
今日は父の一周忌です。偶然なのですが家事代行のお仕事で、私が幼少期から高校生まで過ごした街に行く事があり、60年前の記憶を辿りながら今は亡き両親との思い出を振り返りました。実家は電気屋を営んでおり、都営地下鉄線の駅の階段を上がるとすぐのところでした。そして三軒隣りが交番だった所以外、記憶にあった建物は見当たらず、ふと空を見上げればスカイツリー。その現代的な象徴は私に向かって「もうあなたの知ってる街はないよ」と告げている様でした。一人っ子の私は実家の電気屋がお休みの週末には、亡き母と一緒に隣町の浅草に出向き、デパートの松屋や仲見世をぶらぶらとしたものでした。なのでその道を辿り思い出に浸ろうと試みるも、こちらは周り中、外国からの観光客でごった返し早々に帰路に着く羽目になりました。

長い電車の帰り道、ぼんやりと父の事を思い出すのですが母と比べると圧倒的に一緒にいた時間が少なかったせいか、泣ける様なシーンも思い浮かばず、叱られたり、叩かれたりで腹の立つ方が多く、空から「なんて親不孝な娘だ」と聞こえてきそうでした。やがていつもの駅に降り立ち、この街もまた時を経て変わるのだなぁと思いながら、「さて夕飯の支度だわー」そそくさと切り替わり、小走りになる夕暮れでした。

長い電車の帰り道、ぼんやりと父の事を思い出すのですが母と比べると圧倒的に一緒にいた時間が少なかったせいか、泣ける様なシーンも思い浮かばず、叱られたり、叩かれたりで腹の立つ方が多く、空から「なんて親不孝な娘だ」と聞こえてきそうでした。やがていつもの駅に降り立ち、この街もまた時を経て変わるのだなぁと思いながら、「さて夕飯の支度だわー」そそくさと切り替わり、小走りになる夕暮れでした。
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