信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

2022立冬 小諸城址・紅葉ヶ丘から

2022年11月22日 | 紅葉狩り




お早うございます、信です。
季節は進み11月霜月は小雪の初候、第五十八候  虹蔵不見(にじ かくれて みえず)になりました。






これは昨日朝の上高地です。
穂高はもう根雪になったようです。

昨日は少し遅れてのウォーキングでしたが、みるみるうちに青空が広がり、暑くなってフリースを脱いで
腰に巻いて歩くような陽気でした。
この時期ならではの寒暖差が激しい日が続くようです。





さて11月5日の小諸城址・懐古園の紅葉です。

小諸城の歴史は
平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。
(中略)
天文23年(1554年)甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。
信玄はこの地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせ城郭を整備した。
これが小諸城の原型である。武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移ることとなる。


稲荷神社です


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懐古園稲荷神社の由緒です 


黒門橋から紅葉谷です


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反対側。空堀になっています


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橋の銘板です 



正面が本丸、右手が紅葉ヶ丘


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本丸下の大銀杏の下


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右に折れて紅葉ヶ丘へ


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天正18年(1590年)豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。
秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る堅固な城とした。
世は徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり城代が置かれた。
その後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から近世中期までに2万石へと減らされたが、重要な領地であることから、歴代藩主には徳川譜代等が配された。
(懐古園hpより)


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紅葉ヶ丘の石碑です。
元は「天神社荒神社が祭られたところで、明治時代は矢場として使用」とあります


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隣の藤村記念館では、綺麗なアンサンブル演奏会


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うっとり眺めて時間を忘れてしまいます


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ここは大欅の根元です


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そのまま更に奥へ


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ここは武器庫の躑躅塀


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味のある東屋です。春は草笛で迎えてくれます


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酔月橋を渡って地獄谷へ


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こちらはまだまだ青


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日当たりの良いこちら側は良い色です


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酔月橋から千曲川旅情の水の手展望台


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地獄から上がってきた・・下草を刈っておられたのでしょう


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     いったん懐古園から出て

     
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鹿嶋神社へ


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通常は無人社で管轄は軽井沢・熊野皇大神社のようです


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臼田亜浪の歌碑がありました「郭公や 何処までゆかば 人に逢はむ」


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七五三は軽井沢から出張してくるようです


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小諸・鹿嶋神社でした


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明日は懐古園に戻って、本丸から。


 撮影日: 11月5日
 撮影場所:小諸城址 懐古園・鹿嶋神社


それでは皆様、ご機嫌よう。









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