私のこれまでの(そしてこれからも・・・?)人生における『曖昧な微笑』と、かのアインシュタインが言った有名な言葉
『神はサイコロを振らない…』との間に何だかの関係があるのか??
そういえば、2500年前に仏陀は『色即是空空即是色』と『色空』をめぐり決定的『曖昧論』を打ち出していたが
その視覚化が、『弥勒菩薩の微笑み』であったであろうか。
近年、科学は量子をめぐり『重ね合わせ、もつれ』などと、『曖昧なこと』を証明した・・・そうだが、
それって長年の私の『曖昧な微笑』が世の中で承認されたということであろうか。
同時に、日本の『漢字』はとても良く『重ね合わせ・もつれ』があるからこそ、『人間』を解読するうえで
『考えるな、漢字ろ!』の漢字法程式が重要な意味を持つのであろうか。
私は子供の頃、目の不自由な養母がラジオを聞いてはそのニュースに一喜一憂していた様子を観て、その単純な素直さに疑問を呈する
子供であったが、当時はもちろん何故そんな風に思えるのかはよく解らなかった。
ただなんとなく、養母のように判断するには、あまりにも知らないことが多すぎる(つまり情報が少なすぎる)気がしていた・・・。
だから学生になり、友達と教室で過ごしていても、私は自分の意見を述べることは少なく、だいたいニヤニヤ誤魔化していたような …
一時期、外国人が抱く『曖昧な日本人像』の典型でもあったのかも。
そう思うと、この『曖昧な微笑』というのは日本人の文化レベルの域に達していたわけで、単に語学が苦手という理由だけではなかったのかも?
実際、30年以上にわたり海外在住という立場に身をおいて、たぶん私の『曖昧な微笑』も様々な意味で磨きがかかったであろうか。
何故なら、私は自分が『知らない』ということを面壁の修行を通して、娑婆の生活を通して身をもって知らされたお陰だと思うからだ。
・・・と、ここまで格好つけて書いたら、アインシュタインの『アッカンベー』が浮かんだ・・・!