当研究所では、仏教用語あるいはそれに纏(まつ)わるような日常使われている文字や言葉の仏語的語源についてアレコレ馬骨流妄想。
今回は以前から気になっていた『円』の字について・・・考察
私は円覚寺にお世話になったせいもあり、『円』の字は格別に最重要視している(ひいき)しているのだが
『円相』とか丸い形状を表すのになんで漢字は『円』なのであろうか?・・・とは思っていたのだ。
新漢語林(デジタル版)やブログ『漢字の音符』などで解字を見たが、どうも仏教的な要素は見当たらなかった。
ならば…ということで、馬骨妄想を働かすと『観自在菩薩!』・・・ちゃんと仏語解字がでてきた。
禅僧が描く『円相』からわかるように、完全な『円』は悟りを表現しているとした時、生まれた赤ん坊は皆、完璧な『円』であるが、
自我が芽生えた瞬間『陰陽印』の一方が欠けた『半円』の姿にリセット(初期設定)される・・・故に『円』なのだ。
『円』の字は人が『円覚』に至るのを待っている。 そしてそれが『道』だ。
『色即是空』は即『空即是色』であると思うが、その『円覚』にいたるまでは円でありながら
我々には視覚的に『半円の姿=円』と観え、悟った後、それはそのままで『円』である・・・と観るだろう。
(追伸)翌朝になって気づいた事〜 坐禅をするとき手を『法界定印』に組むが、これがそもそも『半円』でありながら
それが即『大円鏡智』への境涯へと通じている事・・・そういった必然の『引き寄せ』を『円』の字は表している。
隣村のコープにあった陰陽印の腕輪?装飾品…『気に入った』と言ったのを覚えていた相方が買ってきてくれた。
初めての装身具・・・使うかどうか? それは問題だ・・・の図
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