今回は久し振りに当方のコレクションの紹介です。
写真はギャリソンキャップ、いわゆる略帽で海外勤務する際にサービスキャップの変わりに支給されます。
パラシュートのマークが付いたパッチは空挺章で、パラシュート部隊歩兵用の初期型となります。
後期になるとパラシュート・グライダー歩兵用のマークが合体し、各科共通になります。
空挺章の反対側には少尉の階級章がついており、これは将校の基本的な装着例です。
ブラックとゴールドのラインはパイピングと呼ばれ、これは将校用のものとなります。
ちなみに歩兵用のパイピングは水色です。
また、砲兵や騎兵など各科によってパイピングの色が違うので、一度ネットで検索して見ると良いかも知れません。
今回このギャリソンキャップを紹介したのは、このキャップの持ち主が判明したからです。
元々これは以前海外の空挺コレクター経由で日本人から譲って頂いたのですが、空挺コレクターからの話ではこの持ち主は第二次世界大戦中の1944年6月6日に実施された連合軍によるナチスドイツ占領下のフランス ノルマンディーへの降下作戦でアメリカ第82空挺師団の将校として参加し、降下後直ぐにドイツ兵に殺されたそうだとのことでした。
パッチの付き具合等から当時の実物であると認識はしていたのですが、その証明となる資料をずっと探していました。
頼みの綱はAMERICAN BATTLE MONUMENTS COMMISSION(米国戦闘記録委員会?)
http://www.abmc.gov/home.php
に照会することで、認識番号と名前から個人の戦歴をしることもできるホームページで、検索するには本人のネームを入力する必要がありました。(認識番号からでは検索出来ない)
一応キャップの裏に本人の階級(2ND LT:少尉)とネームが書いてあったのですが、アルファベットが判別し難く困難を極めました。
認識番号は数字の長さから省略してあるようなので、余計検索しづらくなり、しばらく放置しおりました。
たまに眺めてはどんな名前か想像してみましたが、今日ふと、sobelかseibelに見えたので早速入力して検索したところ、聞いていた内容とは別の結果が出てきました。
照会の結果「氏名:Thomas J.Seibel 認識番号:01824236 入隊地:ペンシルバニア 所属:アメリカ陸軍第101空挺師団506パラシュート歩兵連隊 第一大隊C中隊(『プライベート・ライアン』のライアン二等兵と全く同じ中隊) 階級:少尉 1944年9月17日 戦死 埋葬場所:オランダMargraten 米国戦没者共同墓地」と出てきました。
下記のURLは兵士の資料です。
http://www.marketgarden.com/database/roll3/index.php
マーケットガーデン作戦は1944年の9月17日から行われた連合軍の作戦。連合軍がドイツ国内へ進撃するのに大きな障害であるオランダ国内の複数の河川を越えるために、空挺部隊を使用して同時に多くの橋を奪取する作戦であった。
作戦は途中のナイメーヘンのライン橋の占領までは成功したが、アーネム(アルンヘム)での最後の橋は英軍の第1空挺師団が壊滅するなど大損害を受けたために奪取できず、作戦は失敗に終わった。史上最大の空挺作戦は9日間で連合軍側の戦死・行方不明者は17,000人を越えたそうである。
奇しくもこのキャップの主、Seibel 少尉もその中の一人だったことになる。
最後に資料のURLを載せましたが、決して面白半分でやっている分けではありません。
この資料を見つけたとき、この人は何を思い死んでいったのであろうかと考えると胸が締め付けられるような思いでした。
このギャリソンキャップは今後も大切に保管したいと思います。
もしこの内容に不適切な説明があった場合は修正します。
Thomas J.Seibel
写真はギャリソンキャップ、いわゆる略帽で海外勤務する際にサービスキャップの変わりに支給されます。
パラシュートのマークが付いたパッチは空挺章で、パラシュート部隊歩兵用の初期型となります。
後期になるとパラシュート・グライダー歩兵用のマークが合体し、各科共通になります。
空挺章の反対側には少尉の階級章がついており、これは将校の基本的な装着例です。
ブラックとゴールドのラインはパイピングと呼ばれ、これは将校用のものとなります。
ちなみに歩兵用のパイピングは水色です。
また、砲兵や騎兵など各科によってパイピングの色が違うので、一度ネットで検索して見ると良いかも知れません。
今回このギャリソンキャップを紹介したのは、このキャップの持ち主が判明したからです。
元々これは以前海外の空挺コレクター経由で日本人から譲って頂いたのですが、空挺コレクターからの話ではこの持ち主は第二次世界大戦中の1944年6月6日に実施された連合軍によるナチスドイツ占領下のフランス ノルマンディーへの降下作戦でアメリカ第82空挺師団の将校として参加し、降下後直ぐにドイツ兵に殺されたそうだとのことでした。
パッチの付き具合等から当時の実物であると認識はしていたのですが、その証明となる資料をずっと探していました。
頼みの綱はAMERICAN BATTLE MONUMENTS COMMISSION(米国戦闘記録委員会?)
http://www.abmc.gov/home.php
に照会することで、認識番号と名前から個人の戦歴をしることもできるホームページで、検索するには本人のネームを入力する必要がありました。(認識番号からでは検索出来ない)
一応キャップの裏に本人の階級(2ND LT:少尉)とネームが書いてあったのですが、アルファベットが判別し難く困難を極めました。
認識番号は数字の長さから省略してあるようなので、余計検索しづらくなり、しばらく放置しおりました。
たまに眺めてはどんな名前か想像してみましたが、今日ふと、sobelかseibelに見えたので早速入力して検索したところ、聞いていた内容とは別の結果が出てきました。
照会の結果「氏名:Thomas J.Seibel 認識番号:01824236 入隊地:ペンシルバニア 所属:アメリカ陸軍第101空挺師団506パラシュート歩兵連隊 第一大隊C中隊(『プライベート・ライアン』のライアン二等兵と全く同じ中隊) 階級:少尉 1944年9月17日 戦死 埋葬場所:オランダMargraten 米国戦没者共同墓地」と出てきました。
下記のURLは兵士の資料です。
http://www.marketgarden.com/database/roll3/index.php
マーケットガーデン作戦は1944年の9月17日から行われた連合軍の作戦。連合軍がドイツ国内へ進撃するのに大きな障害であるオランダ国内の複数の河川を越えるために、空挺部隊を使用して同時に多くの橋を奪取する作戦であった。
作戦は途中のナイメーヘンのライン橋の占領までは成功したが、アーネム(アルンヘム)での最後の橋は英軍の第1空挺師団が壊滅するなど大損害を受けたために奪取できず、作戦は失敗に終わった。史上最大の空挺作戦は9日間で連合軍側の戦死・行方不明者は17,000人を越えたそうである。
奇しくもこのキャップの主、Seibel 少尉もその中の一人だったことになる。
最後に資料のURLを載せましたが、決して面白半分でやっている分けではありません。
この資料を見つけたとき、この人は何を思い死んでいったのであろうかと考えると胸が締め付けられるような思いでした。
このギャリソンキャップは今後も大切に保管したいと思います。
もしこの内容に不適切な説明があった場合は修正します。
Thomas J.Seibel
Hello Gerda,
Thank you for your comment.
Please wait for my email to come.
ご覧頂きありがとうございます。
写真のギャリソンキャップはチノシャツ姿の時に着用するカーキ色のタイプなので、ブログのものとは別物です。
ネットで検索すると遺族のお孫さん?が彼の妻がなんという名前でと書き込んでいるのを見たことがあります。
どのような最期だったのか知りたかったようでしたが、結局分からなかったようです。
その後このキャップを手放したんでしょうね。
これは彼が生きた証として大切に保管したいと思います。
時空を超えたすごい話ですね。
この遺影(?)のキャップと同じものでしょうか?逆になっていますよね?それとも写真が裏焼きされたのか。。。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
>そのキャップを保管するのではなく遺族の元へ返すという選択肢はないのですか?
>
選択肢はありません。
理由は、先ずこのギャリソンキャップは制服着用時に被るものなので、戦場では使用しません。
戦闘服着用時でも被ることがありますが、同じく後方での使用です。
なので、この方が参加した作戦当日に被っていたものではなく、後方の兵舎などに置いたままになっていたものと推測されます。
そして、このキャップが放出されたのはアメリカです。
したがって遺品として戦地から遺族の元へ届けられたのはほぼ間違いないでしょう。
帽子関係は遺品としてよく使われるので・・・
よってこのキャップは何らかの理由によって遺族の意思により売りに出されたものです。
日本でもなくなったお爺さんの形見の軍服関係が売られることがよくあります。
それもすべて遺族の意思によるものです。
遺族の元へ返したほうがと思う気持ちも分かりますが、実際にそれをすること事態、遺族にとって余計なお世話なのです。
自分は25年くらいミリタリーのコレクションをやっていましたが、その間に色々な方から知識を教えてもらいました。
その中で言われたのが、
たとえば戦時中日本兵の遺体からから戦利品として持ち帰った米兵が戦後遺族に返したいとかの例外を除いては、基本遺族の意思で放出されることが多いので絶対遺族を探して渡そうなどとする行為はやってはならない事だと言うことです。
この事はこのミリタリーコレクターの中では暗黙のルールとなっています。
furankuさんのお気持ちは分かりますがそのような理由がありますのでどうぞ覚えておいてください。
名前・所属部隊・階級・認識番号が判明したということはその品物が遺族の元へ帰りたいという証ではないでしょうか?写真から見ると名前なんかは直筆ではないですか?本人の魂が宿ってるから帰りたがっているんだろうな~たぶん
>遺族はいらしゃるんでしょうか・・・
とか思っちゃいそうです。
そうですね・・・・
自分も妻子を持つ身なので、そのとき妻子はいたのだろうか、など考えてしまいますね。
ぼくだったら
遺族はいらしゃるんでしょうか・・・
とか思っちゃいそうです。
コレクションのレベルだと証拠があるのですごく価値のあるものですね。
入手した当時も嬉しかったですが、少し怖いものもありますが、今はもっと嬉しいです。
当時の物で、ココまでわかると
より一層物に対する深みが増しますね。
個人的に↑こういうの大好きです。
自分の持っているコレクションの持ち主が判明したのはこれだけですが、本人のお墓の写真を見たとき言葉では表現出来ない変な気持ちになりました。
ここまで歴史が分かるとは、驚きです。