拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  禅・問答法程式

2024年11月28日 | 東洋自分なり研究所

  秋もすっかり深まって、スイスのフランス語圏の我が街の飾りつけもクリスマス仕様になり、

  明日の『Black Friday』をはじめ、特設クリスマス市場など各市町の広場などに展開して商魂をたくましくしている。

  ・・・そういった、街風景のおかげもあり、さすがに鈍感な私も、ほんとうに年末が迫ってきている事を感じる今日此の頃。

 

      

       前置きの文章とは、無関係な昨日のレマン湖畔のブドウ畑からの風景もまた11月下旬。

 

  だからといって、私が焦る理由は何もない・・・のに、娑婆社会が醸す雰囲気に乗り遅れまいと、感応する我が根性が可愛い・・・。

  と、ここまで考えたが、『年末が迫っている』・・・というか、自己の終末こそが迫っている自分の年令(72歳)を考えた時

  一面では『ノンビリと…』であり、もう一面では『今やれることは、全力でやっておけ!』というような声が内側から聞こえる。

 

  そういった声に励まされなければ、『禅・問答法程式』というような、いかにも怪しい…事について、流石の私も書けやしない。

  しかし、その反面興に乗ると、この『法程式』で『ノーベル(無鈴)賞』を狙うぞ〜・・・という気にもなるお調子者の私。

 

  で、私はこれまで世の数式に習い『方程式』という言葉を我が『漢式』にも使ってきたが、

  数学で解答を求める数式が『方程式』という時、『佛法の解答』というのは、最初から答えは解っている事を前提としているから

  その為の漢式は『方程式』ではなく『法程式』というのが正しいと考え、以降『佛法』に関する漢式は『漢字法程式』と記載することにした。

 

  

  ジャジャジャジャーン・・・、前置きが長くなりましたが、無鈴賞ものの『禅・問答法程式』を発表します!

     

  つまり、私にとって『悟り』とは、『 ?』と『!』間の『差取り』に過ぎない・・・ということが明らかになりました。

  ただ、この『差取り』の方法は十人十色で、この法程式はあくまで私、馬骨の体験から割り出した法程式であることを申し付けておきます。

  『悟り』を目指す皆様の何かの参考になれば? 幸いです。(*法程式最後の『!』の丸点の中に『覚』の字があり、『円覚』を表すのを見逃さず)

  『方程式』によって観えてくるモノがあるならば、(佛法)法程式によって観えてくるモノもあるであろう・・・ですかね?