づれづれ気儘日記です

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達成感?

2016年11月20日 20時55分50秒 | 日記

 ことし4月から日記をつけ始めた。

特別な日記帳とかではなく、普通の大学ノートに書いている。

そして、昨日その1冊を使い切った。7カ月余りで、1冊・・・。

一日2、3行、という日もあれば、1ページ、ということもたまにはある。

内容は、日常のことなので、たいしたことは全くない。
(・・・ズボラな自分の一日を書いたところで、たいしたことがあるわけもないが。)

書く量が多いかどうかは分からない。とりあえず毎日つけることだけは守っている。



 ところが、たった1冊だが、案外、自分では満足感を感じている。

表題にも掲げた、「達成感」といってもいいかもしれない。

 書き切った、という達成感も当然あると思うのだが、それだけではない。




 ブログはパソコンのキーボードを叩いて書いていくが、

実際の日記を書くのは、自分の手。自分の横書きの「字」。

大概の人は自分の字を綺麗だとは思わないそうだ。

お手本のような綺麗な字を書く人でも、こと自分の字となると、

嫌いという人もいるらしい。

ご他聞に洩れす、ぼく自身も自分の字を好きではない。

微妙に傾いて、統一感のない、大きさが不揃いな、それでいて、

筆圧が一定でないせいか、ボールペンでも太さが疎らな字。

見返したいとも思わない「字」達。


 なのでなにか文章を書くとなると、手紙でさえ、ほとんどをPCで書いて印刷、

署名だけ自筆、いうパターンになる。(今の世、ほとんどの人はそうなのだろうけど。)

唯一年賀状で近況を一行くらい書くのが手書きという、お粗末な行状である。

まだ就職したての頃はまだPCやワープロもなかったので、

報告書から表まですべてが手書きだったのがホントに懐かしく感じる。

書いては消し、書いては消し、机の上が消しゴムのカスでいっぱいになったものだ。
(もう40年近く前のことだが…。)


 それが毎日自分の手で書くということを続けると、嫌な字でも

なんとか好きな字にしようと思うのか、自分なりに変わってきた気がする。

我がことなので、はた目にはどこが変わったの?と分からないかもしれないが、

自分の字だからこそ微妙な筆致が違うと実感できる。



 改めて日記をじっくりと読み返すというのはしていない。

ただ、少しの達成感を感じながら、パラパラっと丸1冊を見返して、

なんとなく自分の字を、ちょっとはお気に入りに近づいた気分になって、

心の中が気持ちよく、ほんのり満足感に浸ったという訳なのだろう。

嫌なものでも、面と向かって付き合うと、少しは自分なりに変わっていくものかもしれない。


とりあえず、嫌になるまで日記を書き続けてみようと思う。




誕生日

2016年11月10日 12時58分16秒 | 日記

 今日は上の子、スミレの10歳の誕生日である。

娘ではなく、当然愛犬のことなんだが、人間でいえば56歳位だそうだ。

ということは、まだこっちの年齢を追い越したわけではないのか、

と案外まだ若いことに気付かされた。
(ちなみに、再来年追い越される計算になる。)


 このところのスミレは、一日の三分の二くらいは寝ているし、

声を掛けても聴こえない感じのときが増えたり、

前のブログにも書いたように、朝が弱くなっている。

老化が進んできたのをちょっと気にしていたのだが、

少し年寄り扱いし過ぎたかな、と少し反省している。


 とはいっても、もう若くはない。

ちょうど下の子クルミも7歳を超えたので、

二人とも同じシニア犬用のドッグフードに変え、
(前は別々のドッグフードだったので、結構奪い合いを二人でやっていた。)

コンドロイチンをサプリで食べさせたり、肌に優しいシャンプーにしたり、

散歩でも段差の大きなところや溝の広いところは通らないようにしたり、と

なにかと気をつけている。



 スミレを飼う前に飼っていた愛犬は雑種。

体重が20キロ以上あったので、中型犬、というよりは大型犬に近いかもしれない。

大型犬の加齢のスピードは小型犬に較べると、随分早いらしい。

なので、12歳というと70歳以上になるのかなと思う。

脳腫瘍で歩けなくなって、半年程寝たきりとなり、12歳で亡くなった。


 不思議なことに、その子が亡くなった日の前日、スミレが生まれている。

スミレをペットショップで見かけた時、その縁に目がひかれた。
(なんとなく生命のリレーのような気がしたのかな、お母ちゃんが。)

それから、スミレを飼うと決めて、生後3か月のスミレがうちに来たわけだ。

そして、今日スミレは10歳になり、前の子の10周忌が明日になる。

十年ひと昔というが、早かったような長かったような・・・。

いずれにしても犬を飼い始めて、22年が過ぎたということなんだと、

あらためて愛犬達にこの長い時間を楽しく過ごさせてもらって、

感謝の気持ちで一杯になる。



 なにかの縁でうちに来てくれたこの二人の子たち。

うちに来てよかったのか、と訊いてみたいが、こたえてくれるわけもない。




 今いる二人に、一日でも長く生き続けてほしいと願って、

今日もこの子たちを見守っている。


・・・この子たちのほうが案外こちらを見守っているのかもしれないが・・・。


<今日のスミレ>


     

<おまけ、、、今日のクルミ>







不思議な習性

2016年11月07日 12時06分36秒 | 日記

 夏場の愛犬達との散歩は、暑さを避けるために、日の出を目安に行っていた。

その習慣で、今も引き続いて早朝に散歩に行っている。

しかし、この処日の出は6時過ぎと遅くなって、そして随分朝の冷え込みもきつくなってきた。

 散歩から帰ると、家の朝食の時間にもギリギリになるし、

上の子はこの頃歳のせいで寒さがこたえるのか、寝起きが悪い。
(以前は喜々として起きて、散歩に行ったものだが・・・。)

ゆっくりとリードをつけないと機嫌が悪くなることもあるし、

ノンビリと玄関を降りていくうしろ姿が少し老いを感じさせるようになっている。

・・・朝の散歩もボチボチ時間変更せんとあかんかな、

と思いはじめた今日、立冬の朝である。



 山茶花もチラホラと咲きはじめて、桜の木も紅葉と落葉が進んできている。

息を深く吐き出すと、白くなってきた。霜は降りてないが、車のガラスも白くなっている。

立冬とは言えど、少し寒すぎるなと思う。

 とはいえ、まだこの位の寒さなら、早朝の散歩は捨てがたい、と思ったり・・・。



 清新な空気の中、日々さまざまな景色を独り占めしているような錯覚にも陥る。

なにもひとり占めでなくても、素敵な美しい空間なんだが、個人的に、

この散歩道の風景はなにものにも換え難いくらい、至福のひとときを感じさせてくれるのだ。


<今年の朝日、朝焼け。>
    

    



 そんな立冬の朝、今日も見た不思議なものがこれ。

この数週間で5,6回は見ている現象。それは、道をモソモソと進んでいる毛虫。





 散歩しながら、いつも下ばかり見ているわけではないが、

このところ、こいつたちが気になって仕方がない。


 大群で移動するわけでもなく、ひっそりと一匹だけで、危険極まりなく、道路を渡っている。

当然人に踏まれたり、車やバイク、はたまた最近増えたカラスやヒヨドリあたりに

簡単に命を絶たれる危険の中、本能というべきなのか、孤独にも大冒険の旅に出ているんだろう。

この子達は決して危険な大冒険をしているという意識はないんだろうが、

みているこっちはその習性に驚かされる。


 ネットで調べたら、クマケムシ等々の習性らしく(クマムシ、ではない^^)、

エサを求めてかなり広範囲に積極的に動くらしい。それも結構早く動くのもいるらしいのだが、

早いといっても見ている限りはたいしたことはない。


 今の時季は暖かく冬を越すためのねぐらを探して行動しているようだ。

彼らにとっては、広大な道路を横断するというのは、

相当なリスクを背負って、命がけであることは間違いない。

早朝にこういう光景をよく見るということは、

多少でも彼らはリスクを軽くしようとしているのかな、とも思うけれど、

おそらくそんなことを感じて行動しているわけではないんだろう。

本当に自然の営みは不思議に溢れているなと思う。




 とはいっても、

こんな不思議な現象を、早朝、ノンビリ暇そうに見つめている2匹の犬連れのジジィの姿、

そっちの方がよっぽど不思議な姿、不審な現象なのかもしれない・・・。

・・・通報されないよう、気をつけねば。^^;