羽花山人日記

徒然なるままに

民間軍事会社

2023-06-29 19:33:12 | 日記

民間軍事会社

ロシアの民間軍事会社ワグネルの「反乱」をめぐって,いろいろなニュースが飛び交っている。

わたしはプーチンによるウクライナ侵攻の当初から,この民間軍事会社の存在に違和感を覚えてきた。そもそも,軍事会社の商品は戦争であり,暴力の提供をもって成り立つ会社である。かつて日本でも新選組のような組織があり,幕府のお墨付きでテロ行為を行っていたが,今どきの日本ではそんな会社の存在は考えられない。

しかし,ネット情報を頼りに世界に目を向けると,実に多くの国に民間軍事会社の存在があるらしい。

2008年の9月に,17カ国の批准によって成立した「モントレール文書」というのがあり,法的拘束力はないが,民間軍事会社を定義し,人道主義と人権法に従う義務が明記されている。この文書は2018年12月の時点で55カ国によって批准され,アメリカ,EU諸国,中国などが含まれ,ロシアは批准していないが,ウクライナは批准している。(以上Wikipediaによる)

どうやら,軍事を売り物にする会社の存在に目くじら立てるわたしは,平和ボケした日本人の一人と言われるのであろうか。しかし,こういう会社の存在はやっぱりいやである。

ロシアでは,民間軍事会社の存在は法律で認められていないという。しかし,民間軍事会社のワグネルはプーチンの承認のもとに活躍し,5万人の兵力を擁し,ウクライナへの軍事侵攻の先頭に立ってきたのだ。プーチンは私兵を動かして,軍事侵略をしていたのではないか。

ワグネルは,受刑者を引き受け,退社後刑を免除するような特典を与えているという。そのやり方は,何やら暴力団の存続理由に通じるものがある。しかし,親分のプリゴジンは,今回の「反乱」に失敗するや,手下を置いてベラルーシに逃亡した。義理も人情もあったものではない。日本のやくざにも劣る行為である。

暴力装置を大統領の私兵として動かしているロシアは,その限りにおいて野蛮国のように私には思える。

 

初夏の花

タチアオイ

ノウゼンカズラ

カンナ

 

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褐色の人魚姫

2023-06-27 16:16:42 | 日記

褐色の人魚姫

今日の朝日新聞の文化欄に,『アリエル論争 見えてくるものは 「リトル・マーメイド実写版」 アフリカ系俳優起用』と題する記事が載っていた。

人魚姫アリエルを描いたディズニーアニメを実写版にした映画に,アフリカ系の俳優が起用されていることをめぐる論争について,二人の識者のコメントが紹介されている。

この映画の監督は,「単にベストの人材を探しただけで,(中略)特定の意図は全くなかった」と述べている。

しかし,見た目の「違い」に,アメリカや日本で異論が生じ,”Not My Atriel”というハッシュタグが拡散し,人種差別的なコメントが相次いでいるという。

椙山女学園大学の水島和則教授は,「ハリウッドを中心にプリンセスは白人という認知が刻み込まれていて,新たな表象による反動が起きている」という。「そして,若い世代ほど有色人種の割合が増え,保守色の強い政治家たちは,白人が占めた役職を他の肌の色の人たちにとって代わられるのではと危惧している」と説明している。

専修大学の河野真太郎は,ディズニー自体が『プリンセス=白人』という像を観客に刷り込み,90年代になってアニメに非白人系のプリンセスが登場したが,実写化された「シンデレラ」などでは,アニメと同じ白人の俳優が起用されていることを指摘している。そして,アニメの『リトル・マーメイド』は,アンデルセンの童話をディズニー流に作ったもので,時代の変遷とともにキャラクター像が変化するのは自然なことだという。

表面的な見た目で反発する人は,アフリカ系の起用による多様性の見せ方は道徳的・規範的で押し付けがましく,抑圧的に見えるかもしれないが,『アニメ版を尊重したいだけで,黒人差別ではない』という差別を意図しない言動からこそ,差別は構造的に生じる,と河野さんは強調する。

この最後の指摘は重要である。プリンセス=白人という構図に差別は含まれているのであり,それを直視しないで「見た目を尊重したいだけ」というのは,逃げ口上になりかねない。

わたしは,人間はだれでも本質的に差別意識を内蔵していると思う。その意識と対自することによって,具象的な差別をなくして行けるのではないだろうか。

映画「リトル・マーメイド」は興行的に成功し,観客の94%が作品を肯定的に評価しているという。冒頭に引用した監督の言っていることが本当だとしたら,その意図は見事に成功したというべきであろう。

なお,わたしが観たディズニーの近作アニメは「アラジン」だけだが,プリンセスの肌の色は全く意識せず,昔観た「白雪姫」とはずいぶんプリンセスの表現が違うと感じただけであった。

2008年コペンハーゲンにて撮影

 

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思い出のインドネシア

2023-06-25 16:49:01 | 日記

思い出のインドネシア

天皇ご夫妻のインドネシア訪問のニュースを見て,もう半世紀近く前に訪れた彼の地のことを思い出した。

わたしは,インドネシアを仕事で3回訪問している。先ず思い出すのが,飛行機を降りて空港の建物に入った時に押し寄せる,熱気と煙草の匂いである。特に,チョウジ油を混ぜたクレテックという煙草の香りは,インドネシアならではのものである。滞在中に吸ってみたが,うっかりすると病みつきになりそうなので,一度で止めにした。

最初の訪問は1991年の3月で,ちょうど湾岸戦争の最中だった。おかげで飛行機の客席はがら空きで,三つくらいの座席を占領して手足を伸ばすことができた。

インドネシアでは,ジャワ島のボゴールが任務地で,ペンションに滞在した。オーストラリアの人類学者と同宿で,朝飯はいつも一緒だった。会ってお互いに自己紹介が終わると,彼はわたしに「日本語が話せなくてすまない」と詫びた。英語圏の人から,こんな言葉を聞くのは後にも先にも1回だけで,その人柄に感激した。以後,わたしも外国の人と日本語で話す時は,「ごめんね」と思って口に出す時もある。

その時与えられた任務は,インドネシアが世界最大の産出国であるチョウジ(クローブ)の品種整理であった。「ザンジバル」という,導入元の名前がついた品種が主要品種だったが,品種内の分化がはなはだしく,かなり雑駁なものが同一名で栽培されているので,その実態を探るというのが仕事の目的だった。葉のサンプルを日本に持ち帰って,DNAを調べようと当局の許可を願い出たところ,ダメと言う。葉っぱを培養して個体を作ると,チョウジ品種が流出したことになるというのだ。写真を撮るのはと訊いたら,写真は培養できないからと,大真面目に許可の答えを頂戴した。結局,ジャワ島の各地を回って葉っぱの写真を撮り,日本に帰ってから画像解析をしたが,あいまいな答えしか得られなかった。DNA抽出の準備をしていかなかったのが悔やまれた。

わたしは007の映画と小説をいくつか知っているが,その中で,007がアメリカの諜報員とカリブの島で落ち合って,むき身の蟹を手づかみで溶けたバターをつけながら食べる小説のシーンが印象的で,そんなことができるチャンスがあればと思っていた。雑談の中で,そんな話を先遣のJICAチームリーダーにした。ある晩,彼に夕飯を誘われ,海辺の食堂に連れていかれた。待っていると,茹で上がった大きな蟹がテーブルに運ばれてきて,一人で食べていいという。夢かと思いながら手づかみで食べ,007になったような気分を味わった。

途上国はどこでもそうだと思うが,インドネシアでは子供たちが働き者である。熱帯特有のスコールが降り始めると,子供たちは傘を手にして家から飛び出してくる。そして,バスの停留所に行き,雨具を持たない乗客が降りてくると手持ちの傘を差しだし,受け取って傘を広げて歩いていく客の後ろから自分はずぶぬれになりながらついていき,目的地に到着すると傘とお駄賃を頂戴し,停留所に引き返す。みじめには見えない。子供たちは明るい顔を輝かせて,稼ぎに励んでいる。

インドネシアにはいろいろな爬虫類がいるようだが,よくお目にかかったのがヤモリで,ホテルの天井に何匹か張り付いていた。夜中に顔の上に落ちてくると脅かされたが,そんな目には遭わなかった。トッケイと鳴くヤモリがいて,トッケイを何回か繰り返して最後にグルルルルと鳴くそうである。このトッケイの連続を7回聞くと幸運に恵まれるという伝説があるが,残念ながら一回も聞かなかった。

インドネシアは多くの島からなる多民族国家で,600くらいの土着語があるという。民族間で争いが起きないように,マレー語を援用して公用語にしている。世界一簡単な言葉だというが,覚えているのは数単語でしかない。「人はオラン。飯はナシ。菓子をクエ」,オランは人,ナシはご飯,クエは菓子をそれぞれ意味する。

人口は2億7千万人で世界第4位,まだまだ増加の途中にある。資源に恵まれ,多様な文化を持つインドネシアの潜在力は大きいと思う。

親子のお散歩

マンションのベランダからO夫人撮影。

花の向こうに秋が見える

 

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『THE DAYS』(映画)

2023-06-23 17:16:30 | 日記

『THE DAYS』(映画)

6月1日にNetflixから世界に配信された,8話8時間にわたる映画を,4夜連続して観た。

2011年3月に起きた福島第一原子力発電所の事故に題材を得た,事実に基づく,西浦正記・中田秀夫監督による劇映画である。

門田隆将著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を基底にしているので,事故への対処をめぐる人間ドラマとなっている。

場面として,福島第一原発事故現場,官邸,東電(映画では東央電力),および事故に遭った東電社員の家族の4つが,時系列的に写し出される。しかし,話の中心は事故現場である。

2011年3月11日午後,福島第一原発は地震と津波に襲われ,全電源喪失という未曽有の事態に襲われる。対処のマニュアルなど存在せず,吉田所長(役所広司)や1・2号機当直長の前島(竹野内豊)らは,手探りで原発の暴走を抑える手段を講じていかなければならない。

東電副社長の村上(光石研)は現場の作業が進まないのにいらいらし,東首相(小日向文世)は東電の煮え切らない態度に癇癪を起こす。

事故の局面ごとにこのやりとりが繰り返され,劇は進行する。

ベントによる燃料格納庫の気圧低下,海水の注入などをめぐって,それぞれの立場の利害関係があり,しわ寄せは結局現場におしつけられる。

電源喪失で人力による手作業で操作しなければならず,高線量の放射線の中でそれは行われる。時々鳴る線量計の警報音がそれを知らせる。

2名の行方不明の東電職員について,巷ではこの2名が事故を起こして逃亡したのが惨事につながっているというデマが流され,テレビのコメンテーターはこの二人を徹底的に糾弾せよと絶叫する。それをテレビで見た母親は,むしろそうであった方がいいとつぶやく。

現場は戦場である。水素爆発があり,危機的状況の中で,東電や関連会社の職員は必要最小限の要員を残して退避する。残った職員は,任務に就く前に,家族に向けてメールで遺言を送る。

懸命の注水によって,原子炉の温度と圧力は低下し,事態は沈静化に向かう。しかし,吉田所長は,なぜ沈静化したのか分からないと述懐する。

もし,福島第一原発の全てが暴れ出したら,日本列島は太平洋から日本海に至る高線量ベルトによって分断され,崩壊に至るという専門家のシミュレーションが劇中示される。その瀬戸際にわたしたちは置かれていたのだ。

あれから12年。当時のテレビのニュースで見た場面は覚えている。しかし,この映画はその時にわたしたちはどれだけどんな危機にさらされていたかを教えてくれる。

ウクライナ危機の中で,原発の安全性や核兵器の使用が不安視されている現在,この映画の意義は一層重要である。世界中の人たちに観て欲しい。

 

散髪の帰り道で

アルストロメリア

ブッソウゲ

ペラペラヨメナ

アカバンサス

 

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UDデジタル教科書体

2023-06-21 17:05:58 | 日記

UDデジタル教科書体

先週号のAERAの『現代の肖像』で,書体デザイナーの高田裕美さんが紹介されていた。

わたしは書体デザイナーという職業があるのを知らなかった。カミさんは知っていたと言い,考えてみると,世の中には字があふれていて,その形をデザインする人や会社があるのは当たり前のことである。まったく不明であったとしか言いようがない。

高田裕美さんは,標題にある「UDデジタル教科書体」を開発した方である。

先ず,ネット上で得た付焼刃で,そもそもこの書体とは何かということについて切開する。

UDはユニバーサルデザインの略で,あらゆる人ができるだけ独立して、安全かつ快適に利用できるように、製品や環境を設計するためのアプローチである。身体的な能力や制約、年齢、性別、文化的背景などの個人の違いを考慮し、多様な人々にとって包括的で包容的な設計を実現するよう志す。

UDデジタルは,UDの原則をデジタルの分野に応用した概念で,さらにUDデジタル教科書体については,この字体をリリースした高田裕美さんが所属する企業「モリサワ」のHPから引用する。

UDデジタル教科書体 の特徴

デジタル教科書をはじめとした ICT教育の現場に効果的なユニバーサルデザイン書体です。 筆書きの楷書ではなく硬筆やサインペンを意識し、手の動きを重視しています。書き方の方向や点・ハライの形状を保ちながらも、太さの強弱を抑えたデザインで、ロービジョン(弱視)、ディスレクシア(読み書き障害)に配慮しました。明朝体・ゴシック体などの従来の学参字形ではなく、教科書の現場に準じた書写に近い骨格にしました。

高田裕美さんは,絵本作家を目指して1983年に女子美術短期大学に入学したが,勉学の中で書体の構造や効果に興味を持ち,専攻科に進学する。そして,タイポスという字体の開発者で,彼女が憧れていた林隆男さんが経営する「タイプバンク」に入社して,製図用の烏口で1mmの間隔に重ならないように10本の線を引くというような厳しい修行に耐え,書体デザイナーとしての道を歩き始める。

2007年に,高齢者でも見やすい表示パネルの文字をという依頼をきっかけとして,UDフォントの研究にのめり込み,どうせ作るなら視覚障害者にも読める字体をと考えるようになる。ロービジョン研究家の慶応大学中野泰志教授のアドバイスを得て,視覚障碍者のいる現場を訪ね,実態を知ることに務める。そして,特別支援学校の状況を知り,UDデジタル教科書体の開発に乗り出す。

教科書には一般的なフォントと異なり,学習指導要綱の字形に沿うことが求められる。高田裕美さんは,各社の教科書から漢字から記号に至るまでの1万字を越える書体を手作業で洗い出して比較表を作り,中野教授の助けを得て実験も繰り返し,約1万5千字からなるUDデジタル教科書体がほぼ完成に至る。

しかし,2010年に,所属していた「タイプバンク」が経営不振に陥って「モリサワ」に吸収合併され,UDデジタル教科書体は,採算性からお蔵入りになってしまう。

夢をあきらめない高田裕美さんは,2016年に障碍者差別解消法が施行されたのを追い風に,役員に交渉して,2016年6月に「モリサワ」からUDデジタル教科書体をリリースさせた。

発達障害当事者で作家の西川幹之佑さんは,以前は1頁読むのに10分かかっていたのに,UDフォントだとすらすら読め,中学の時は小説を1日で読めるようになったと言っている。

リリース以来の7年間で,UDデジタル教科書体は,社会に着実に広がっている。しかし高田裕美さんは,「UDフォントを使えばUD が達成されたわけではない。媒体や方法によって見やすさは変わってくる。当事者が置かれている環境を考え,その人でなく社会の側にある障害を取り除いたとき,本当のUDが実現するのではないか」という。

わたしはワープロを使う時に,どんな字体で印刷するかを考えることはある,しかし,その判断の基準に,読む人の立場をどれだけ考えているだろうかと内省したい。UDは素晴らしい概念である。

なお,UDデジタル教科書体を知りたければ,Windows10以降のパソコンを開けてみればよい。OSで使われている文字はUDデジタル教科書体である。

 

孫  帰  還

10ヶ月のアメリカ留学を終えて孫が帰ってきた。一回りたくましくなっていた。(羽田空港にて6月20日娘が撮影)

 

折々の花

オカトラノオ

キョウチクトウ

アリウム

 

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同窓会

2023-06-19 20:06:13 | 日記

同  窓  会

昨日,土浦市にある老舗の料亭「霞月楼」で開かれた,茨城大学農学部育種学研究室の同窓会に参加した。

この会は,研究室初代教授島津斉徳博士の五十五年祭(神式)を兼ねて,島津先生の教え子の方が企画されたもので,島津先生ご子息の柳沢保徳元奈良教育大学学長にもご臨席いただいた。

三代目教授のわたしは。島津先生を学会でお見かけしたことはあったが,直接お話したことはなかった。

薩摩島津家御曹司の先生は見るからに温厚なお人柄で,アサガオの遺伝の研究に従事され,残されたアサガオ品種の蒐集は今も研究室に保存され,貴重な研究材料として,利用されている。49歳の若さで,教壇で急逝された話は今でも語られている。

同窓会には,昭和41年から平成28年までの卒業生,33名が参加し,うち10名はわたしが卒業論文や学位論文のお手伝いをした学生だった。卒業以来初めて,22年ぶりにお会いした方々もいたが,皆さん昔の面影は変わらず,それぞれ立派な社会人として,あるいは母親として活躍しておられるのを見て,しみじみ教師冥利に尽きると感激した。

ただ,悲しいニュースも知った。わたしの恩人の谷口晋先生がこの11日にお亡くなりになっていたことが報告された。また,わたしと一緒に卒業実験をしたA・K君が故人になっていることを名簿で知った。このことは項をあらためて書くことにする。

島津先生および二代目教授小野沢芳郎先生門下の卒業生の方々とも知己を得ることができ,有意義かつ楽しい半日であった。

 

哀      悼

谷口晋先生:6月11日,わたしがご存命を確かめてから間もなく亡くなられた。

東大の研究室で3年の先輩で,1960年代終わりに,2年間ほど助手として一緒に仕事をした。北海道のご出身で,飛び切り頭のいい方だった。当時東大に導入された中型コンピューターの膨大なプログラムをあっという間に書きあげ,膨大なデータから結果を出しておられた。わたしの論文に必要なパラメーターの近似値も,おかげさまで解が得られた。

茨城大学農学部に育種学担当の助教授として赴任された後も,何かとお付き合いがあり,水戸のお宅に家族でお招きいただいたこともあった。

わたしが路頭に迷いかけていた時,本来ご自分が座るべき教授のポストを空け,自らは農業情報という研究室を作ってそちらの教授となり,わたしを招請してくださった。いくら感謝してもしきれない恩人である。

退職後も何かとお世話になった。わたしが学部長に就任した時は,一抱えもあるような真っ赤な薔薇の花束をいただき,カミさんともども恐縮したことは忘れ得ない。

名声や栄誉を嫌い,手取り足取り教えていただいた「ゲームの理論の育種への応用」をわたしに発表させ,名誉教授や叙勲の推戴があった時も固辞されていた。

徹底的な平和主義者で,プーチンの暴挙に腹を立てておられた。

終焉の地は別府市。死に立ち会われたお嬢さんの手で,遺骨は別府湾に撒かれたという。

谷口先生。どうか安らかにお休みください。

 

A・K君:数年前に亡くなられていたという。

平成6年だったと思うが,4年生の時に,卒論作成で育種学研究室を選び,入室した。

柔道部の立派な体格だったが,「気は優しくて力持ち」を絵に描いたような好青年だった。

成田高校の出身で,わたしの母校の前身の松本中学が甲子園に出場した時,成田中学に0対9で一回戦敗退した話をしてからかうと,身を小さくしていた。

巧みな実験で,ヤーコンの葉片を培養して個体を得る実験に成功し,わたしと連名で学会誌に投稿して,採用された。

教員志望で,県の教員試験に失敗したが,臨時教員を続けて望みを達した。きっといい先生になれたのに。

逆縁はつらい。ただご冥福を祈るのみである。

 

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中西準子さん

2023-06-17 16:27:23 | 日記

中西準子さん

朝日新聞の『語る 人生の贈りもの』シリーズに,横浜国立大学名誉教授の中西準子さんが登場し,昨日完結した。

60年以上前,短い期間の接点があり,その後折節に報じられる彼女の活躍を知っていたので,懐かしく,興味をもって記事を読んだ。

1970年前後,当時わたしが取り組んでいた臨時職員(常勤的非常勤職員)の問題で,東大工学部都市工学科の助手をなさっていた中西さんを訪ね,協力を御願いした。互いに名前は知りながら,話をするのはそれが初めてだった。

目的とするところの道義的,論理的な妥当性について了解されると,出来ることについて簡潔に言明し,責任をもって果たしていただいた。

彼女との接点には爽やかで,気持ちのいい思い出が残っている。

都市工学科は工学部の中では当時新しい学科で,中西さんと並んで宇井純という,公害問題の専門家がいて,宇井さんがどちらかいうとイデオローグとして運動のオルガナイザー的に活躍していたのに対し,中西さんは実践的・科学的に問題を究明して対処するという立場にあったように記憶している。

ある意味で,お二人は都市工学科を代表する活躍をされていたが,教員としての身分は助手であった。しかし,独自に研究室をもって研究と教育に当たり,いわば「大助手」と言うべき存在だったが,助手としての期間の長さから,自らを「万年助手」と称し,当時この呼称は一種のステータスのように扱われ,わたしもそれに安住していた時期があった。

中西さんは処遇としては不運であったが,名声をしたって優秀な大学院生が研究室に集まり,立派な業績を上げるとともに,社会に出て活躍している。朝日新聞のシリーズの中で,中西さんは,大学院生への深甚な感謝の言葉を述べられている。

中西さんの仕事で印象に残っているのは,行政が施行しようとしていた広域下水処理を批判し,個人下水道を提起したことである。きわめて明瞭な論理で,素人のわたしにもよく理解できた。

環境リスクという,火中の栗を拾うような問題に取り組み,市民運動のサイドからは批判を浴びることもあったが,信念を貫かれた。問題を,all or nothingとして対処するのではなく,現実的な解決点を探るという姿勢は,信念に裏付けられた柔軟さから来ているのであろう。行政や企業とは対立しながらも,なおかつ評価され,叙勲や褒章に推挙され,学士院会員として活躍されているのは,むべなるかなというべきであろう。

現在は老人施設にお住まいとか。居住者の女性たちとオンラインの読書会を組織しているようだ。ご立派。

 

杉下茂さん逝く

元中日ドラゴンズのエース,杉下茂さんが亡くなった。

わたしは,確か小学校の6年生の時,松本市にあった県営野球場に明治大学と法政大学の野球部の試合があって,明大杉下さんの投球をこの目で見た。法大の投手は関根潤三さんだった。

縦に変化する当時ドロップと呼ばれたカーヴだったか,杉下さん伝家の宝刀のフォークだったかは分からないが,観客席からもはっきり見えた,ストンと落ちた球の軌跡は未だに眼に残っている。

北別府学さんも亡くなられた。こちらはまだお若い。

お二人のご冥福をお祈りする。

 

公民館の花

ナツシロギク

ランタナ

マンデビラ

 

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スイカ

2023-06-15 19:34:49 | 日記

ス  イ  カ

胴回りは50㎝弱

 

わが家では,やや高価な果物でも,旬のものについては,一度は味わうことにしている。

今年になって,メロンとイチゴとサクランボはその趣旨で食べている。

今日はスイカを食べた。

松本の実家に通っていたころは,スイカの名産地が近くにあったため,大きいのをいただくこともあった。

こちらに引っ越してからは,二人では大きいのは食べきれないし,冷やすことも大変だし,カットものはなんとなく気が乗らないし,等々で,スイカを横目に見ながら夏を過ごしていた。

そこで,今年はこれまでやや軽蔑の目で見ていた,「小玉スイカ」を食べようということになり,購入して,大玉では入らない冷蔵庫で冷やしておいた。

なかなか味よしで,これまでの軽蔑を詫びることにした。

日本のスイカは,よく改良されたものだと思う。甘さもさることながら。皮が薄くなって,可食部分が増えている。パラグアイにいた時,もっと皮を薄くできないかといったら,そんなに薄くしたら,輸送の途中で割れてしまうといわれた。

もう一つの改良点は,種が少なくなっていることだ。外国で食べたものと比べて,日本の品種は種が少ない。

わたしはスイカの種は,存在したほうが風情があるような気がする。しかし,中学の教科書にも載っているかもしれないが,種無しスイカが日本で開発されている。四倍体といって,染色体のセットが4組ある品種と,2組のセットを持つ二倍体品種を交雑すると,セットが3組の三倍体の子どもができる。この三倍体は花粉や胚珠ができないので,種がつかない。一方,果実は大きくなるので,種を吐き出す手間が省けるスイカとなる。

この三倍体種無しスイカを開発したのは,京都大学教授で,コムギの祖先種を特定した木原均博士とされているが,実際に手掛けたのは,東京農大教授の近藤典生博士が1940代の京大在職中に行ったというのが本当らしい。

三倍体種無しスイカは日本でも売られているが,それほど人気がない。種の生産に手間がかかるせいか,高価である。それに,わたしと同じように,スイカに種はつきものと考えている人が,結構多いようだ。

しかし,東南アジアでは,人件費が安いせいか,値段は普通のスイカと変わらないので,大人気だそうである。

種無しスイカが敬遠される理由の一つに,四倍体を作る時に使われるコルヒチンという物質が有毒だからというのがあるらしい。誰が流布したのか知らないが,噴飯物のデマである。コルヒチンは確かに有毒だが,出来上がった四倍体には存在しない。

種無しスイカと同じ手法で,種無しビワが千葉県で作られているようだが,まだお目にかかっていない。アケビもどこかで開発中という話を聞いた記憶がある。

なお,種無しブドウは,植物ホルモンの処理で作られていて,種無しスイカとは手法が異なる。

 

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いのち

2023-06-13 20:58:29 | 日記

い  の  ち

わたしは,若者,特にZ世代より若い人たちが,何か感心することをしているのを知ると,嬉しくてたまらなくなる。未来を託すという気持ちがそうさせているのだろう。

朝日新聞の『声』欄に,「若い世代 こう思う」と題して,特定のテーマについての若者たちの意見が載せられている。

今日のテーマは「いのち」で,いのちを感じるのはどんな時かについて,高校生3名,中学生1名,小学生1名の,5人の方の意見が載っていた。

中学生の島田さんは。イチゴを育てる過程には,人,水,日光,肥料,さらには虫や鳥などがかかわっていることを知り,地球上の一つのイチゴといういのちが,多くのいのちに支えられていることに気づき,自分は多くのいのちに感謝しながら,精一杯生きたいと思うという。

高校生の日野さんは,食事の時に言う「いただきます」を何気なく言っていたが,通学路で何かに食べられた鳥の死骸を見て,その日のお弁当の唐揚げが入っているのに気づき,「いただきます」は食べ物で奪った命をいただいて,自分のいのちをつないでいることだと理解する。

高校生の関さんは,曾祖母のことを少々うざったく感じていて,施設に入った時はホッとしたような気分になった。曾祖母が亡くなった時も深く悲しむことが無かったが,棺に収まった曾祖母の顔が穏やかに見えて,泣き崩れてしまった。何年もたっていのちを考える時,曾祖母のことを思い出し,今なら「冷たくしてごめん」といえる気がする。

高校生の蓮さんは,ものにも命があると考える。誕生祝に親からもらった腕時計を落として壊した時,時計の命がなくなったといっても過言ではないと感じた。ストレスからものに当たる人がいるが,自分から見ると,生き物に当たっているのと同じに見える。ものに命があるように思えないかもしれないが,だからといって雑に扱うべきではない。ものに優しくすれば,人に対しても優しくなれるとおもう。

小学生の千代さんは,カイコを育てた。桑の葉をあげたり,そのすべすべの肌に触ったりして癒された。カイコガ繭を作ると,繭を煮て殺してしまう。煮ないと,成虫が繭から出てきて卵を産みすぐに死んでしまう。いのちはすぐ消えてしまい,悲しいものだと感じた。そして。カイコが「いのちってこういうものだ」と教えてくれたのだと思う。カイコにありがとうといいたい。

5人の方たちの感性は本当に素晴らしい。何か注釈をつけるとそれを汚してしまうような気がする。この若者たちが,そのみずみずしさを失わないで,大人になることを願っている。

一言だけ付け加える。「自分のいのちは一番大切なものだ」

 

今日見た花

ヤマモモソウ

ペチュニア

シロタエギク

 

オトギリソウ

ベゴニア

 

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あいさつ(ふたたび)

2023-06-11 16:10:50 | 日記

あいさつ(ふたたび)

今日の朝日新聞『窓』欄に,『95歳と16歳の「おはよう」』という記事が載っていた。

95歳で一人暮らしの女性は,朝食後毎朝外に出て花に水をあげていた。「彼女」が現れるようになってから,この習慣に小さの変化が現れた。

「彼女」は通学時間になると赤い自転車に乗って現れ,道行く人に大きな声であいさつする。「おはようございます」と声をかけられ,「おはよう。行ってらっしゃい」と返事をする。その習慣がもう1年も続いる。名前もどんな人かも知らないが,このあいさつの交換で一人暮らしのさみしさが忘れられ,1日を明るく過ごせるという。

「彼女」は豊橋駅から学校まで赤い自転車で通学している高校2年生である。引っ込み思案で,中学時代は友達の輪になかなか入れず,さみしい思いをしてきた。

高校に入った時,自分を変えるために,元気よくあいさつをしようと決心した。はじめは緊張で頭が真っ白になったが,多くの人があいさつを返してくれるので,見知らぬ人にも「おはようございます」が自然に言えるようになった。

中でも,花に水をあげている「優しいおばあちゃん」に,笑顔で出迎えられると「あいさつをして良かったと,嬉しくなる」。

二人はいつか話がしてみたいと考えている。

この記事を読んで,わたしは21年前のパラグアイでのことを思い出していた。

任地を離れる前の日,カミさんがわたしに通訳を頼みたいので,一緒に来て欲しいといった。

彼女は所用で出かける時,2軒ほど先の小さな雑貨屋の女主人がニコニコして見送ってくれるのが嬉しくて,「こんにちは」程度のあいさつを交わすようになった。そのあいさつに勇気づけられて,出かけることができた。だから,日本に帰る前に是非その女性にお礼を言いたい。ということだった。

カミさんと一緒にその店に入っていくと,50歳代くらいの女あるじはちょっとびっくりしたようだった。

「わたしは明日日本に帰るけど,あなたと交わすあいさつにいつも元気づけられていた。本当にありがとう。どうかお元気でいてください」という趣旨の日本語を通訳すると,彼女は破顔一笑,「そんなことを言われて。とても嬉しい。奥さんもお元気で」と答え,カミさんの手を握ってくれた。

懐かしい思い出だ。

 

自宅近所の子供たち(上)と新聞配達の少年(下)

パラグアイ,エンカルナシオン市にて2002年撮影

 

快     挙

ダルビッシュ有投手が,アメリカ大リーグで100勝目をあげた。

若い時は,ちょっと駄々っ子めいたところがあったが,歳とともに練れてきて,先だってのWBCでは,チームのまとめ役だった。36歳。まだまだ頑張れる。

女子テニスの加藤未唯選手が,全仏オープン混合ダブルスで優勝した。

女子ダブルスでの失格は,どうも納得できないが,彼女はボールをぶつけたボールガールを訪ね,謝罪したそうだ。スタンドプレーではできないことだ。

 

壊       滅

大雨で水没したジャガイモが枯れあがった。収穫の寸前だった。掘ってみると大部分のいもが腐っていた。雨の前に掘っておくのだったと,臍を噛んでいる。

 

STOP WAR!

 

コメント (4)
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