づれづれ気儘日記です

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小満

2018年05月23日 14時33分54秒 | 日記

 昨日は、二十四節気の小満だったそうだ。

あまり聞き慣れない名前の節気だと思うが、

散歩道の気配が少し変わってきたせいか、覚えそうな気がする。


 もうすぐアジサイが咲きそうだが、はしりのこの時期、

カシワバアジサイが先陣を切って、咲き始めた。

    

 今日の雨で、また少し季節が進むのかな。

このところ肌寒かったり、暑かったりで、ちょっと体調が乱れ気味だ。

風邪をひいてるのかどうか、自分でもわからなかったりする。

血圧が低かったり、のぼせたりすると、なかなか元に戻らなくて、

自分自身の体調がいいんだかどうだか、分からない時がある。

まぁ、倒れたりすることもないので、病気ということでもない。

適当に生身の体とうまく付き合っていかないと、と思う。



 アジサイ以外でも、家のビワの実が黄色くなってきた。

今年は食べれるかどうか、分からないが、実の大きさはまずまずのような感じ。

多分実に紙を掛けたりして守ったりはしないので、

鳥たちがかじる前に収穫できるかどうかにかかっている。

美味しかった長崎のビワの種から育てただけに、愛着はある。

できれば今年も食べたい。

     



 季節は少しずつ、夏に向かって進んでいる。

一年で一番いい季節なんだろうな。




新聞の切り抜き

2018年05月21日 16時52分32秒 | 日記

 まだ続いている新聞の切り抜き。

ブログと同じで、気ままにやってみよう、かと、

なんやかやで2冊目も終わりそう。


 これといった基準もなく、自分が気になる内容の記事を切り抜く。

気ままに、とはいってもやっぱり傾向がでる。


 歳を重ねるということや、生き方のこととか、

家族のことや人間関係のこと・・・。

そして、戦争のこと。


 結局そういう内容の切り抜き記事が多くなっている。

 それにしても、読んで、泣いてしまうことがなんと多いことだろう。

涙腺が壊れてるんじゃなかろうかと、我がことながら驚く。

 一般の方のコラムや経験談、様々な人生の出来事を

ただ読んでいるだけで、涙が溢れてくる。

なので、新聞を読むのは一人のとき、と決めている。


 特に戦争についての体験談や人生の変遷を読むと、

言葉の持つ重さや辛さ、切なさが心の中に広がってくる。

 そして、涙を流すことで、心にふっと降りてくるものが

共有、共感に近く、気持ちに寄り添い、折り合いが得られるかも、

と手前勝手に思ったりしている。

・・・涙が鎮魂になることはないんだろうけど。

理不尽なことばかりの、戦争という暴力。

様々な人の人生に、苦しく辛い爪痕を残して、決して消えない。

許し難い悪の所業だと思う。


 平和にどっぷりと浸かって、平和ボケになってしまっては、

戦禍の犠牲になった方々の尊い命に申し訳が立たない。

そこには正気を保って居続けたいな、と思う。



 新聞の切り抜きで、何かの役に立つということはないけど、

せめて自分の矜持として、しばらく続けていきたいなと思っている。

          





タイサンボク

2018年05月17日 22時07分30秒 | 日記

 毎年、地味に咲くタイサンボク。

日本的には、泰山木、大山木。高さは数メートルにはなる。

つやのある濃い緑色の葉っぱの樹木。旧家の庭木に多いかな。

ハナミズキやオリーブ、サルスベリ、シマトネリコとかのように

存在感を主張する木ではない。

クロガネモチやキンモクセイ、サザンカのように

庭木として、目立たずにそっと佇んでいる感じの樹木。

その木に花が咲くのがなんとも不思議な感じがして、毎年気になる。

葉が立派な分、花があまり目立たず、うっかりすると見過ごしてしまうほど。


 今年は昨日、近所で花が開いてるのを見た。

大きめの立派な緑緑した葉っぱに隠れて、花は目立たない。

そして、雨が降ったりすると、白い花が錆色に変わって花があっという間に汚くなる。

花が落ちるのも早い。なんとなく仏教的な花の感じがして、有難みがあるんだが、

その分潔いのか、気づくと根性なく、花弁が地面に落ちてたりする。

庭木として葉が綺麗についているので、それで十分役割を果たしているんだろうけど、

せっかくの短い間の白い花、愛でてあげたいなと思う。

    

 気が付かなかっただけかもしれないが、

去年はこのタイサンボクの花を見た記憶がない。

咲かなかったのか、あるいは気づかなかったのか、

気が付かなかったわけはないと思うんだが、、、。

咲いたのを気づかない、そんな年もあるのかもしれへんな。



 山野草も目立たずにそっと咲いているこの時期。

アップにして写真を撮ると、案外綺麗で、趣があって癒される。

名前が分からなくても、しばらく立ち止まって見るのもいいかも。

     

     



      




新緑の勢いとスミレ

2018年05月05日 22時30分31秒 | 日記

 すっかり新緑の季節になった。

春の花たちも緑の勢いに押されて、すっかり景色も変わってきた。

生命力あふれる季節、なのかな。
     

 今日は今年初めてドクダミの花が咲いているのを見た。

たくましい野草。これから長く咲く顔なじみの花になる。
     

 この間書いたハハコグサも、健気に道の片隅に咲いている。

野草は強いな、と散歩道では新鮮なことが多い。
     



 実は、この1カ月ほど、スミレの具合があまりよくなかった。

食事が進まず、体重が落ちてしまって、家の中が暗くなっていた。

クルミのように亡くなってしまうのか、と悲壮な思いすら抱いていた。


 そこに、近所の犬仲間さんたちとの会話で、ペットショップさんの情報を聞いた。

2週間前、早速行ってみた。そのペットショップは、案外近くにあった。

1時間ほど店主さんと話をして、酵素を進められて、

おすすめの食事、食べ物やお水のやり方を聞いた。

藁をもつかむ思いで、早速やってみて2週間。

ようやくスミレの食欲が戻ってきた。


 そして、この数日のスミレは、散歩の歩き方も以前の感じに戻って、

ドッグフードも完食するようになった。一安心、胸をなでおろして安堵している。

    


 スミレが元気ないと、僕もばあさんも元気がなくなる。

スミレがご飯を食べないと、二人とも食が進まない。

年寄りを不健康にするのは簡単やな、と思う。


 近所の犬仲間さんとの会話が、スミレの元気を取り戻すきっかけになって、

ホントに感謝しかない。

お医者さんへ行けば、と思ったりもしたが、

案外お医者さんより、古くからやっているペットショップの店主さんの方が

愛犬の健康には詳しかったりするもんなんだな、と思い知らされた。

愛犬仲間の情報網、恐るべし。そして、有難いと感謝することしきり。

散歩道での愛犬の飼い主さんたちとの何気ない会話、

コミュニティと呼ぶほどではないが、お互いの犬への愛情は

案外深くて、真剣だと思った。

            





半分、青い。

2018年05月04日 21時28分47秒 | 日記

 朝の連続テレビ小説、『半分、青い。』

いつも通り、我が家の習慣で、毎週末に1週間分を一気に見ている。

今回は脚本家の北田さんのオリジナルだそうで、

片耳が聴こえないという境遇はご自身のことらしい。


 このドラマ、どうも客観的に感想を語ることができない。

うちで観ていて、ばあさんと話をするのも、どうも難しい。

というのは、多分僕自身も同じように片耳が聴こえないから、だろう。


 ただ、このドラマとは違うのは、

僕の場合、ものごころついた頃には既に片耳が全く聴こえなかったので、

両耳が聴こえるという感覚を知らないところ、かな。

 つまり両耳が聴こえる体験がないということで、

このドラマとは少し事情が違うのかもしれない。

なので、半分、青い。ということを知らない。



 とはいっても、片耳が聴こえないのは同じなので、

なんだか他人ごとではなくて、

冷静に感想を言えない、ということに繋がるのかもしれない。


 それと、当時(50年以上前だが)、

地元の耳鼻科では手に負えず、泊りがけで他県の大学病院に親父に連れていかれた。

そこで、原因はペニシリンや筋肉注射とかによるもの、と医者から言われ、

片耳だけでも聴こえてよかったですね、で終わったこと。

結局、治りません、そんなことが暗い記憶として刻まれた。

今でも大学病院の薄暗い廊下で、親父が元気なくうなだれていたのを思い出す。



 ドラマの方は、今のところ、聴こえなくなった耳のことが明るく取り上げられている。

主人公を演じる永野芽郁さんの個性が際立っている面も大きいと思うが、

その描かれたたくましさや健気さには、心底ひきつけられる。

有望な女優さんだし、段々面白くなってくる予感がする。



 ただ、僕の場合は、聴こえる右耳の方で、ずいぶん苦しんだ。

大人になってから、聴こえる耳を酷使しているせいか、調子が悪くなった時、

情けないくらい気弱になって、辛かった。

 グァーングァーンという耳鳴りが始まると、生活自体がかなりしんどい。

会話自体ができにくくなるのはもちろん、精神的にもきつかった。

暗澹たる思い、とはこういうことなんだろうと思っていた。

他人とかかわらずに居たい、心底そう思って、静かなところに一人になると、ホッとした。

就職するときも、耳のことを一番に考えざるを得なくて、結局事務職を選択した。

ところが、電話の応対とか会議、出張、そして宴会・・・。

職場でうまくいかないことが多々あった。


 今にして思うと、職人という選択も良かったかな、

と思うものの、今更過去に戻れるわけもない。





 そんなこんなで、自分は、その境遇で、多少自虐になるが、

ろくなこともできず、もう人生の終盤。



 多分このドラマの主人公は、頑張ってくれるんだろう。

ちょっと眩しく思うんだろうな。


 歩んできた人生にそんなに悔いはないけど、

耳が聴こえないと分かった時の親の気持ちについては、

今回のドラマで、思い知らされた気がする。

親は、きっと狼狽して、辛い思いをしたんだろう。

でも、世の中には両耳が聴こえない人も多いし、

いろんな障害を抱えている人もいる。

片耳でも聴こえているというのは、有難いことなのかもしれないと、

今になって、改めてそう思ったりもする。



 こういう小さな障害を持って生きている人がいるんだという

社会的な認知が、少しでも広まることは、なんとなく面はゆいけど、

良かったのかな、と思ったりしている。

 そして、改めて自分の持つ境遇を考えさせられただけでも、

このドラマは有難い存在になるのかな、とも思っている。



 知っている限りでも片耳が聴こえない人は、結構な人数いる。

その人たちもきっと同じように感じているんじゃないだろうか。




 さて、この朝ドラ、これからどんな展開を見せてくれるのか。

同じ境遇を経験した人が描いたドラマだ。楽しく見せてもらおうと思う。