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今日から約1週間ぶりにお仕事再開。
体も重い…気持ちも重い…😮💨
うまく動けるかしらねぇ😅
さて、昨日の日曜日は教会へ。
前週も行ったのに、何だか久しぶりのような気がしたのは、休暇中の時間がゆっくり流れていた…ということかしら?
昨日は、コロナ禍で休止中だったけど、昨年から再開された『召天者記念礼拝』でした。
今までお盆期間はオットの故郷に行っていたので、この記念礼拝参加は初めてのこと。
お盆の代わりのようなもの?と思ったんだけど、教会によって日程は様々なようです。
ワタシの友人や親戚筋にクリスチャンはいないので、亡くなった人をどのように祀っているのかは知らず、今回も教徒さんに伺う時間はなかったのだけど、皆さんが持ってこられた写真立てのおしゃれなこと。
そして、どの方もかしこまった”遺影”では無かったのが印象的。
オットの実家や両親の実家では、顔写真に紋付をはめ込んでいる遺影。
紋付姿なんて見たことないんだけどねぇ。父の実家では、写真ではなく肖像画。
ワタシの実家の両親は、スナップ写真を引き伸ばして遺影にしてもらいました。
どちらも孫が隣にいるので、微笑んで幸せそうな顔ですが、フレームは葬儀屋さんから貰った仏壇によく合う地味〜なものです。
お盆の時に、オットは
「位牌は立派なものに。戒名も欲しい」という希望を話し、
「ならばそれだけのもの(お金)を自分で用意してから死んで」
と、ムスコに言われてましたっけ😅
戒名は要らないからというワタシの希望とは違うので、
「お互い死んだら行き先は違うかも知れないね」
なんて会話をしていたのでした。
そんな会話を思い出しながら、新盆供養をしてもらえなかった父のことを思いながら、昨日は礼拝にのぞみました。
ちなみに、父はワタシが教会に行ってることを知らずに亡くなったので、びっくりしてるかもしれません😆
牧師さんとの勉強会はテキストの半分以上が終わりました。キリスト教の信仰とは?という信仰初心者クラスです。
都合で欠席もしたので、かれこれ4ヶ月ほど続いています。
ちまたで販売されている本等を読んで、多少知恵もついていたかと思っていたけど、聖書(旧約&新約)とともに進める勉強会は、ちまたの本とは違う知識が得られます。
知識というよりも、理解…かな。
牧師さんの話は、本より分かりやすい
単純な脳細胞ゆえに深く理解はまだまだだけど、『愛ある神』なのかなぁ。とか、『愛って何だろう』
と、日本人のワタシにはあまり身近な言葉ではない『愛』を考えながら、ぼちぼち学んでいます。
数日前に蒔いた空芯菜は、未だに発芽には至らず。
蒔いて2日の白菜が、よっこらしょ!と、土を押し上げて芽を出し始めました~発芽を久しぶりに見て感激〜♪
わたしは信仰歴だけでいうと、40数年になるんですけど、やはり日々学びが必要だなと思わされます。
今後の学びの中で、いろんな気づきが与えられますように!
キリスト教は愛の宗教と言われますよね。その根幹は「赦し」だと思います。赦され受け入れられているということ。そこが腑に落ちると、一気に理解が進むと思いますよ。