朝の連続テレビ小説、『半分、青い。』
いつも通り、我が家の習慣で、毎週末に1週間分を一気に見ている。
今回は脚本家の北田さんのオリジナルだそうで、
片耳が聴こえないという境遇はご自身のことらしい。
このドラマ、どうも客観的に感想を語ることができない。
うちで観ていて、ばあさんと話をするのも、どうも難しい。
というのは、多分僕自身も同じように片耳が聴こえないから、だろう。
ただ、このドラマとは違うのは、
僕の場合、ものごころついた頃には既に片耳が全く聴こえなかったので、
両耳が聴こえるという感覚を知らないところ、かな。
つまり両耳が聴こえる体験がないということで、
このドラマとは少し事情が違うのかもしれない。
なので、半分、青い。ということを知らない。
とはいっても、片耳が聴こえないのは同じなので、
なんだか他人ごとではなくて、
冷静に感想を言えない、ということに繋がるのかもしれない。
それと、当時(50年以上前だが)、
地元の耳鼻科では手に負えず、泊りがけで他県の大学病院に親父に連れていかれた。
そこで、原因はペニシリンや筋肉注射とかによるもの、と医者から言われ、
片耳だけでも聴こえてよかったですね、で終わったこと。
結局、治りません、そんなことが暗い記憶として刻まれた。
今でも大学病院の薄暗い廊下で、親父が元気なくうなだれていたのを思い出す。
ドラマの方は、今のところ、聴こえなくなった耳のことが明るく取り上げられている。
主人公を演じる永野芽郁さんの個性が際立っている面も大きいと思うが、
その描かれたたくましさや健気さには、心底ひきつけられる。
有望な女優さんだし、段々面白くなってくる予感がする。
ただ、僕の場合は、聴こえる右耳の方で、ずいぶん苦しんだ。
大人になってから、聴こえる耳を酷使しているせいか、調子が悪くなった時、
情けないくらい気弱になって、辛かった。
グァーングァーンという耳鳴りが始まると、生活自体がかなりしんどい。
会話自体ができにくくなるのはもちろん、精神的にもきつかった。
暗澹たる思い、とはこういうことなんだろうと思っていた。
他人とかかわらずに居たい、心底そう思って、静かなところに一人になると、ホッとした。
就職するときも、耳のことを一番に考えざるを得なくて、結局事務職を選択した。
ところが、電話の応対とか会議、出張、そして宴会・・・。
職場でうまくいかないことが多々あった。
今にして思うと、職人という選択も良かったかな、
と思うものの、今更過去に戻れるわけもない。
そんなこんなで、自分は、その境遇で、多少自虐になるが、
ろくなこともできず、もう人生の終盤。
多分このドラマの主人公は、頑張ってくれるんだろう。
ちょっと眩しく思うんだろうな。
歩んできた人生にそんなに悔いはないけど、
耳が聴こえないと分かった時の親の気持ちについては、
今回のドラマで、思い知らされた気がする。
親は、きっと狼狽して、辛い思いをしたんだろう。
でも、世の中には両耳が聴こえない人も多いし、
いろんな障害を抱えている人もいる。
片耳でも聴こえているというのは、有難いことなのかもしれないと、
今になって、改めてそう思ったりもする。
こういう小さな障害を持って生きている人がいるんだという
社会的な認知が、少しでも広まることは、なんとなく面はゆいけど、
良かったのかな、と思ったりしている。
そして、改めて自分の持つ境遇を考えさせられただけでも、
このドラマは有難い存在になるのかな、とも思っている。
知っている限りでも片耳が聴こえない人は、結構な人数いる。
その人たちもきっと同じように感じているんじゃないだろうか。
さて、この朝ドラ、これからどんな展開を見せてくれるのか。
同じ境遇を経験した人が描いたドラマだ。楽しく見せてもらおうと思う。