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ブーニーと

カフェサニーブーニーが閉店してからの呟きをメインに綴ります。まだまだ追いかけるよ。

続 みちのくの旅

2022-09-06 13:57:00 | ブログ
さて翌日は更に北を目指します。会津若松から磐越道を通り、郡山を経由。そこからひたすら北上し、長者原SAにてランチ。岩手の盛岡冷麺の上に、牛タンが載ってるというご当地メニューを選びました。牛タンはとてもやわらかで麺がツルツルしてて美味しかったです。



そして着いた先は平泉の中尊寺。こちらは山のふもとにある駐車場から延々と続く上り坂で、道の左右にある高木の間をフーフー言いながら登りました。さて、ここで問題です。
問題2.中尊寺のお堂で一番最初に辿り着くお堂は何堂でしょうか?


ね。やさしいでしょ?
さて前後しましたが以下中尊寺の成り立ちです。

 「中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。

 清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。」


また特に有名な国宝の金色堂については



「金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。」

         (中尊寺ホームページより)

という事でこちらには藤原4代の御神体と副葬品がガラス張りで展示されています。まばゆいばかりの金色に圧倒されました。

それでは最後に

問題3

ここ奥州平泉に落ち延びた源義経のお妾さんであり、白拍子として舞や歌を得意とした女性は誰でしょう?




さて歴史クイズ3問。簡単過ぎましたか?お土産はまだまだあります。奮ってご応募ください!





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