『河』 1950年 105分
監督 ジャン・ルノワール
製作 ケネス・マッケルダウニー
原作 ルーマー・ゴッデン
脚本 ルーマー・ゴッデン
ジャン・ルノワール
撮影 クロード・ルノワール
音楽 M・A・パーサ・サラティ
助監督 サタジット・レイ
出演
パトリシア・ウォルターズ
エイドリアン・コリラーダ
トーマス・ブリーン
アーサー・シールズ
- やがて すべてをもたらす河は 若い男性を連れてきた -
バレリー (気まぐれで、不真面目、不誠実が特技)
この子は、積極果敢に大尉にアタックして心を射止めることにはなったけれど.でも、何も悩みが無さそうな彼女は、大尉の悩みを慰めることは出来ず、反対に悩みを深めることになってしまった.
彼女は花を持って、嫌われてしまった大尉に会いに行った.そして、抱き締めあって、彼女にとって初めての大人の口づけをした.でも、彼女はこう言った.
『キッスはしたくなかった.いつまでも夢のままでいたかった』
今更、不満を言うことはないはず.贅沢な悩みの女の子.
メラニー (恋愛は一生に一度、何事にも冷静、誠実で、真剣)
- 片足の人の国でも探す気 -
この子は、自分がインド人なのかイギリス人なのか悩んでいた.そして彼女には許婚がいて、結婚、恋愛を真剣に考えていたであろう、彼女は、大尉を遠くから眺めるだけで、同じ家にいながら、二人だけで顔を合わせるのを避けていたようだ.
自分の悩みは自分で解決するしかない、決して大尉の悩みを解消することは出来ない、そう知りつつも、バレリーの酷い仕打ちに苦しむ大尉を観るに観かねて、彼女は自分の方から近づいていった.
『帰る.自分はよそ者だ』と言う大尉、それに対してメラニーは.....
『どこへ行くの?』
『解らない』
『片足だけの国へ行くつもり?』
残酷な言葉であったが、メラニーははっきりと言った.片足の国へ行けば、よそ者ではないかも知れないが、けれども、だからと言って、あなたの満足は得られることはない、悩みが解消することはないのだと.
『僕を嫌いじゃないかと.そうなの?』
『あなたじゃないわ』
『誰』
『私自身よ』、大尉は自分を好きだったのか、嫌いだったのか?
ハリエット (魔法使いで、映画の進行役)
- 私は自分を 醜いアヒルの子と思っていた -
この子は魔法使い.インドに人々に伝わる魔法の力で大尉を元気づけようとしたけれど、けれども大尉はバレリーに夢中で、彼女の言葉は上の空、真剣に聞いてくれず、残念ながら彼女の魔法は大尉には伝わらなかったようだ.
ハリエットは自分を、醜いアヒルの子と思っていた.つまり彼女は白鳥だった.
ルネ・クレールの『奥様は魔女』の魔女は、俗世の世の汚れた心の魔法使い.それに対してハリエットは、清らかな美の世界の魔法使い.
彼女は、河のほとりで暮す人々の姿、河と共に暮らす人々の姿、二つの祭り、そして彼女の恋心を語りながら、幾度も自身が魔法にかかって観せた.
詩が好きな女の子.
『河は流れ、地球は回る.朝も昼も、そして真夜中も.....』
『太陽と月と星が空を巡り.....一日が終わり、そして終わりが始まる』
『大尉のために書いた詩だ.気に入ってもらえるかどうか心配だったけど.....』
『もっともっと川の全てを書きたい、そう思った』
『川は物理的にも精神的にも人々を支えているということ.....』
『思索や瞑想にふけるインドの人々のことを大尉に伝えたかった』
.....
-----船の生活の話、それから河に降りる階段の話へと続く
.....
『魔法の階段のことも教えたかった』
『騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が』
『私は階段が好きだった』
.....
『階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった』
『サラスヴァティーの祭りが近づいていた』
『学問と芸術の女神に、私は大尉を魅了する言葉を与えてと願った』
.....
そして、彼女はインドの物語を書くことにした.
『不満』 ある夫婦が子供が欲しいと願った.女の子だと持参金がいるので男の子を望んだが、けれども生まれたのは女の子だった.
『満足』 女の子はとても良い子で、家の手伝いをしてお金を稼いだ.女の子は美しい娘に育った.
『不満』 娘は素敵な男に巡り会い恋をした.けれども親の勧める相手と結婚しなければならず、娘は悲しかった.
『満足』 悲しみの内に結婚式を迎えた娘.その結婚相手は娘の恋する男だった.
メラニー扮する女の子、清らかな美の化身の女神に授かった魔法によって、愛を語る踊りを舞う.彼女は誠実な内に秘めた熱い想いを語った.
(この書き方は映画ではなく、プーシキンの詩かもしれない)
インドで暮らす人々の物語は、この話が、永遠に続くのだった.
人々の暮らしには喜びもあれば悲しみもある.その繰り返しである.
さて、魔法使いのハリエットちゃん、彼女の魔法の力をもう一つ.
『河は物理的にも精神的にも、人々を支えている』
『魔法の階段のことも教えたかった』
『騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が.....』
物理的に支えているとは、例えば漁をして魚を取り生活の糧を得ること.
精神的に支えているとは、騒がしい俗世で疲れた心に、河は安らぎを与え元気にして、心に満足を与えていると言うこと.
ボギー
- つづりより カメがいい -
自然が大好きな少年だった.この子は自然と共にあるがままに生き、そして死んでいった.短い人生、ボギーにとって満足が行く人生であったかどうか、それは解らないけれど.けれどもコブラが好きで夢中になり、そして噛まれて死んでいった.好きなことに夢中になって死んでいった、その人生に決して不満はないはずだ.
千年も、二千年も変わることのない生活を続ける、ガンジス川の辺で暮す人々.もし不満があれば、同じ生活が続くことはないはずだ.
運んだ印に貝殻を貰いながら船から荷物を担いで運びあげる労働、黄麻工場の労働、彼らの様子はどう見ても裕福な生活からは程遠い.辛い仕事だと思えるけれど、けれども彼らの姿から不平不満を言う様子は感じられない.ハリエットの魔法の教えでは、彼らは河との触れ合いで心に満足を得て、現実の境遇に不平不満を抱かずに生きているらしい.
片足の生活に満足を求めるのは無理で、満足を求めるから不満が生まれる.ありのままの自分を受け入れて不満を言わなければ、少なくとも自分で自分が嫌いになることは無いはずだ.
自分で自分を好きになれる、そうした生き方が理想ではあるけれど、そんな生き方が出来るのは一握りの人々にすぎず、皆、ありがままの自分を受け入れて、不満を言わずに生きているに過ぎないのではないのか.
一時は英雄ともてはやされはしたが、社会から見捨てられてしまった大尉.
バレリーのように贅沢な不満を口にする子もいたけれど、メラニーもハリエットも、思い返せば皆、自分を励ましてくれたのだ.ボギーのように好きなことを見つけて不満を抱かず生きて行けば、何時かは満足の行く自分を見つけ出せるかもしれない.彼は自分で自分の幸せを見つけ出す元気を取り戻して帰っていった.
インド人にとって恋愛は一生に一度、許婚のあるメラニーは大尉に好意は抱いていても、恋愛に発展させるのは躊躇があったであろう.
バレリーとハリエット、二人の恋愛、二人の魔法は大尉と共に去っていった.
--------------------------------------
こちらは、愛の女神(誠実と静かな情熱)
では、こちらの神様は?
偶像、辞書を引いても信仰の対象物、こんな程度しか書いてない.これでは何も分からない.
太古の時代、権力者が死ぬと、墓に一緒に生け贄を生めた.生きた人間を生めました.
時代が変わって、これではいけないという考えになって、身代わりに埴輪を生めるようになった.
埴輪は偶像、偶像とは身代わりなのです.
破壊なくして創造なし.
河の泥から創った偶像を、祭りが済んだら河に戻す.
つまり、自分の身代わりが死んで、自分自身は新しく生まれ変わる.
『階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった』
日本は季節の移り変わりがはっきりしているので、例えば季節によって着るものが変わり、生活の区切りになる.
インドは季節の移り変わりがはっきりしないので、祭りを生活の区切りにする.
気分を新たにする区切りにする、と言うことなのでしょう.
河の泥から創った偶像が、怖い顔をしていたのはなぜなのか?、
『悪を破壊することにより善が生まれるからだ』、解りやすくハリエットは教えてくれている.
生きている人は、自分の間違いを正すことにより、生まれ変わることが出来る.
自分の過ちを反省し、その心で悪い心の神様にお祈りする.
自分の悪い心を悪い心の神様にあげて、その神様は祭りが済むと河に戻す.そして自身は清らかな心に生まれ変わる.
灯明祭
- 遠い昔 善と悪の間で起こった 戦いをしのぶ祭りで- -
かつて戦争で沢山の犠牲者が出た.その犠牲者の数だけ明かりを灯す祭り.
自分達は戦争をする悪い人間だった.悪い心の神様にお祈りすることにより、その反省をいつまでも持ち続けるからこそ、千年、二千年と平和な世の中を続けることが出来る.
日中戦争、太平洋戦争で東南アジアで二千万人の犠牲者を出した.その事実すら、もう忘れ去られようとしている.何かにつけて戦争を正当化しようとする日本人とは大違いの考えを、ガンジス河の畔に暮す人々は持ち続けて暮している.
『善と悪の間に起こった戦いをしのぶ祭り』
なにか変か?、何も変ではない.戦いは必ず善と悪の間に起こる.
東洋長久平和のため、米英の鬼畜生を懲らしめてやる.こうして太平洋戦争は始まった.
必ず自分が善で、相手は悪である.
戦いは必ず善と悪の間に起こる.
カーリー
戦争の神様.手が4本有って、2本で武器を、2本で生首を持つ.つまり悪魔、あるいは悪い心の神様と言えます.
2016/04/03
河と共に暮らす人々、河に触れ合いながら暮らす人々の生活、悪い心と愛の心の二つの祭り、そして大尉との恋愛、ハリエットはそれらを語りながら、自身が何度も魔法にかかって観せる.
この様子を、情熱的に書き加えること.
『大いなる幻影』 1937年
ユダヤ人との友情と、ドイツ人との恋愛を描いた.
戦争は封建制度の時代は(特権を持った)貴族の役目であったが、民主主義の時代になったからと言って(普通の)人々の役目にしてはならない.
平和を守るのが、人々の役目である.
『ラ・マルセイエーズ』 1938年
戦争が避けられないであろう、逼迫した状況になってしまったが.....
もう一度、なんのために戦うのか考えろ.
(民衆カンパによる製作)
『自由への闘い(この土地は私のもの)』 1943年
戦争が始まってしまった.
基本的人権を武力で脅かすものは、全て侵略者である.
基本的人権を守るために戦うのだ.
(自費製作)
『河』 1950年
戦争を繰り返してはならない.
戦争を起こさず幾千年も変わらない暮らしをしている、インドの人々の暮らしを描いた.
下の左手に持っているのは、どう見ても人間の首です.
人々
バレリー
灯明祭
メラニー
監督 ジャン・ルノワール
製作 ケネス・マッケルダウニー
原作 ルーマー・ゴッデン
脚本 ルーマー・ゴッデン
ジャン・ルノワール
撮影 クロード・ルノワール
音楽 M・A・パーサ・サラティ
助監督 サタジット・レイ
出演
パトリシア・ウォルターズ
エイドリアン・コリラーダ
トーマス・ブリーン
アーサー・シールズ
- やがて すべてをもたらす河は 若い男性を連れてきた -
バレリー (気まぐれで、不真面目、不誠実が特技)
この子は、積極果敢に大尉にアタックして心を射止めることにはなったけれど.でも、何も悩みが無さそうな彼女は、大尉の悩みを慰めることは出来ず、反対に悩みを深めることになってしまった.
彼女は花を持って、嫌われてしまった大尉に会いに行った.そして、抱き締めあって、彼女にとって初めての大人の口づけをした.でも、彼女はこう言った.
『キッスはしたくなかった.いつまでも夢のままでいたかった』
今更、不満を言うことはないはず.贅沢な悩みの女の子.
メラニー (恋愛は一生に一度、何事にも冷静、誠実で、真剣)
- 片足の人の国でも探す気 -
この子は、自分がインド人なのかイギリス人なのか悩んでいた.そして彼女には許婚がいて、結婚、恋愛を真剣に考えていたであろう、彼女は、大尉を遠くから眺めるだけで、同じ家にいながら、二人だけで顔を合わせるのを避けていたようだ.
自分の悩みは自分で解決するしかない、決して大尉の悩みを解消することは出来ない、そう知りつつも、バレリーの酷い仕打ちに苦しむ大尉を観るに観かねて、彼女は自分の方から近づいていった.
『帰る.自分はよそ者だ』と言う大尉、それに対してメラニーは.....
『どこへ行くの?』
『解らない』
『片足だけの国へ行くつもり?』
残酷な言葉であったが、メラニーははっきりと言った.片足の国へ行けば、よそ者ではないかも知れないが、けれども、だからと言って、あなたの満足は得られることはない、悩みが解消することはないのだと.
『僕を嫌いじゃないかと.そうなの?』
『あなたじゃないわ』
『誰』
『私自身よ』、大尉は自分を好きだったのか、嫌いだったのか?
ハリエット (魔法使いで、映画の進行役)
- 私は自分を 醜いアヒルの子と思っていた -
この子は魔法使い.インドに人々に伝わる魔法の力で大尉を元気づけようとしたけれど、けれども大尉はバレリーに夢中で、彼女の言葉は上の空、真剣に聞いてくれず、残念ながら彼女の魔法は大尉には伝わらなかったようだ.
ハリエットは自分を、醜いアヒルの子と思っていた.つまり彼女は白鳥だった.
ルネ・クレールの『奥様は魔女』の魔女は、俗世の世の汚れた心の魔法使い.それに対してハリエットは、清らかな美の世界の魔法使い.
彼女は、河のほとりで暮す人々の姿、河と共に暮らす人々の姿、二つの祭り、そして彼女の恋心を語りながら、幾度も自身が魔法にかかって観せた.
詩が好きな女の子.
『河は流れ、地球は回る.朝も昼も、そして真夜中も.....』
『太陽と月と星が空を巡り.....一日が終わり、そして終わりが始まる』
『大尉のために書いた詩だ.気に入ってもらえるかどうか心配だったけど.....』
『もっともっと川の全てを書きたい、そう思った』
『川は物理的にも精神的にも人々を支えているということ.....』
『思索や瞑想にふけるインドの人々のことを大尉に伝えたかった』
.....
-----船の生活の話、それから河に降りる階段の話へと続く
.....
『魔法の階段のことも教えたかった』
『騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が』
『私は階段が好きだった』
.....
『階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった』
『サラスヴァティーの祭りが近づいていた』
『学問と芸術の女神に、私は大尉を魅了する言葉を与えてと願った』
.....
そして、彼女はインドの物語を書くことにした.
『不満』 ある夫婦が子供が欲しいと願った.女の子だと持参金がいるので男の子を望んだが、けれども生まれたのは女の子だった.
『満足』 女の子はとても良い子で、家の手伝いをしてお金を稼いだ.女の子は美しい娘に育った.
『不満』 娘は素敵な男に巡り会い恋をした.けれども親の勧める相手と結婚しなければならず、娘は悲しかった.
『満足』 悲しみの内に結婚式を迎えた娘.その結婚相手は娘の恋する男だった.
メラニー扮する女の子、清らかな美の化身の女神に授かった魔法によって、愛を語る踊りを舞う.彼女は誠実な内に秘めた熱い想いを語った.
(この書き方は映画ではなく、プーシキンの詩かもしれない)
インドで暮らす人々の物語は、この話が、永遠に続くのだった.
人々の暮らしには喜びもあれば悲しみもある.その繰り返しである.
さて、魔法使いのハリエットちゃん、彼女の魔法の力をもう一つ.
『河は物理的にも精神的にも、人々を支えている』
『魔法の階段のことも教えたかった』
『騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が.....』
物理的に支えているとは、例えば漁をして魚を取り生活の糧を得ること.
精神的に支えているとは、騒がしい俗世で疲れた心に、河は安らぎを与え元気にして、心に満足を与えていると言うこと.
ボギー
- つづりより カメがいい -
自然が大好きな少年だった.この子は自然と共にあるがままに生き、そして死んでいった.短い人生、ボギーにとって満足が行く人生であったかどうか、それは解らないけれど.けれどもコブラが好きで夢中になり、そして噛まれて死んでいった.好きなことに夢中になって死んでいった、その人生に決して不満はないはずだ.
千年も、二千年も変わることのない生活を続ける、ガンジス川の辺で暮す人々.もし不満があれば、同じ生活が続くことはないはずだ.
運んだ印に貝殻を貰いながら船から荷物を担いで運びあげる労働、黄麻工場の労働、彼らの様子はどう見ても裕福な生活からは程遠い.辛い仕事だと思えるけれど、けれども彼らの姿から不平不満を言う様子は感じられない.ハリエットの魔法の教えでは、彼らは河との触れ合いで心に満足を得て、現実の境遇に不平不満を抱かずに生きているらしい.
片足の生活に満足を求めるのは無理で、満足を求めるから不満が生まれる.ありのままの自分を受け入れて不満を言わなければ、少なくとも自分で自分が嫌いになることは無いはずだ.
自分で自分を好きになれる、そうした生き方が理想ではあるけれど、そんな生き方が出来るのは一握りの人々にすぎず、皆、ありがままの自分を受け入れて、不満を言わずに生きているに過ぎないのではないのか.
一時は英雄ともてはやされはしたが、社会から見捨てられてしまった大尉.
バレリーのように贅沢な不満を口にする子もいたけれど、メラニーもハリエットも、思い返せば皆、自分を励ましてくれたのだ.ボギーのように好きなことを見つけて不満を抱かず生きて行けば、何時かは満足の行く自分を見つけ出せるかもしれない.彼は自分で自分の幸せを見つけ出す元気を取り戻して帰っていった.
インド人にとって恋愛は一生に一度、許婚のあるメラニーは大尉に好意は抱いていても、恋愛に発展させるのは躊躇があったであろう.
バレリーとハリエット、二人の恋愛、二人の魔法は大尉と共に去っていった.
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こちらは、愛の女神(誠実と静かな情熱)
では、こちらの神様は?
偶像、辞書を引いても信仰の対象物、こんな程度しか書いてない.これでは何も分からない.
太古の時代、権力者が死ぬと、墓に一緒に生け贄を生めた.生きた人間を生めました.
時代が変わって、これではいけないという考えになって、身代わりに埴輪を生めるようになった.
埴輪は偶像、偶像とは身代わりなのです.
破壊なくして創造なし.
河の泥から創った偶像を、祭りが済んだら河に戻す.
つまり、自分の身代わりが死んで、自分自身は新しく生まれ変わる.
『階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった』
日本は季節の移り変わりがはっきりしているので、例えば季節によって着るものが変わり、生活の区切りになる.
インドは季節の移り変わりがはっきりしないので、祭りを生活の区切りにする.
気分を新たにする区切りにする、と言うことなのでしょう.
河の泥から創った偶像が、怖い顔をしていたのはなぜなのか?、
『悪を破壊することにより善が生まれるからだ』、解りやすくハリエットは教えてくれている.
生きている人は、自分の間違いを正すことにより、生まれ変わることが出来る.
自分の過ちを反省し、その心で悪い心の神様にお祈りする.
自分の悪い心を悪い心の神様にあげて、その神様は祭りが済むと河に戻す.そして自身は清らかな心に生まれ変わる.
灯明祭
- 遠い昔 善と悪の間で起こった 戦いをしのぶ祭りで- -
かつて戦争で沢山の犠牲者が出た.その犠牲者の数だけ明かりを灯す祭り.
自分達は戦争をする悪い人間だった.悪い心の神様にお祈りすることにより、その反省をいつまでも持ち続けるからこそ、千年、二千年と平和な世の中を続けることが出来る.
日中戦争、太平洋戦争で東南アジアで二千万人の犠牲者を出した.その事実すら、もう忘れ去られようとしている.何かにつけて戦争を正当化しようとする日本人とは大違いの考えを、ガンジス河の畔に暮す人々は持ち続けて暮している.
『善と悪の間に起こった戦いをしのぶ祭り』
なにか変か?、何も変ではない.戦いは必ず善と悪の間に起こる.
東洋長久平和のため、米英の鬼畜生を懲らしめてやる.こうして太平洋戦争は始まった.
必ず自分が善で、相手は悪である.
戦いは必ず善と悪の間に起こる.
カーリー
戦争の神様.手が4本有って、2本で武器を、2本で生首を持つ.つまり悪魔、あるいは悪い心の神様と言えます.
2016/04/03
河と共に暮らす人々、河に触れ合いながら暮らす人々の生活、悪い心と愛の心の二つの祭り、そして大尉との恋愛、ハリエットはそれらを語りながら、自身が何度も魔法にかかって観せる.
この様子を、情熱的に書き加えること.
『大いなる幻影』 1937年
ユダヤ人との友情と、ドイツ人との恋愛を描いた.
戦争は封建制度の時代は(特権を持った)貴族の役目であったが、民主主義の時代になったからと言って(普通の)人々の役目にしてはならない.
平和を守るのが、人々の役目である.
『ラ・マルセイエーズ』 1938年
戦争が避けられないであろう、逼迫した状況になってしまったが.....
もう一度、なんのために戦うのか考えろ.
(民衆カンパによる製作)
『自由への闘い(この土地は私のもの)』 1943年
戦争が始まってしまった.
基本的人権を武力で脅かすものは、全て侵略者である.
基本的人権を守るために戦うのだ.
(自費製作)
『河』 1950年
戦争を繰り返してはならない.
戦争を起こさず幾千年も変わらない暮らしをしている、インドの人々の暮らしを描いた.
下の左手に持っているのは、どう見ても人間の首です.
人々
バレリー
灯明祭
メラニー