映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

『古都』岩下志麻

2019年07月23日 01時40分14秒 | 邦画その他
『古都』
1963年1月13日公開 105分

監督  中村登
製作  桑田良太郎
原作  川端康成
脚本  権藤利英
撮影  成島東一郎
音楽  武満徹

出演
    岩下志麻
    吉田輝雄
    早川保
    長門裕之
    環三千世
    中村芳子
    宮口精二
    東野英治郎



双子の姉妹.
妹は、捨てられた姉が、捨てられたことによって辛い思いをしているのではないかと、それを案じて姉を探し求めていた.
他方姉は、彼女は自分が裕福な家に拾われて幸せになったが、妹の方は自分を捨てるような貧乏な家庭で辛い思いをしているのでは、と案じていたのだった.

姉は、幸せはお金だと、お金が重要だと思っていたのかもしれないが、妹には無用だった.綺麗な着物も、姉と自分を間違えた男もいらない.彼女は自分で働いて、自分で幸せを掴む女の子だった.
双子の姉妹であっても、それまで別々の暮らしをしてきたのであり、なおかつ、姉は姉なりの幸せを、妹は妹なりの幸せな生き方をしてきたのだから、これからもそれぞれの道で、それぞれの幸せを求めて行けば良いのだ.

幸せは、お金ではない.姉妹が互いに互いの幸せを願う、その心に有るはず.
その心を姉の元に残して、妹は帰って行った.
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もし姉妹のどちらかが愚れた生活をしていたら、愚れた当人が不幸なだけではなく、姉妹の他方も辛い思いをしなければならなかった、こう考えれば、二人共にそれぞれの生き方で幸せな生活をしていたとすれば、相手の幸せは自分の幸せでもあったはず.

誠実
妹を姉と勘違いしたのは仕方のない事だった.けれども、だからと言って姉から妹へ心変わりした織物屋の若者、彼は誠実な人間と言えるのだろうか.

親が子供を捨てることは、これ以上にない不誠実な出来事である.妹はその事実を、その不誠実を許すことが出来ず、姉を探し求めていたと言ってよいでしょう.
巡り合って姉の幸せを知った彼女は、それまでと変わらない自分自身の仕事を続け、そして姉の幸せの邪魔をしない生き方をすること、つまりは自分自身に誠実な生き方を望んだのだった.
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妹は片意地張らずに、姉の好意を受け入れて一緒に暮らしても良いのではないか、と、思えてならないのだけど.....
けれども、そうしたならば、それは、親が子供を捨てた行為を、肯定することに他ならない.
貧乏な家庭だったので、金持ちの家の前に子供を捨てたら、その子は幸せになった.子供を捨てて良かった、と言う話になってしまう.

子供が親に捨てられた不幸と、裕福な優しい両親の家庭に拾われた幸福とは、別のものである.
今一度書けば、自分自身に誠実に生きること、幸せはそこから始まるはずだ.


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