政治も行き詰まり、口蹄疫蔓延で日本の貴重な上質の
牛肉の輸出が止められたという、八方ふさがり日本。
そんな中でも人は生きていかなければならない。
そんなら、こうしたらどうか?と突きつけられてるような
お店に昨日出会った。
仕事帰りに自転車で、相変わらず住宅地をぐるぐる遠回り
しての途中、ふらふらと中へ入ってしまったお店。
倒壊寸前のような古い住宅を改良している。
改良と言ってもいかにもインテリアデザイナーに
頼んだようなはやりのレトロ風カフェではない。
ぜんぜん違う。
ありのままと言ったほうが早い。
新しくものを買ったという形跡がない。
古い畳にがたがたの窓、入り口には履物が所狭しと並んでいて
広い畳の部屋にあがり、どこへ座ったらいいですか?と
たずねると、写真のような塗り物の台つきお膳を持って
自分の好きな場所に座って下さい・・・・と言われた。
天井の太いはりには木のブランコがつるしてあって
子供が遊んで居る。
玄関には落書きがいっぱい、近所の子供たちが来て
自由に書いていいのだそう。
食器や小物はすべてスタッフさんの自宅から持ち寄ったか
フリーマーケットや骨董市で集めてきた感じ、私にとっては
なつかしいものばかり。
だけどこれ、若い人たちにとっては新しく感じるのかもしれない。
部屋の隅ではなにやらミュージシャンらしき人が打ち合わせをしてる。
芸術系の学生風の人がメニューやお店の看板を
手書きしている。そのごその人は道具を取り出し、スタッフさんの
女性を捕まえてネイルをしてあげてる。
出されたランチ(と言うよりお昼ご飯)は野菜料理と味噌汁と
美味しいお米のご飯。
昔日本人がみんなスリムだった時代の食事。
ここで働いている人たちは報酬はないのだと言う。
料理の好きな人は料理を提供する。
ケーキやお菓子つくりが好きな人は台所に入って
作っていいのだ。
絵や写真の好きな人はそれを提供する。
音楽好きな人はここへ来て歌ってもよい。
経営者とお客と言う垣根をとりはらった場所なのだと店主は言う。
お金を介在しないで楽しく暮らすという提案だと思う。
ものを作って売る→そこで働く→お金を貰う
→そのお金で物を買う
物はもういらない、作っても売れないのだから
上のシステムは成り立たなくなっているのだから。
このお店だけでなく、その前に足が向いた西荻窪の
カフェも同じコンセプトだった。
情勢に合わせた若い人たちの新しい波が押し寄せて
きてるんだなぁと思った。
店の名は「ここち屋」、畳に正座の好きな私には本当にここちよかった。
今度「水木しげるの昭和史」持って行ってゆっくり読もう。
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今はなんでも「あるものを生かす」のがテーマとなっているように思います。
この店にほんの30分くらい居た私の見た感じだけど、天井の修理も電気工事もできる人がやる・・・、日々誰かが来てやるという風でしたよ。この日も誰かが屋根裏に上がってなんかやってました。
今風きれいではぜんぜんないのに、不潔ではないので、とても居心地よかったです。
是非、再考を。
計画修正ね。
練り直しも必要だ。
ひとつ 雑草だらけの裏庭を花畑にすること。
もうひとつ 築130年の小屋を居場所化すること。
居場所というより溜まり場ね。
老若男女の交流の場にしたいなあと。
子育て真っ最中のママや、不登校児や、そんな子供を抱える親、果ては行き場のないじっちゃまばっちゃまなんかもいっしょに集う場所。
で、それぞれがそれぞれの相手をする。
核になるのはNPOの仲間って構図。
理想を追えばきりがないけど。笑
でも、こっちは立ち消え状態。
理由は簡単。改造するための見積りを取ったら1000万円近くかかるって言われたの。
屋根も雨漏りしてるし壁も老朽化してるし。
トイレも無い。水道も無い。
そんなカネ、どこをどう振ってもでないからね。
これを見て、ちょっと勇気がわいた。
そうか。キレイにしなくてもいいなだ。
とりあえず座れるところとトイレがあればなんとかなるのかな?と。
十年計画の四年が過ぎた今、もう一回計画習性しましょうかねえ。
勇気があると言ってよいかも。
住宅地で周りには緑と川と橋しかありません。
先端は古いんだ。