類の病原に対する抵抗性を身に着けて、なんとなく不死身になったような気分でいるが、油断大敵と心がけねばなるまい。

 

ドレミの歌

音楽の符号表記のことでChatGPTに訊いた時、ふと思いついてミュージカルの『サウンド・オブ・ミュージック』で歌われている『ドレミの歌』の外国語の歌詞を、多少の知識があるスペイン語とドイツ語について訊ねてみた。

得られた解答はつぎのとおり(日本語訳はChatGPTによる):

  1. 英語(オリジナル)

Do, a deer, a female deer   Re, a drop of golden sun

Mi, a name I call myself   Fa, a long, long way to run

Sol, a needle pulling thread   La, a note to follow Sol

Ti, a drink with jam and bread 

That will bring us back to Do!

日本語訳(意訳)

ド、鹿、雌の鹿   レ、輝く太陽の一滴

ミ、自分を呼ぶときの名前   ファ、走る長い長い道

ソ、糸を通す針   ラ、「ソー」に続く音符

ティ、ジャムとパンで楽しむ飲み物 

それがまた「ド」に戻るの!

 

  1. スペイン語

Do, un gran danzón quiero dar  Re, un rey de gran corazón

Mi, mi nombre debo decir  Fa, la nota que sigue a Mi

Sol, el sol brillante sobre mí  La, la nota que sigue a Sol

Si, si cantamos con ardor  

Volveremos a empezar con Do

日本語訳(意訳)

ド、大きなダンスを踊りたい   レ、優しい心の王様

ミ、自分の名前を言うとき  ファ、「ミ」の次に来る音符

ソ、私の上に輝く太陽  ラ、「ソー」の次に続く音符

シ、情熱を込めて歌えば

また「ド」に戻って始めよう

 

  1. ドイツ語

Do, der Ton, der niemals ruht  Re, der Regen, der da fällt

Mi, mich selbst, ich glaub daran  Fa, der Weg, den ich erhell’

So, die Sonne über mir  La, ein Lachen ist von dir

Ti, ein Ton, der uns vereint

Und schon sind wir zurück bei Do

日本語訳(意訳)

ド、決して静まらない音  レ、降り注ぐ雨

ミ、自分自身を信じること  ファ、照らされる道

ソ、自分の上の太陽  ラ、君からの笑顔

ティ、私たちを一つにする音

そしてまた「ド」に戻るの!

 

オリジナルの歌詞は、ドレミファソラシドにこだわっていないが、日本を含めて英語圏以外では、音階名にからめた歌詞が歌わているようである。

ウィーン コンツェルト。ハウス(2006年撮影)

シェーンブルン宮殿(2006年撮影)

 

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ご飯の粘り

2024-12-13 20:36:12 | 日記

ご飯の粘り

今日の朝日新聞24面の『お米と私たち』という連載記事の中で、山形県庄内町で行われた「あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト」の決勝大会で、北海道で生産された「ゆめぴりか」が最優秀の金賞に選ばれたことが報じられていた。このほかメジャー部門6人のうち5人が北海道の生産者で、そのうち4人が「ゆめぴりか」を作っていたという。

現在の北海道米の市場価値からすれば驚くほどのことではないかもしれないが、北海道米の昔を知るものにとっては夢のような話である。

北海道で稲づくりが始まったのは明治に入ってから、北海道の農業技術者は低温に強い耐冷性品種の育成に努め、耕作前線を北進させ、新潟県に並ぶ米生産地に北海道を押しあげた。

しかし、北海道米には宿命的な問題が付随していた。夜間の低温である。

米の品質を決める大きな要因は飯米の粘りである。米の澱粉にはアミロペクチンとアミロースの2種類があり、アミロースの含量が高くなると飯米は粘り気が少なくなる。穀粒に澱粉が蓄積する夜間の低温はアミロースの含量を多くさせる。北海道米は必然的に、高アミロース米となり、まずい米という評価を受け続けてきた。

北海道では、1980年以来米の品質向上に本格的に取り組み、アミロース含量を低く抑える遺伝子源を探し、1988年「きらら897号」という品種を発表した。

この品種のアミロース含量は「コシヒカリ」並みであり、北海道米の評価を一変させた。

以来、2001年には「ななつぼし」、2008年には「ゆめぴりか」という良品質米品種を登場させ、北海道米の地位を確立した。

温暖化による夜間低温の軽減ということも手伝ったかもしれないが、わたしは北海道の農業技術者に心からの敬意を表したい。

この新聞記事に、日本でも長粒米の品種が育成されていることが紹介されている。

そのうちの一つ、「サリークイーン」は1991年に農水省作物研究所から発表されたもので、本来インディカ米を材料としていた料理用にと開発されたものである。なかなか面白い着想だと注目していたが、収量が低く、倒れやすいということもあり、需要もそれほど伸びなかった。

インディカ米はアミロース含量がジャポニカ米に比べると高く、また炊飯方法も炊きこぼすやり方なので、飯米は日本のご飯のように粘り気がなくさらさらしている。(余談だが、わたしはこのさらさらした炊きあがったご飯に牛乳をかけて食べるのが好きである。)

日本に来た東アジアからの留学生が、日本のご飯は手で食べると指にくっついてきて食べにくいとこぼしていた。

「サリークイーン」のアミロース含量は「コシヒカリ」と同程度らしいが、アミロース含量を下げた長粒米品種を育種し、日本人向けの工夫を付加して、パエリャやピラフなどに使うことを考えたらどうだろうか。

 

寒空の下で

ピラカンサ

サザンカ

 

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核廃絶

2024-12-11 19:09:20 | 日記

核  廃  絶

被団協代表委員の田中熙巳さんのノーベル平和賞授賞式での演説を、テレビの中継で聞いた。そして、新聞でその全文を読んだ。

淡々、訥々とした口調は、かえって人々の心に届き、感動を呼んだ。演説が終わった後の鳴り止まぬ拍手が、何よりもその証左である。

田中さんは、自分たちの運動が〈核のタブー〉形成に大きな役割を果たしたと述べ、ロシアやイスラエルに核兵器の使用を思わせるような言動が見られることに、「《核のタブー》が崩されようとしていることに限りない口惜しさと怒りを覚えます。」と断じている。

13歳の時に長崎で被爆した自身の体験を語り、「たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない」と、原爆の非人道性を訴えている。

被爆者に対する占領軍からの弾圧、政府の責任回避の歴史を述べたときには、わたし自身が攻められているような感じに打たれた。水爆実験で被ばくした第五福龍丸の漁船員や、韓国など外国にいる被爆者のことにも忘れずに言及されている。

核は抑止力に使うものではなく、廃絶しなければならないものと田中さんは強調する。すぐに発射できる核弾頭が世界に4千発ある現状を指摘し、「核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです」と訴える。

被爆者の平均年齢は85歳に達している。田中さんが次の世代がこの運動を継続してくれることを期待し、次のように結語している。

「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!」

92歳のご高齢を押して、40分間の演説を行い、ご自身の人生を踏まえて核廃絶を訴えた田中熙巳さんに満腔の敬意を表したい。

授賞式が行われた夜、オスロ市民が「No more Hiroshima! No more Nagasaki!」の横断幕を先頭にトーチパレードする映像がテレビに映った。

参加した15歳の少女は、「わたしたち世代のために頑張ってくれてありがとう」と言っていた。

オスロ市庁舎。2008年撮影。

 

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