蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

泰州記

2012年06月04日 | 旅行

6月2日から一泊二日で、蘇州の対岸泰州市へ行ってきた。午前9時半、新区錦華苑からマイクロバスで出発。前夜の雨も止んで、薄日のさす天気。蘇州の雨はいつも夜降って朝あがる。一行中高年男性ばかり10名。歴史探訪会のメンバー。酔話会からもぼくとyとkの3人が参加。10名の共通点は、全員歴史ずき。全員酒ずき。数名女ずき。早速バスの中で朝からビールで乾杯、小旅行への期待がふくらむ。高速で江陰長江大橋を越え、2時間半で泰州着。ビールのおかげで、あっという間。

飛び込みでマイクロをつけた食堂は裏が竹やぶになっていて、鳥骨鶏やうずらが放し飼い。なぜかホロホロ鳥もいる。地場料理は美味。昼間から宴会。一行には、Tさん、Dさんの二人の中国人も参加。食堂さがし、料理注文のベテラン。Tさんは、旅行社幹部を二十年来やっており、旅の嗅覚は抜群。はじめての土地でも案内をらくらくこなす。おかげで、昼食二回、夕食一回ぜんぶ飛び込みだったが、安くて美味い泰州料理を満喫。一行大満足。冷えたビールのない店もあったが、そこは入郷随俗。

昼食後、胡錦濤主席の母校小学、中学を見学。と言っても校門にバスを着けて、いきなり守衛と見学交渉。中学は、校庭まで入れなかったが、小学は、入れてくれた。入れてくれたどころか、最近できた展示室はじめ主席の学んだ教室まで案内してくれた。主席の席は、前から二番目で、机に表示札が置かれていた。当時のカリキュラムまで、黒板横に貼られていた。校門を入ったところには、主席が青海書記当時、母校の生徒達にあてた励ましの手紙の一節が彫られた碑があったので、一同記念写真を撮った。実は、守衛が独断で入れてくれたのには前段があった。土曜なので、中二の娘が守衛室に来ていた。Aさんが顔立ちが似ているが娘か?というと、守衛の顔がほころんだ。娘がわれわれを日本人とみて「こんにちは」という。これで、いっきょに校門の電動引き戸が開いた。実は、主席はここから精華大学へ進んだのだが、最近まで故郷のことは、外部へ公表していなかった。勿論、離京以後泰州へ帰ってきたこともない。故郷のために国家予算をかたよって使うことを戒めたのだろう。ふるさと政治家と称して、地元にせっせと利益誘導するどこかの政治屋とは覚悟が違う。Tさんによると、主席は姉、妹との三人兄弟。家は市の中心から10km南の田舎にあり、寄宿舎で勉学しただろうと。

    
               胡錦濤主席の母校(中学)                     胡錦濤主席の母校(小学)にある碑

 小学校6年生時の座席表(胡錦濤主席は前から2列目の席)

このあと、梅蘭芳の記念館見学。本人は北京生まれだが、父祖の地が泰州であったため、ここに記念館がある。1937年盧溝橋事件後上海に移住。抗日の意思から舞台活動を拒否、髭をたくわえた頃の写真が展示してある。夫人が二人あり、四人の子供をもうけた。その写真も。このころの事情は、映画「華の生涯 梅蘭芳」に詳しい。

       

夜は壺中天で宴会。Aさんが階下で見かけた冷奴に似た“冷粉”を注文、たしかにうまい。帰りにスーパーで酒とつまみを買い込み、ホテルにもどってyの部屋に10人全員集合。Aさんが講師をつとめて、呉の歴史を復習。途中から“いいちこ”のお湯割りを配りだしたので、そのまま二次会。薩摩隼人のFがおやじギャグを連発。もう止まらない。日本老人どもの日本昔話は、中国人のふたりには理解を超えたものだったろう。

翌日8時半チェックアウト、湊湖国家湿地公園の葦原を手漕ぎの船でゆらゆら見物。船頭に歌を所望して、楽しむ。潮来の風情。仲間から「潮来花嫁さん」「潮来の伊太郎」などナツメロも飛び出す。尾瀬の木道の二倍ほどの幅がある湿地の木道を歩いて鹿や水鳥を見物。
    

船からあがって、マイクロで湊潼古鎮へ向かい昼食。急遽ビール冷やしてくれと注文して、昨夜のつまみと紹興酒の残りを出して、宴会。待ちきれず冷えて無くても二三本早く持って来い。二三本が五六本になり、結局ぬるいビールがどんどん空く。それでも地場料理の味は絶品。

古鎮の清時代の地元名士徐氏宅見学。いくつにも分かれた建て屋の中庭の一つにギネスブックにのっている樹高5m、樹齢千年の山茶花の木があった。3,4月が開花期で枯れた花が枝にひっかかっていたが、そばに全木に赤い花がまぶれついた写真があった。雲南省麗江のピンクの山茶花と姉妹木という説明もある。屋久島の千年杉を思うと目の前の青々した葉をつけた山茶花が樹齢千年とは信じがたいが、そばにビネスブック認定証があるので、やはり本物だろう。山茶花はさざんかと読めるが、英名camellia と書いてある。つばきということだが、つばきは、花が首からそっくり落ちる。目の前の枝には、枯れた花が落ちずにこびりついている。花も八重でつばきより小ぶり。してみると、やはりさざんか?「さざんかの宿」の鼻歌も聞こえてくる。徐氏宅を出て、古鎮の通りにもどると、臭豆腐を売るの匂いが満ちている。数人が名物らしい揚げ饅頭を買った。

午後4時泰州に別れを告げ、高速で南走。車中全員安眠。江陰長江大橋を南へ渡ると高速の交通量が急に増える。無錫のパーキングエリアでトイレ休憩。またぞろ、昨夜の残りの缶ビールが配られ、車中で宴会。40分が蘇州新区錦華苑に到着、解散。おつかれさま。z


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3 コメント

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2012-06-04 18:55:07
話の続きをひとくさり。年寄りの効用、70歳以上、梅蘭芳記念館、湊潼古鎮徐氏旧宅入場料無料、湊湖国家湿地公園半額。60歳以上前2者半額。ぼくは、結局公園の50元だけ、ほか数人も半額の恩恵に浴した。この優遇、外国人適用ははじめてのケースらしく、入場券売り場の服務員が、事務所に電話で確認していた。ということは、日本人高嶺者入場の先陣をきったことになるか?
 入場料は優待でも、われら高嶺者二日目はよく歩いた。y持参の万歩計によると、湿地公園の木道上を7千歩以上、湊潼鎮を3千歩以上合計1万歩以上歩いた。
湊潼鎮は呉文化と楚漢文化の境目と説明にあったっが、たしかに、屋根瓦は蘇州と同じ半円の黒い薄板瓦だったが、壁は灰色煉瓦砖で、門軒の煉瓦には透かし彫りの装飾がほどこしてあり、蘇州の白壁とは趣を異にしている。歴史探訪会、呑むばかりじゃあなく、少しは歴史文化も見てきた。
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泰州へ行った感! (T.m)
2012-06-04 21:21:48
zさんの紀行文を読んで、驚きとともに、心躍る気がする。胡氏は古里の墓参りもしないとの記事を最近読んだが、納得するものがある。
今後も楽しみに読ませていただきたい。大いに語って、大いに学んで、空飛ぶ王、鷲の如く行動する。心から尊敬できる。
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馬子 (z)
2012-06-04 23:54:09
 いつもながら、yが写真を貼り付けてくれた。当日の現場写真。古鎮の山茶花だけ、満開の花をつけているので、3月末か4月始めの写真らしい。どこで手に入れたのだろう?馬子に衣装を着せるのもたいへん。
 胡錦涛主席の小学座席表に1953年6年生とある。ぼくより一級下か。机は二つ連結、椅子も幅の狭い木製ベンチ椅子。長時間この椅子に座って授業を受けるのはかなりきつそう。
ぼくが小学校の頃の机は、戦後間もない頃ながら、硯箱が左にあり机の蓋が開くようになった二人連結の机。椅子は背もたれのある木の椅子。男女二人が並んで座った。胡主席よりは、恵まれた環境だったと思う。
 主席のクラス集合写真が残っている。童顔ながら、今の主席に面影が残っている。男女共学。中山服を着ていて、衣服を見る限り、ぼくの小学校の集合写真のぞうり、菜っ葉服姿より裕福そう。
 東海をはさんで、同じ時代ながら、全く違った空間を生きてきた主席の子ども時代をこの目でたしかめ、同じ時間を呼吸してきたわが身に想いをいたし、感慨しきり。
 ナイス写真のおかげで、拙文ながら、ずいぶん見よくなった。謝謝。
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