拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『如是我聞』を君はどう聞くか?

2024年12月19日 | 東洋自分なり研究所

  一応、私のブログは『日記風』・・・という体裁になっているが、やはり赤裸々…というわけにはいかず

  それこそ一応それなりに格好っけていることは間違いない。 まぁ、本人が言っているのだから間違いない…はず。

 

  で、さっそく告白するが、私は禅修行のことをよく書くが、円覚寺居士林で貰った『修養聖典』の『興禅大燈国師遺戒』という

  短いがカッコいいお経の一節 『無理会(むりえ)の処に向かって 究め来たり究め去るべし・・・』の語に尽きる感があり

  およよ10年に渡る修行を勝手に打ち切って下山してみると、世間一般でいう『仏教』について何も知らない・・・ということを知った時の

  衝撃はただごとでは、なかったのだ。

  正直、仏教の根本理念と言われている『三法印〜諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』すらもろくにわかっていなかったであろう。

 

  それなのに、なんだか『解ったつもり』になっていて、スイスで引越屋になったとき、仕事下請けのポルトガル人の相棒が

  『俺はキリスト教徒だけど、仏教ってなんだべや?』・・・と聞かれたとき、私は『・・・』と絶句する自分に驚いたのだ。

  その時、私は53、4歳だったような・・・。 いやいやいや、以来私は仏教の『ぶ』、禅の『ぜ』の字も人に云うこともなかった…と思う。

 

  それが、65歳で定年退職してからこっち、そろそろ8年目を迎えようとしているが、我がブログは見るまでもなく『禅一色』の感がある。

  そして、一丁前に今日のこのブログタイトルだ・・・『如是我聞を君はどう聞くか?』だとょ。

  馬骨に言わせれば、この『如是我聞』をどう聞くかによって、『仏教の音色』が違ってくる、というのだ。

 

           

           私は『観音』とか『観世音』とか聞くと、面白いべなぁ〜・・・と思っている今日此の頃の図