山中貞雄 1935年
一攫千金
誰でもお金が欲しい、沢山欲しいのですが.
元はと言えば、百万両の壷.欲に目が暗み何としても壷を取り戻したい大名が、どんな壷でも一両で買うという.そうした経緯から左膳は1両を手にするのだけど、その一両を、左膳は、めんこの代わりに、子供にやってしまった.
子供は1両を元手にして、めんこで勝って、60両を稼いでしまい、お藤は『なんてことをするのだ、返しておいで』と子供をしかる.
そして、お金を返しに行く途中で、子供はお金を盗まれてしまい、困り果てた左膳とお藤は喧嘩になり、子供は家出をしてしまうことになる.
不幸の始まりは、百万両の壷.と、思えるのだけど、それは違うらしい.確かに左膳が子供に1両を渡してしまった、子供に不釣り合いの大金を渡したことは悪いのだけど、一両位のお金ならば、左膳もお藤も困ることがなかったはず.
左膳は博打でお金を作ることにして、子供を連れて賭場に行くけれど、負けてしまう.
翌日、左膳は『十両位にはなるだろう』そう言って道場破りに出かけていった.全部は無理だけど、いくらかでも稼いでこよう、左膳は、地道に働いてお金を稼ぐことにしたらしい.こう考えると、博打でお金を稼ぐことが間違っていると言う、あまりにも当然のことが見えてくる.
子供を博打場に連れて行くことが良いことがどうか、それはそれとして、お藤が子供を叱ったように、博打で大金を稼いだことに、間違いがあった.それは、大人でも、子供でも、大名でも、庶民でも、同じこと.
子供が60両稼いでしまった、つまりは、必要としない大金を手に入れた所に間違いがあった.大名にしても、百万両もの大金は必要としない.必要としない大金を、働かないで手に入れようとする、それが間違っていると言うことなのでしょう.