STUDIO GREY blog

イラストあります…でも、無料素材ではありません

#8 恐怖症

2002-01-31 12:28:00 | STUDIO GREY Diary
え~、落語の『饅頭こわい』という噺にもありますように、誰にでも一つぐらいは怖いものってのがありますな。「いいや。俺には怖いものなんか何もない!」なんてことを言うお方に限って、なんでもないようなことが怖かったりするのも、まぁ人間の妙とでも申しましょうか。
こう申しております私なんぞは、恐怖症の一つや二つではすまないところがございまして、怖いものだらけですな。

まずは、広場恐怖症。
広~い空間のまん中に居たりすると、どうも落ち着かない。ビルの吹き抜けのロビーや、広い道路のまん中の緩衝地帯などもダメ。心臓がバクバクうなりだして、そのうち腋のほうからジワ~っと脂汗なんかが浮いてきまして、ついには居たたまれなくなってどこか隅のほうへ逃げ込んでしまうんですな。
ですから、広場のまん中での待ち合わせはご勘弁願いたい。
そういえば、ネズミも広場恐怖症だとか。隅をチョロチョロ走ってて、あまり部屋を横切っていくネズミは見たことがありませんなぁ。

そしてお次は、閉所恐怖症。
先ほどとは逆に、狭いところもダメ。閉所というよりは狭所ですな。「やっかいな奴やな~」ってな声もありましょうが、でも、少々の狭さなら問題はないんです。体ギリギリぐらいの狭いところがダメ。たとえば、乗用車のトランクルーム。たとえば、細長い土管の中。
極め付きは、テレビ等でやっている洞窟探検。人一人が、這ってやっと入れるぐらいの穴へ入っていくシーンなんか見てますと、「何もそんな狭いところへ入っていかなくても」とイライラして、息苦しくなってきて、ついには我慢の限界を超えてチャンネルを変えてしまいますな。

そいでもって、逆高所恐怖症。
踏み台に上るのも怖いって人もいるようですが、「なんとかと煙は高いところへ上る」というように、高い所は案外平気なんです。
で、何が逆かと申しますと、低いところから見上げるのがダメ。いやいや、普通に空を見上げるってのなら何も怖くないんです。ただ、何十階建ての高層ビルの根元のほうからビルを見上げると足がすくんでしまいます。
「高そうやな~」ってなことで、うかつに見上げたりすると、ビルを伝って底なしの空に向かって落下していくような感覚におそわれて、血の気がスーッと下がってしまう。まぁ、今のところ失神したことはないんですがね。

もう一つあげると、手術・解剖シーン恐怖症。
ケガで血を見るとか、メスを入れるとかいうのは全く問題ないんですが、血がまとわりついた内臓とかはどうもいけない。こういうのを見ると、本物とか作り物とかにかかわらず、手足から力が抜けていって部屋の中をのたうちまわることになる。
って言ってるそばから、想像してるだけで力が抜けてくる。

他にもまだまだ怖いものがありますが、数えあげるとキリがありませんので、とりあえずはこのへんで・・・。
あぁ、もう一つ二つやっかいなのがありました。
女性がこわい。なかでも、美人やかわいい女性がこわい。
そして、ゴディバのチョコレートなんてのもこわい。
それからやはり、饅頭もこわい。
で、とどのつまりは、お茶がこわい。
おあとがよろしいようで。 デデン!!

2002.1.31 Wed.  小川 篤


#7 記憶

2002-01-16 11:51:00 | STUDIO GREY Diary
1995年1月17日、休日明けの火曜日。
夜明け前に目がさめ、もう一度寝なおそうとする。少しすると、部屋がカタカタと鳴りはじめる。「地震?」と思っていると、ドンという地鳴りとともに激しい揺さぶりがくる。そばの本棚が倒れないことを願いながら、布団に潜り込んでいるしか動きようがない。
何度か揺れを繰り返しながら波が引いていく。
窓を開け周囲を見回す。特に変わりはないよう。「東海地震がついに?」と思い、田舎に電話をかけてみる。揺れはあったようだが大阪よりは小さかったよう。バイクが倒れて隣の車を傷つけていないか気になり駐車場に走るが、無事自立している。部屋に戻りテレビとラジオをつける。震源が大阪湾周辺らしいことと地下鉄が動いていないことの他は、情報が錯綜しているのか正確なことがわからない。私の頭も混乱しているのかもしれない。
事務所のことも気になり、7時過ぎにバイクで向かう。
歩道にはいつもより徒歩の人が多い。四ツ橋筋に入ると、それまでに増して歩行者であふれている。ぞろぞろとゆっくりした歩み。
事務所に着く。絵皿が落ちて1枚が割れ、筆洗から水がこぼれ床を濡らし、本棚から本が落ちて散乱し、コピー機が少しずれている。被害らしい被害はない。ラジオを付け(テレビはない)情報を求めるが、相変わらず錯綜してる模様。「それほどのことでもないんだろう」と高を括り、仕事を始める。
ラフの納品があったのでFAXで送るが、なかなか通じず昼頃になる。午後になって、ラジオからの情報が少しづつ具体的になっていく。神戸の方が特に被害が大きい様子。しかし「多少の被害は仕方ないのかもしれない」という思いでいる。

ラジオの声に耳を傾けながらも普段通りに仕事をする。
夕方、仕事をいつもより早めに切り上げて帰り、テレビをつける。そこに映し出される光景は、私の想像していたことをはるかに超えている。同じことをラジオでも言っていたんだろうけど、その惨状は想像の枠外である。
2日後、市役所に用があり本町から淀屋橋まで歩く。御堂筋沿いのビルには、シートや段ボールでふさがれた窓が目立つ。淀屋橋の地下鉄出口からバックパックを背負った家族が出てくる。母親と思われる人があたりを見回して言う。『なんで!?』。
心の中でなぜか「すんません」と応えながら市役所へ向かう。

1月17日が近づくと、当時の様子を記録した映像をテレビで見る機会が増える。それを見るたびに気持ちがざわつく。あの時に体験した恐怖が残っているのは確かですが、なにか言いようのない棘が刺さったまま残っているような気もします。

『記憶しよう。記憶すべきだ。我々の脳裏に、我々のすべてに希望はある。』 エリー・ウィーゼル
広島の平和記念資料館にこの言葉が記されているそうです。(私は未だに訪れたことがない。新聞からの情報です。)
氏の言葉を借りれば、1月17日の出来事は記憶すべきことのひとつなんだと思います。
思い出や懐古ではなく、記憶し続けていくこと。

2002.1.16 Wed.  小川 篤