屋島からの眺めは最高ですねぇ
天気が晴れて~遠くまで見れましたよ
屋島・・・
今は地続きになっているが、昔、屋島はその名の通りの特徴的な屋根の形をした島であった。 その屋島に、天智天皇の命で、白村江の戦い敗戦後の667年に古代山城の屋嶋城(やしまのき)を築いたと日本書紀に記述がある。これは、唐・新羅の日本侵攻を恐れてのことである。同時期には対馬-博多-瀬戸内の海上防衛線に沿って30近い砦城が構築されている。古代山城屋嶋城は長期間その存在が不明であったが、2000年ころ地元研究家の平岡岩夫氏らがその遺構石塁を発見・確認し、現在はその復元が進められている。屋嶋城を囲んでいる城壁は長さ約3kmで最大幅0.5kmと推定されている。
また屋島は、寿永3年(1184年)一の谷の戦いに破れた平宗盛らが安徳天皇を奉じて根拠としており、翌寿永4年(1185年)2月に起こった屋島の戦いの古戦場としても知られる。この戦いで源氏方の武者那須与一が、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした故事は特に著名である。