映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

『穴』 - LE TROU - (ジャック・ベッケル)

2013年01月16日 05時30分20秒 | ジャック・ベッケル
穴 - LE TROU -
1960年 124分 フランス

監督  ジャック・ベッケル JACQUES BECKER
製作  セルジュ・シルベルマン SERGE SILBERMAN
原作  ジョゼ・ジョヴァンニ JOSE GIOVANNI
脚本  ジャック・ベッケル JACQUES BECKER
    ジョゼ・ジョヴァンニ JOSE GIOVANNI
    ジャン・オーレル JEAN AUREL
撮影  ギスラン・クロケ GJISLAIN CLOQUET

配役  
Geo........ミシェル・コンスタンタン MICHEL CONSTANTIN
Roland.....ジャン=ケロディ JEAN KERRAUDUY
Manu.......フィリップ・ルロワ PHILIPPE LEROY
Monseigneur.....レイモン・ムーニエ RAYMOND MEUNIER
Gaspard....マルク・ミシェル MARK MICHEL






所長は、おまえは良い奴だ良い奴だと、ガスパールに事ある毎に言う.実際に訴えが取り下げられ、彼は本当に良い奴だった.所長の言葉は、明日には無理だが、近日中には出所出来るだろう、彼は悪人ではなかった.けれども、その結果、彼は仲間を裏切ることになる.
ガスパールが裏切ったのは間違いがないのだけど、問題はそこにはない.所長と話をしてから結末まで、随分時間がある.脱獄の事実が発覚した時、すぐに捕まえたわけではない.映画を面白く観せるための演出ならば、それほど興味を抱くことではないのだけど、実際に起きた出来事がこうであったとするならば、これはどう言うことなのだろうか.
二時間も何をしていた、何を話したか言え、こう問い詰められて、ガスパールは、僕が裏切ったと(思っているのか)、(君達を)僕は信じていた、こう答えた.彼は、逃げ出す直前の、事実が発覚した後も、まだ、違う、と叫んだ.とことん、仲間に嘘をつき通したのだった.
ガスパールに、監房へ帰れ、こう言ったのは、班長であった.電話で呼ばれた班長が所長の部屋に入るときは、床を磨いていた男たちはしゃがんでいたが、ガスパールを連れて出て来たときは、立って足で磨いていた.どうも、班長を交えて三人で暫く話をしていたらしい.その時間が二時間だとすれば、その間に彼らが掘った穴は、調べられていたはずである.そして、班長は事情を知った上で、ガスパールを監房へ帰した事は間違いないはず.

鉛管工が泥棒したとき、班長は泥棒を監房へ連れてきた.班長は、泥棒をした鉛管工が、監房の者達に殴られることが分かっていて連れてきた、殴らせるために連れてきたと、私はこう思っていた.そして、仲間を裏切ったガスパールが、本当のことを話せば、他の者達から殴られることも、これも、当然分かっていたはずであり、暴力が行われることを承知の上で、班長はガスパールに檻房へ戻るように言ったのだ、と、こう考えていたのだけど.
泥棒をした鉛管工を連れてきたとき、班長は『頼んだよ』、こう言ったが、殴れとは言っていない.このように言うと詭弁のように思えるけれど、どうなのでしょうか?.
泥棒の事件を班長が自分で処理すれば、当然、盗んだ者達を処罰することになる.監房へ帰る道を間違えただけで独房入り、盗みの場合はどうなるのか.だから、彼の優しさによって、入所者同士の争いは、入所者どうして解決するように任せたと言ってよいはず.
泥棒をどう解決するか、監房の者達に任された.彼らが、盗まれた物を取り戻して鉛管工を許してやれば、班長の優しさによって全てが解決されたはずである.しかし彼らは暴力をふるってしまった.一発、二発は殴ることが許されたかもしれないけれど、彼らは、止めに入らなければ殺しかねないほど殴りつけた.

鉛管工から班長の行為を考えれば、殴られたにしても自業自得であり、殴られた代わりに懲罰を逃れたのだから、この点でも文句はないはず.あるいは、つれてこられた時点で、班長に自分たちから盗みを告白すれば、殴られることはなく、いくらかは懲罰も軽くなったと思われます.少なくとも、彼らからしてみれば、班長に対して、暴力を承知で自分たちを連れてきたと、文句を言う筋合いは無いでしょう.
他方、泥棒の被害者の檻房の彼らからすれば、殴ったのは自分たちである以上、当然ながら、班長に対して、暴力を黙認した酷いやつと言う筋合いはありません.
外部の人間からみれば、班長の行為はいかがなものかと思えるのですが、当事者にしてみれば、何も班長に文句を言う筋合いは無いと思われます.

ガスパールが檻房の者に、本当のことを話した時点で、この事件は終わったはずである.班長の取った態度は、鉛管工の時と同じであると言ってよいはず.ガスパールが檻房に戻った時点では、表向きには、未だ事件は発覚していないのだから、ガスパールが本当のことを話して、脱獄を止めて自首すれば、ガスパールだけでなく、皆の罪がいくらかは軽くなったはずである.
けれども、ガスパールは最後まで嘘をつき通した.なぜ、本当の事を言えなかったかと言えば、最後は殺されかけた様に、暴力が怖かったに他ならない.ガスパールは、無実であり脱獄の罪を犯すことなく出所したい、だから仲間を裏切った.そのことを話せば鉛管工と同じように、それ以上に殴られる事が解りきっていたので、だから嘘をつき通したのだった.

所長のように、優しく声をかければ本当のことを話、暴力で脅せば嘘をつく.これは、皆、同じであった.鉛管工の事件では、彼らもまた班長の優しさに対して、本当のこと、本心を、本性を表して暴力をふるったのである.
彼らは班長の優しさに縋って暴力をふるったのである.正しく言えば、班長の優しさを取り違えて暴力をふるったと言うべきかもしれないが、同じことである.だから彼らは、所長の優しさに縋って、仲間を裏切ったガスパールを責めることは出来ない.

禁止品のガスライターを所持していた事を許した、道を間違えたのを許した、そして、班長が鉛管工をつれてきたのも、出来事を無かったことにして、入所者を処罰から救う優しい行為でした.
差し入れを皆で分け合う、窓越しに荷物を運ぶ、それらは入所者同士の連帯であり、入所者同士の優しさであったはず.泥棒をした鉛管工を彼らが許してやったのなら、その優しさによって、仲間を裏切った行為は冷たい行為であると、ガスパールを責めることは出来るのですが.
『情けないやつだ』と、最後にロランはガスパールに言うのだけど、暴力を止めに入った彼以外は、皆、情けないやつだったと言うべきなのでしょう.
なんともけったくそ悪い顔の所長、『万事OKか』と言って、殴られた鉛管工を連れ帰る班長、わざと、ジャック・ベッケルはこんな演出をしているのですが、だからといって、暴力が許される理由にはなりません.極端なことを言って、班長が殴れと言ったとしても、彼らの暴力は許されないのです.
暴力とはどのようなことか、映画の中の当事者達に対しても、観る者に対しても、人間としての良識を問う映画、こう言って良いでしょう.
















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