なにごともなく過ぎていた日々が懐かしい。
失って初めて分かる存在感。命って何なんだろうかと、思わずにはいられない。
すっかり涙もろくなってしまった。
愛犬クルミが2月1日に亡くなった。7歳7か月。死因はじん不全。
食が細くなってきたので病院に行くと、腎臓の数値が非常に悪く、すぐに入院。
なんとか5日間、点滴で先生も懸命に治療をしてくれたのだが、
入院6日目に一旦自宅で過ごそうとして病院に迎えに行ったとき、崩れ落ちるように死んでいった。
思い出すと、理屈ではなく、涙がこぼれる。クルミの命が果てた瞬間なんだろう。
クルミがうちに来たのは、上のスミレがちょっと社会性がないというか、
他の犬とすぐにケンカをしてしまうという性格だったので、
多頭飼いがいいですよ、という薦めがあったからだった。
広島のブリーダーさんのところで生まれ、生後2か月が過ぎ、引き取りに
日帰りで広島まで迎えに行った。当時から細くて、体重は460g。
ところが、うちに来て1か月もしないうちに血便が出て、
最後までお世話になることになった獣医さんのところに行った。
以来、その獣医さんには避妊手術、腸炎や脳震とう、膝の半月板のケガ、皮膚の疥癬等々
散々お世話になった。入院は3回にのぼった。
今思うと、やっぱり身体が弱かったんだろうな、と思う。
脳震とうを起こしたあと、急に食欲が異常なくらい増して、
一時体重が5キロ近くまで太ったことがあったが、
それも足に負担が来て靭帯を痛めることになって、なんとか克服して体重は戻って元気になった。
わずか7年余りで逝ったクルミだが、ぼくにとっては会社を辞めた後でもあり、
うつ病のきつい時期を一緒に過ごしてくれた存在で、いなくなった後の
空虚感はなかなかぬぐえそうもない。
当初は、スミレの為に来たような感じがしていたが、
亡くなって思うのは、クルミはクルミで本当に個性があって、なによりかわいかった。
クルミはクルミだったんだな、と思う。そして、もっともっと一緒にいたかった。
7歳で逝ったのはあまりにも早過ぎる。
普段、何気ないことが多く、記憶にも残らないような毎日の風景。
その一部が無くなってしまって、初めてその部分の大切さが分かってくるんだろう。
喪失感という言葉が一番当てはまりそうだ。
今思い出すのは、いろんなところにクルミの居場所があったということ。
散歩に行ったときに歩くクルミの足あと、好きな場所。
家で寝るときの好きな場所。僕が横になっていると、足の間にスミレ、
胸のところにクルミというのが定番だった。
ごはんの時のオヤツを食べる順番。走り回るときのくせ。・・・。
・・・毎日生活していると感じるクルミの居場所。
やっぱりしばらくはこの空虚な気持ちは治りそうもないかな。
でも、一番一緒にいた時間が長かったのは、上の子、スミレ。
なにがどうということではなく、スミレの様子もなんとなくいつもと違う。
クルミを亡くしてスミレも違和感を感じているんだろう。
お葬式の時も最後までクルミの棺を目で追っていたし、
最近、ときにクルミの居場所にスミレがいたりする。
スミレなりにいなくなったことを感じているんだろう。
どんな気持ちなのか、話ができたら本当に聞いてみたい。
このところ、散歩に行っているときにスミレと目を合わせることが増えた。
スミレは僕に目で『頑張ろうぜ。』とでも言っているのかもしれない。
昨日四十九日忌を終えて、なんとなく気持ちの整理がついてきたので、
ブログにクルミのことを書くことで、一段落になればな、と思っている。
四十九日を過ぎて、本位牌が出来、クルミの安住の居場所がそこであることを
心から願っている。