玉下駄ブログ

まあ、あれこれと・・・適当にアップしますよ!

強すぎたゼロ戦

2015年08月26日 | Weblog

                       

今も熱烈なファンが多い「零戦(ゼロ戦)」。正式名称は「零式(れいしき)艦上戦闘機」のため、正しい略は「れいせん」だが、本稿では「ゼロ戦」で統一する。ゼロ戦は、当時の日本を代表する軍用機で、三菱重工業によって開発されていた。

 当時の世界の戦闘機の能力水準を見ると、ゼロ戦のスペックは別格だ、特に、航続距離と運動性能は目を見張るものがある。また、主翼の翼面荷重も他国に比べて低く、旋回性能を大幅にアップさせている。さらに、上昇性能も6000メートルに到達するまでのタイムが約7分で、これらが軍用機同士の空中戦(ドッグファイト)を有利に展開できる秘訣でもあった。

 これらを可能にしたのは、軍部の“ムチャぶり”ともいえる要求を満たすために、徹底して軽量化が進められたからだ。

 しかし、軽くするということは使う素材も少なくなるわけで、防御性能の低下に通じかねない。それゆえ、「ゼロ戦は機体性能を重視するあまり、防御力を無視した」「人命を軽視した戦闘機だ」という評価をされてしまうこともある。

 戦闘機に限らず、何かを設計する際には設計思想が反映される。例えば、「航続距離を伸ばしたい」「格闘戦に強くしたい」などだ。兵器の場合、設計思想は当面の戦略をベースに組み立てられる。「相手国はどこか」「どこを戦場と考えるか」「どのように戦うか」といったことを総合的に考えて、最もふさわしい兵器がつくられるのだ。

 ゼロ戦は、資源に乏しい島国の日本にふさわしい軍用機として、航続距離、どの戦場にも投入できる汎用性、生存率の向上が求められた。生き延びるためには敵弾をかわす能力が必須ということで、格闘性能が重視されたのだ。

 例えば、大陸国のドイツは遠洋に打って出る必要性が希薄なため、戦闘機の航続距離は総じて短かった。そのため、第二次世界大戦の「バトル・オブ・ブリテン」(イギリス空軍との航空戦)では、爆撃機を援護するだけの“スタミナ”を持つ戦闘機がなく大敗してしまう。

●強すぎたゼロ戦

 さて、現実的な要求に応じて設計されたゼロ戦だが、防御性能を無視していたわけではない。

 当時は「戦闘機の防弾」という考え方の黎明期で、各国とも研究開発に勤しんでおり、特に被弾数が多い背面に対する防御は、アメリカも頭を悩ませていた。各国が防弾に関するシステムやツールの開発を競い合う中、日本は後期型のゼロ戦で防弾のための鋼板を装備する。

 同時に、燃料タンクの自動消火装置も備えられたが、これらが登場するのは1944年4月だ。今考えると、「時期的に遅かったな」という感は否めない。

 これは、ある意味でゼロ戦が強すぎたゆえの悲劇でもあった。ゼロ戦が最初期に配備されて駆けめぐったのは、中国大陸の広大な空だ。ライバルがいないゼロ戦は、ほとんど撃墜されることなく、我が物顔で空を制していた。

 しかし、それでは防御を考える上で、被弾のデータが収集できない。ゼロ戦を設計した航空技術者の堀越二郎も、「相手との力の差があまりに大きかったために、本機の欠点~防弾の欠如、急降下速度~が露呈せず、太平洋戦争に突入したことはかえって不運であった」と著書で述懐しているほどだ。

 ゼロ戦は、防弾のみならず装甲そのものが薄いと指摘されることもある。もともと艦上戦闘機として設計されたゼロ戦は、全備重量などで大きな制約を受けていた。そのため、革新的な「セミ・モノコック構造」を取り入れて、強度を犠牲にすることなく“ぜい肉を落とす”方向で軽量化が図られている。

 装甲を厚くすれば、被弾した場合の生存率を高めることはできるが、格闘性能は望めない。そこで、日本は「より弾に当たらない」方向性を選択し、その結果、航続距離も伸ばせたというわけだ。ゼロ戦開発の裏には、こんな事情があったのである。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)


今どきの若いのにしては・・・

2014年12月28日 | Weblog

         

今年度の東京六大学野球4年生の進路が決まった。今春リーグ戦で首位打者と本塁打王の2冠に輝いた早大・武藤風行内野手(22)は、惜しまれながらバットをおいた。名門の4番を務め大学日本代表入りも果たした強打者ながら競技を引退、卒業後は海外留学の道を選択。「人生いろいろ」だ。

今春。神宮のネット裏では、多くのプロスカウトや社会人野球関係者がため息交じりに肩を落としていた。「早稲田の武藤が野球やらないって本当なのか?」。大学球界を代表する右の強打者が卒業後の進路を留学に決めたという情報は、それほどの衝撃だった。

 当人はあくまで冷静だった。「最初から大学で完全燃焼するつもりだった」。石川県有数の進学校・金沢泉丘出身。早大に一般入試で現役合格し、野球部に入部した努力家。「推薦組と違い入部は4月と遅かった。でも人並みに練習しようと思った」とバットを振り続けた。4年春には4番に上り詰め、打率・477、4本塁打をマークしてタイトルを獲得。3冠まであと一息だった。それでも「いろんな世界を見てみたい。視野を広げて人生の選択肢を広げたい」と大学3年時からの希望を貫いた。

 年明けから英語圏の国への留学に向け、準備に入る。「未練はない。高いレベルの中で、一般入試でもやれるところは見せられた。他人に尊敬されるような人になりたい」。海外留学は、人生で4番を張るための第一歩だ。

 ◆武藤 風行(むとう・かざゆき)1992年(平4)9月3日、石川県金沢市生まれの22歳。小2から野球を始め、金沢泉丘では高校通算10本塁打。最高成績は2年春の石川県大会8強。早大スポーツ科学部進学後、3年春にリーグ戦デビュー。4年春には大学日本代表に選出されハーレム国際大会出場。リーグ戦通算42試合で125打数44安打、打率.352。5本塁打。1メートル78、75キロ。右投げ右打ち。


ボージョレ・ヌーボー

2014年11月20日 | Weblog

フランス産ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」が20日午前0時に解禁された。各地の販売店などではカウントダウンイベントを開催。円安で輸入価格は上昇傾向にあるが、大手小売りや専門店は品質の良い商品を中心に据え、消費者にアピールする構えだ。

 ワイン専門店「ヴィノスやまざき コレド室町店」(東京都中央区)には、この日を待ちわびた愛好家ら約40人が集結。解禁に合わせて「3、2、1、サンテー」とフランス語で乾杯し、味と香りを楽しんだ。ワインに最近はまっているという大学4年の仙波祐一さん(23)は「ブドウの匂いがしっかり伝わってきます。飲みやすくておいしいです」と満足した様子。同店では1本3千円程度の比較的高い商品の予約が好調という。

 フランス食品振興会によると、品質は当たり年とされる2005年や09年に比べ、「ひけを取らない果実味豊かな味わい」とPRする。一方、アサヒグループホールディングスの推計によると、ボージョレの総輸入量は昨年比で8%減にとどまる見通しだ


唐津の寿司屋

2014年11月03日 | Weblog

呼子で食ベ過ぎぃぃ

とは言っても~ここの寿司も美味しいので食べ過ぎたぁ

軽く酢の物

こんなに胃に良い物がむぁぁ~ありがたい

つまみもあれこれと・・・

食べられるなぁ~美味しいと

日本酒も旨い

器も中里工房の品・・素晴らしい


ご無沙汰しすぎぃぃ☆

2014年11月03日 | Weblog

なんだかんだで・・・

PCも変えたしぃ~再びアップするまで時間が掛かりました。

 

あさひ・相変らず「ニンニク」しっかり効いてますうぅ

今宵から唐津の続きをアップします

 

こんな記事を見つけたので・・・頑張ってみます

国の重要無形民俗文化財「唐津くんち」が2日夜、佐賀県唐津市で始まり、ちょうちんで飾った鯛(たい)や兜(かぶと)など14台の曳山(やま)が、市中心部を勇壮に練り歩いた。

 午後7時半の打ち上げ花火を合図に、1番曳山・赤獅子が市役所近くの広場を出発。笛や太鼓のお囃子(はやし)に合わせ、手綱を持った男衆や子どもたちが「エンヤ、エンヤー」と掛け声を上げながら練り歩いた。詰めかけた観光客は約20万5000人(唐津市発表)。曳山が近づくと、沿道から大きな声援や拍手を送った。

 3日は午前9時半からハイライトのお旅所神幸、最終日の4日は午前10時から町廻(まわ)りが行われる。


唐津にて☆

2014年08月28日 | Weblog

唐津くんち展示場にて・・・

凄い迫力

しかし、大金がぁぁ掛かったでしょうねぇ

で、雨が降ってなかったのに・・・

城に入ったら大雨でした

 

市内が一望できます☆

やれやれ~観光を終えてホテルで一服ぅぅ

ふぅぅ~晩飯はどうする?


呼子・玄海にて☆

2014年08月27日 | Weblog

大きな烏賊が一杯入った水槽が5つほどありました。

この時期の烏賊はどうかしら?

粋の良いのを食べたいね

 

で・・・

これが3人前

おおきなのにしましたので2匹ですがっと~

ふむ、そうですかとしか。。。はぃ

いゃあ~立派な烏賊刺しだねぇ~

元気にピクピクしてます・・・動画にすれば良かったかな



別盛りでぇ~刺し身のお勧めをお願いしたら・・・

縞鯵だって

 

これが美味しかったぁぁ


ビールも旨いしぃぃ

刺し身もバッチリ~良い企画でしたぁぁ

 

烏賊の唐揚げもサッパリ系でとっても上手に揚がっていて~

塩掛けてビールが旨い


食べ終えた頃には・・・天気も良くなりぃ、名護屋城跡・呼子一帯のドライブして唐津に戻りました


鍋は食べるのが早い☆

2014年08月11日 | Weblog

大きな鳥が白く濁った鍋で・・・

このスープが絶品でして、軽く一杯飲ませてくれました。

ふむふむ~イケル

このスープを飲み、飲み・・・

鶏肉を食べる~あぁ~贅沢ぅぅ

地元日本酒を・・・玄

これってスッキリとして旨いよぉ

はいはい、これにて・・・

食べた、食べた

大満足の博多・水炊きでした。


梅肉と黒酢

2014年08月08日 | Weblog

             

梅肉と黒酢を一緒に飲むと血液がサラサラと流れます。これが健康で若々しく長生きする大前提です。サラサラ食品の堂々1位の黒酢と2位の梅肉エキス。同時に飲むと血流はどうなるのでしょう。私は体によい食品を合わせて取ればさらに効果が高まる、と単純には考えていません。

 しかし、この2つに限っていえば、お互いのマイナス面が相殺され、より効果が高まると考えています。

 梅肉と黒酢は従来、体によい民間薬として注目されています。相性も良さそうですね。ですから血流も、単独より一緒に飲んだほうが相乗効果も期待されそうな予感がしました。そこで、MC-FAN(エムシーファン)を使用して、梅肉黒酢の血液流動性に対する効果を調べてみました。MC-FANは、ほんの少しの血液を毛細血管と同じ太さのシリコンで作った流路に流し、血液の流れやすさを観察する装置です。赤血球、白血球、血小板などが流れる様子をつぶさに観察できます。

 その結果、梅肉と黒酢を一緒に飲むことで、血液流動性が単独よりもさらに改善することが分かったのです。それも、服用後90分という早期に、血液流動性を改善しました。単独でも他の食品よりいいのに、両者を同時に飲んだほうが、相乗効果により一層いい結果を得ることができました。

 血液ドロドロ状態の人が増加の一途をたどっています。メタボを始め、血液流動性は不良であることが多い現実。これからの時代、梅肉と黒酢に大いなる期待をしたいと思います。

 また、血液サラサラ効果は、イチョウ葉エキス、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(デキサヘキサエン酸)などにもあり、これらの健康食品をうまく日常生活のなかに取り入れたいものです。そしてホットなキーワードである「健康長寿」を目指そうではありませんか。自分の健康は自分で守る時代の到来です。