相手のことを愛しく思うのなら、まず自分を大切にしましょう。
自分のことを愛せない人は、他人を愛することは出来ません。
自分のやるべきことを、しっかり肝に銘じ自信をもちましょう。
その自信を持つことが出来れば、人を愛することを許されるでしょう。
煮え切らない想いで毎日を過ごしているのは、なにも貴方一人だけとは限らないのです。多かれ少なかれ、これは誰にでも経験のある心の葛藤なのです。
自分の欲望を思うがままに果していたら、ことの詰まりは人を苦しめます。そして、自分自身も結局は苦しむのです。
どうしたら、自分も人も幸せになれるか考えることです。
人を幸せにするということは、その人の人生を無条件で背負うということです。
この覚悟は生半可なことでは済まされません。
私はいつもその覚悟を持って人と接しています。
時には見えない涙を流し、時には聞こえない叫び声を上げながら、必死で人と接します。
どうしてそこまでするのかって?
それは、これこそが私の使命だからです。
相手を疑うのは簡単なことです。
相手を信じ切ることは難しいことです。
だって、疑う心の重さと信じる心の重さは比較にならないほど違うから・・・。
私は、元々のポリシーである「来るもの拒まず、去るもの追わず」のスタイルを今まで以上に徹底したいと思います。
みんな・・・みんな・・・いい形で成長していきます。
みんな・・・みんな・・・いい形で幸せを見つけます。
みんな・・・みんな・・・いい形で一番大切な人は誰かに気づきます。
私は、ほんの少しだけ俗界から離れます。
私は、ほんの少しだけ遠くから見守ります。
・・・すこしだけ遠くから・・・
今週、私の知り合いのご夫婦が、高野山に参詣します。
忙しい日々の折、良く決断されたと思います。きっと、素晴らしいご利益を頂けることでしょう。
清らかな魂には、清らかな風が吹き通ります。是非、二人にはその風を感じてきて欲しいと思います。
私は常日頃、お付き合いさせて頂いて感じることは、宗教的なものではなく、それを超越した信じる心をお持ちの方と受け止めています。
だから、きっと高野山の風は、優しく二人の体を包み込んでくれると思うのです。
どうぞ、遠慮することなく柔らかな優しい風を全身で感じてきて下さい。