拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  スイッチ 音で自灯明 …

2024年11月24日 | 東洋自分なり研究所

  誰かが、『スイッチ・オン』と言ったのを聞いて、自動的に『スイッチ音で自灯明』・・・と、我が愚脳が合いの手プットアウト。

 

  かくして 『 観音の スイッチ音で 自灯明 闇の世照らせ 頭ハゲらせ 』 の短歌がうまれた。

 

  英語の『On』まで『音』と聞く、良く言えば『観自在』、 悪く言えば 『駄洒落』という紙一重のワザ・・・。

 

  ところで、問題は『自灯明』であるが、この言葉『自灯明』を知っている人は恐らく少ないであろう・・・。

  お釈迦様の死期が迫った時、弟子が心配になって、『この先どうすればいいでしょうか?・・・』と聞いた。

  するとお釈迦様は 『自らを灯明とし、自らを拠り所としなさい、法の教えを灯明とし、

            他の教えを拠り所としてはならない。』と答えたという。

  この教えは『自灯明・法灯明』という仏教語となって仏教界ではよく知られている言葉である。

 

  これはどういうことかというと、つまるところは『自分と向き合いなさい…』というシンプル(単)なお示しで、これを称して

  『禅』というのではないかと思う、今日此の頃。

  この『自分と向き合う』・・・という事、言うは易く行うは難し。故に『禅』あり・・・なのだと思う。

 

  この一見、時間の無駄以外の何物でもないように観える『道文化』を大真面目に『宝』のように扱っている国が日本なのだ。

  そういう事を、しっかり自覚するためにヨーロッパに送り込まれた爺イの図が下(初、カプチーノで白い泡がおもろい…と相方が)

            

         『 観音の スイッチ音で 自灯明 闇の世照らせ 頭ハゲらせ 』馬骨