誰かが、『スイッチ・オン』と言ったのを聞いて、自動的に『スイッチ音で自灯明』・・・と、我が愚脳が合いの手プットアウト。
かくして 『 観音の スイッチ音で 自灯明 闇の世照らせ 頭ハゲらせ 』 の短歌がうまれた。
英語の『On』まで『音』と聞く、良く言えば『観自在』、 悪く言えば 『駄洒落』という紙一重のワザ・・・。
ところで、問題は『自灯明』であるが、この言葉『自灯明』を知っている人は恐らく少ないであろう・・・。
お釈迦様の死期が迫った時、弟子が心配になって、『この先どうすればいいでしょうか?・・・』と聞いた。
するとお釈迦様は 『自らを灯明とし、自らを拠り所としなさい、法の教えを灯明とし、
他の教えを拠り所としてはならない。』と答えたという。
この教えは『自灯明・法灯明』という仏教語となって仏教界ではよく知られている言葉である。
これはどういうことかというと、つまるところは『自分と向き合いなさい…』というシンプル(単)なお示しで、これを称して
『禅』というのではないかと思う、今日此の頃。
この『自分と向き合う』・・・という事、言うは易く行うは難し。故に『禅』あり・・・なのだと思う。
この一見、時間の無駄以外の何物でもないように観える『道文化』を大真面目に『宝』のように扱っている国が日本なのだ。
そういう事を、しっかり自覚するためにヨーロッパに送り込まれた爺イの図が下(初、カプチーノで白い泡がおもろい…と相方が)
『 観音の スイッチ音で 自灯明 闇の世照らせ 頭ハゲらせ 』馬骨