スコルビ家の書きたい放題

ヤブログで書いてきたスコットとルビーとウィルの思い出と神社仏閣巡りと2021年7月に新メンバー、ステラの成長記録

いろいろありました。1

2008-05-11 18:50:31 | 家族
日曜日だと言うのにお天気は悪い&父は会社&sakiは模試で上智大学まで行ったよ~!
遠いのにご苦労様・・・朝も早くから更に7時過ぎまで帰って来れない。
普段勉強していないのに、一日中テストなんてね~。
でも国立を目指す子は8時からテストで終わるのが8時過ぎだって・・・なんだかかわいそう・・・でもそれを過ぎると楽しい未来かな?
大学はお金がかかるから勉強嫌いの子は行かなくていいよといつも言っているのに・・・それが又悔しいのかしら?

私の入院中色々な出来事があったようです。 sakiは学校の1泊旅行へ朝早く自分でお弁当を作って出かけたようです。
大洗の水族館。
とてもお天気の悪い時でかわいそうでしたが・・・水族館のコースでよかったね~。
他のクラスは城ヶ島だとか?
台風並みの雨・・・どうしたのでしょうねぇ?


母は何も食べられなかったのにぃ・・・こんな食事をしながら・・・毎回マグロが出て飽きたなんて罰当たりなやつです。

次の日は25周年のTDLへ行ったようです。
雨はあがったものの・・・強風のためパレードもたいして見れず・・・集合時間が早いためあまり見れなかったようです。

でも、買い物をしたりアトラクションに乗って楽しかったようです・・・。
が・・・・悲惨な事件が・・・。
2へつづく~。

入院中こぼれ話・・・①
緊急院だったとはいえ・・・更に6日から痛みを訴えていたのに・・・入院は7日になっていました。
sakiは7日から学校だと言うのに・・・。
帰ったのは2時過ぎていたようです。
お父さんも仕事なのに2人&3わんずごめんねぇ。
手に握っていたタオル1本で入院した私・・・。
次の日パジャマとか洗面用具が来るのを首を長くして待っていました。
なんたって0時からだから長いよ~。
点滴で落ち着いてきた私・・・早く欲しいものもあるのに・・・来ない。
携帯も持っていないし・・・勿論お金もない。
電話のところまで動けない。
拷問にあっているようでした。
やっと夕方になる前に父娘はやってきました。
看護士さんに言われたものを持ってきてくれたようなのですが・・・。
多くは語るまい。
一応・・・発作も落ち着いてきたけど食べ物と水さえ禁止。
のど渇くのにねぇ・・・。
だってひや汗かき放題だったのにぃ。
点滴から入る水分でトイレは行きたくなるし・・・嫌だったなぁ・・・。

気がつけば周りは70歳以上の方ばかり・・・私が一番若いかも?なんて言われてしまいました。
父娘は先生に落ち着いてら近くの病院へ転院という話をしていたそうですが・・・。
前回同じ発作なのにガスが原因と言った病院なんてまっぴらごめん!!
2回とも拒否された病院も嫌な感じがして手術も先生にお願いすることにしました。
退院してまた違う病院と言うと・・・絶対行きたくないから・・・。
先生に「次の発作が起きたときに手術は?」と聞いたところ「そんな危険なこと薦めません!」とおっしゃったのでおとなしく手術を受けることにしました。

そこで4月14日手術が決まり・・・精密検査もとんとん拍子で決まってしまいました。
でも説明を聞くと・・・思ったより怖くなってきたり・・・不安な日々を過していました。
続きは「いろいろありました。2」の入院こぼれ話②へ

いろいろありました。2

2008-05-11 18:00:54 | 家族
留守中はこんなシーンは何回もあったようです。
必死になると引き戸はこじ開けるからツッパリ棒で止めるように助言しておいたのに・・・すぐにやらなかった2人のせいです。
反省?そんなのしないわよ!
次にいつご飯がもらえるかわからない生活なんだから自分で探すしかないんだもん。
お姉ちゃんが旅行から帰ってきた次の日・・・また事件が・・・。
それはお姉ちゃんの机の上に置いてあったお土産の袋・・・。
食べ物ではないからと油断していたようです。(食べ物の入っていないゴミ袋も荒らしたルビー・・なんだから気をつけるのが当たり前なのですが・・・。)
画像が撮れないほどショックだったようで・・・私に苦情メールがたくさん来ました。
でもねぇ・・・届かないところに置くのが基本ですからねぇ・・・。
机といっても椅子があれば・・・乗れるから・・。
椅子は倒れていたそうです。
それを聞いた私は怪我が無くて良かったの一言です。
お土産は又買いに行けばいいから・・・。
「又それを口実にTDLへいけばいいじゃん!!」と軽い母・・・でも、怒っていましたよ~。

唯一私が帰ってきたら一緒に食べようと思っていたものが・・・ルビーとスコットのお腹に入ってしまったようで・・・。(2匹のお腹がパンパンになっていたらしい?)
sakiはかなり怒ったりがっかり落ち込んだりして・・・いたようです。
姉が長いお留守番の時は埼玉からお散歩に行ったりしてくれていたのですけどねぇ・・・。

ウィルは高いところの悪戯は共犯になれなかったようです。

スコットもお利口にしているようですがやるときにはやる男です。

私もまだまだルビーたちにはやられてしまいますが・・・みんなもっと気をつけないと~!

3へつづく~。

入院こぼれ話②
手術が決まってから色々検査してだんだん現実の恐怖に!
比較的簡単な手術だし取っても身体に影響の少ない臓器と言うことで決心したけど・・・説明を聞いて同意書を見るたび不安が・・・。
肝臓から出ている血管を1本切るため万が一の輸血の同意書や手術に関していろいろ・・・。
腹腔鏡下胆嚢摘出術でやることになっていますが・・・取るところを縛って胆管に石が詰まっていないか造影検査をして確認したり・・・もし他の臓器と癒着していたら開腹手術になると言うことでした。
なので私は誰も来なくて良いよ!と言ったのですが・・・先生が「ご主人は朝の8時に来てください。」と言いました。
すると・・・「その日は会社で・・・。」とお父さんが・・・先生はのけぞってしまいました。
癒着があったり出血が酷い場合開腹手術に変更するのでその時に同意書が必要で、本人は麻酔でダメなので家族の人がいないといけないらしいのでした。
姉夫婦が来てくれると言うので安心しましたが、主人の父も来てくれました。
まったく・・・説明もPM8時以降で・・・これでも早く抜けてきたと言うし・・・本部の上司からは家庭のことを貝sゃ似持ち込むなと怒られたそうで・・・私のせいで申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、そんなことを言う会社も寂しいなぁ~。
前の社長の時は家族あってこそ社員が元気に働けるって!色々家族向けのレクレーションなどもあったのに・・・息子の代になったらCMばかりにお金をかけ・・・社員は二の次って感じが見え見えで嫌だなぁ~。
sakiが卒業するまでは何とか頑張って欲しいけど・・・その後はやめても何とかなるさって感じです。

手術当日は浣腸されたり・・・鼻から飲み込む管が苦しくて、げーげー・・・涙はこぼれるし(泣いてはいないのだけど・・・。)麻酔してからやって欲しいよ!!
全身麻酔の前に硬膜外麻酔を背中に打って・・・これがちょっと痛かったけどすぐ終わりいよいよ麻酔・・・。
全身麻酔は前にもやったことがあるけど10数えてくださいと言われながら5ぐらいしか覚えていなかった。
でも、今回は身体が動かなくなるのに息が苦しくて・・・苦しいと教えたくても手も動かない・・・どうしたらいいの~~~!!と思った瞬間酸素マスクを誰かがグッと思い切り押した瞬間わからなくなりました。
目が覚めたときはもう、酸素マスクと各種管が4本ほど・・・。
それと1時間ごとに自動的に図る血圧計と足にはエコノミー症候群のようなものを予防するフットマッサージ器が・・・。
意識が回復したときに思ったことは「生きてたんだ!」でした。
息の出来ない苦しみから「もうだめ・・・死ぬ!」と思ったからです。
何十センチも切ることなく3センチ程度の穴が3箇所で済み良かったです。
管がはずれてきた次の日には合併症を予防するためにも歩いた方が良いと言われトイレなど点滴と麻酔のボトルを持って歩き出しました。
硬膜外麻酔が3日間ほど効いていたので歩くのも楽でした。

でも本当に痛いのはこれからだったんだとは思いもしなかった・・・。

続きは「いろいろありました。3」の入院こぼれ話③へ

いろいろありました。3

2008-05-11 17:00:56 | 家族
そんなこんなで事件はあったようですが・・・私が退院してきたことで一応一件落着?(父娘のバトルもあった模様!私の姉に・・・両方から相談を受けたようです。
何とかsakiのお誕生日には間に合いました。
抜糸もすんで少しは楽になったけど・・・普通に動いただけで筋肉痛になってしまいました。
筋肉って背中にもお尻にもついていたんだと・・・改めて普段感じなかった筋肉痛でした。
普通の生活が当たり前だと思っていましたがこんな些細なことが大変だと思い知らされたり・・・普通に生きられるってことを改めて感謝しないとと思いました。

そういえば18年前もお腹を切ったんだよね~・・・。
sakiの大好きなティラミス&ティラミスが苦手なお父さんのために普通のも・・・・かなり手抜きで作りました。
でも、愛情はたっぷりなんだよ~!
大変な思いをして産んだ分思いは深いんだよ~!
最近それが伝わらない様で悲しいなぁ!
これからも元気で目標に向かって頑張ってね。
ステーキが食べたいと言うのでらくちん・・・焼くだけ!
私は肉無し~。
saki学校で健康診断だったようで血液をとるのに・・・血管を探られてあざになってしまっていました。
私は上手い人が多くて助かりました。
採血で一番痛かったのは太腿の付け根の動脈からでした。
今回初めてでした。

ウィルはべったり私に甘えてきて困ります。
うれしいけど・・・ウィルでもお腹に痛みが走るんですよね~。
でも動かないでいてくれれば何とかOK!
早くみんなを抱っこできるように復活するからね。
まっててね・・・とこのころは思っていました。
もう今はルビーだって何とかできます。
傷口はまだちくちく痛いですが・・。

入院生活は嫌でしたが・・・今も朝お弁当を作っていくsaki!&朝のお散歩に行ってくれるお父さん!
最初はもめたりしたみたいだけど・・今も頑張ってくれている姿を見ると感謝しています。
みんなが人間的に成長して無駄ではなかったように思えました。

それにしてもまだ中身は赤ちゃんのような・・・歳を言うのが恥ずかしい位です。(ケーキに書いてしまってありますが・・・。

でも、とりあえず・・・めでたしめでたし。

入院こぼれ話③
硬膜外麻酔が切れてきたらズキズキ痛む傷・・・でも、3日間ぐらいこれがあってくれたおかげですたすた歩けて助かっていました。
麻酔の管を抜いた後は飲み薬で散らしていました。
1ヶ月たった今もう普通にしていればズキズキはありません。
でも触ると痛いです。
一番つらいのは咳やくしゃみ・・・笑うことです。
それも和らいできてはいます。
お散歩も再開しているし人間は強いなぁ~って思います。

手術の時の恐怖を・・・麻酔科の先生が術後の様子を見にいらした時に話したところ・・・「そこまで覚えている患者さんはいないんですけどね~。怖い思いをさせてごめんなさいね~。」と言われました。
だって苦しくて怖くて・・・脳裏に残ってしまい。
退院後も夢で息が出来なくて苦しくて目が覚めると言うことが何度かありました。
今は日々の疲れでそんな夢さえ見なくなりましたが・・・。

本当は抜糸まで2週間はいる予定だったのですが・・・同室の患者さんで夜にしくしく泣いたり・・・食事中もげーげーだったり・・・で寝不足が続き(手術前もあまり寝ていないし・・・。)ほとんどの治療が終わって抜糸を待つ3日間早く退院しました。
けれど・・・それは大人しくしているのが条件だったので家には帰らず姉夫婦の家にお世話になりました。
家の事は心配でしたが早く治してしまわないと・・・また余計時間がかかると言われたからグッと我慢でした。
でも、力尽きてきていた・・・情けない人たちは泣き言ばかりメールや電話で大変だったので・・・姉が応対していたようです。
携帯をリビングに忘れて部屋に戻ったのが良かったようです。
おかげでぐっすりと眠ることが出来ました。
と言っても寝返りをうつと痛くて目が覚めてしまうのですけどね~。
入院中は看護士さんが来るたび目が覚めてしまうし・・・点滴を帰るとき腕についたバーコードをかざさないといけないし・・・2日おきに採血していたのも朝の4時とかだったから長く寝られ無かったです。

でも、私は一応傷が治れば普通の生活に戻れるけど・・・・入院患者さんの中ではもう、余命宣告をされたりしていて・・・かける言葉がありませんでした。
義姉は余命宣告を受けてからも何年も持ちこたえたので自分の事ではないけど諦めないで欲しかったので
つい余計なことを話してしまったかも・・・。
でも、話の流れで・・・。
抜糸で又病院へ行ったときもその人と少しだけお話してきました。
入院中色々教えてくれたし・・・その人がほんの数分でも笑顔になってくれたらと・・・おせっかいながら・・・。
いつ何が起こるかわからないから人生楽しくも悲しくもあるのかな?
1日を大切に生きようと思いながら・・・マイペースに戻りつつありますが!
見みなさんにご心配頂いたり励ましていただいて私も頑張れた分、何かかたちを変えたお返しできればと思っています。
ありがとうございました。&これからもよろしくお願いします。

明日はルビーの誕生日何を作ろうかな???