お早うございます、信です。
昨日は丸一日、体に纏わりつくような冷たい霧雨で、やむなく越谷レイクタウンでモール・ウォーキングとなりました。
早くも4月も半ばまで過ぎましたが、錫杖さんが桜の追っかけで信州出没?の情報を聞いてソワソワし始めました。
小川村りんりん館のhpを見ても、立屋の桜、番所の桜ともに見頃になってきたようです。
そろそろ二反田の桜も見ごろになったかも知れません。
さて昨日12:00に、Gooブログトップのオススメ記事から陥落しました。
アクセスカウンターが徐々に元に戻りつつありますが、スタッフの皆様有難うございました。
お陰で良い夢を見させて頂きました。
またトップに紹介されることが、いかに影響が大きいか改めて認識を新たにしました。
再び選ばれることを願って、今後も精進していきたいと思います。
さて戸隠そば打ち道場の展望台に戻ります。
戸隠山です
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やや木に邪魔されますが本院岳、西岳から
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P1からP4まで
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春霞で見難いですが、一夜山から不帰ノ嶮(かえらずのけん)唐松岳
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五竜岳
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鹿島槍ヶ岳
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戸隠古道から上がって来る展望所です
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近くの白樺に
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ゴジュウカラ
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私を見つけて縄張りから「出ていけ」
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展望台の案内でした
これも毎回寄る場所です
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水車も元気に廻っていました
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まずお詣りするのは戸隠五社の宝光社
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年季の入った石碑です
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御祭神です
真南に向く、階段に雪は残っていませんでした
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かなり急な階段です
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境内が狭くて、正面からは入り切りません
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少し左手から
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右手奥に神道(かんみち)入り口。中社まで歩いて行けるようです
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向かって右手の神輿(しんよ)に新旧二基の神輿が保管されています。
右の御神輿は文化元年(1804年)に江戸神田の法橋(僧侶に与えられた位階)善慶の指揮の下、奥社、九頭龍社、中社、宝光社に配すべく製作された四基の内、唯一現存する一基です。
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江戸時代にはこの御神輿を担いではるばる江戸まで上り、出開帳(本尊などの仏像や寺宝をよそに運んで開帳すること)を催し多くの信者が集まりました。
文化八年には深川八幡宮で開帳が、文化十年には修復が行われた記録が残っています。
明治以降は七年ごとに春に行われる式年大祭でのみ使用されてきましたが、長年の経過により破損個所等が生じたため、平成三年の式年大祭に合わせて左の御神輿が新調されました。
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式年大祭では、宝光社のご祭神である「天表春命」が御神輿で中社へお渡りになり、御父神である「天八意思兼命」とご対面され、ご滞在の後、お還りになります。
御神輿を中心とする行列は、神楽装束の神職、氏子の獅子神楽、多くの稚児など、平安絵巻さながら山里に花々が咲いたように繰り広げられます。
宝光社でした
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下りは上りの倍、怖いです
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戸隠信仰遺跡の案内です
次に詣でるのは
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火之御子社です
あの「天の岩戸伝説」の天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っています。
階段は長くはありません
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境内は上下二段になっています
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社殿の創建年は不詳とされていますが、戸隠に関する数々の縁起本を整理・編集した「戸隠山顕光寺流記」には第22代別当(寺務を統括する僧職)の頃(1100年頃)に「火之御子社宝殿を修造」と記されていますので、戸隠神社が三院体制になってしばらくして、火之御子社が創建されたと考えられています。(戸隠観光なびより)
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火之御子社でした
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明日は戸隠中社から奥社へ歩きます。
撮影日: 4月7日
撮影場所:長野市戸隠 宝光社・火之御子社
それでは皆様、ご機嫌よう。
錫杖さんははりさんを追って、今頃は信州でしょうかね?
小川村りんりん館や、立屋の桜、番所の桜も懐かしいです。
トップの火之御子社の佇まいは絵になる1枚ですね。
残雪の戸隠山の荒々しい姿も素晴らしいです。
白樺とゴジュウカラ、バッチリですね。
一度も見たことがありません。
18、19番の急な石段は、写真で見るだけでも怖いです(笑)
二反田の桜も見頃を迎えているようで、そろそろ信さんもお出かけでしょうかね。
りんりん館のhpを見ていると、この寒の戻りで3分咲きで足踏みのようです。
私は来週再訪しようかなと思っています。
台風一過であちこちワッと咲き出せばしめたものですが
なかなか人の思い通りにいかないのが、また良いところです。
ゴジュウカラはキツツキのねぐらをまた借りしているようでした。
小鳥の声が沢山聞こえて、まだこれからバードウォッチが出来そうでした。
コメント有難うございます。