拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  馬骨の『曖昧な微笑』考・・・

2024年12月03日 | 東洋自分なり研究所

  私のこれまでの(そしてこれからも・・・?)人生における『曖昧な微笑』と、かのアインシュタインが言った有名な言葉

  『神はサイコロを振らない…』との間に何だかの関係があるのか??

 

  そういえば、2500年前に仏陀は『色即是空空即是色』と『色空』をめぐり決定的『曖昧論』を打ち出していたが

  その視覚化が、『弥勒菩薩の微笑み』であったであろうか。

         

  近年、科学は量子をめぐり『重ね合わせ、もつれ』などと、『曖昧なこと』を証明した・・・そうだが、

  それって長年の私の『曖昧な微笑』が世の中で承認されたということであろうか。

  同時に、日本の『漢字』はとても良く『重ね合わせ・もつれ』があるからこそ、『人間』を解読するうえで

  『考えるな、漢字ろ!』の漢字法程式が重要な意味を持つのであろうか。

 

  私は子供の頃、目の不自由な養母がラジオを聞いてはそのニュースに一喜一憂していた様子を観て、その単純な素直さに疑問を呈する

  子供であったが、当時はもちろん何故そんな風に思えるのかはよく解らなかった。

  ただなんとなく、養母のように判断するには、あまりにも知らないことが多すぎる(つまり情報が少なすぎる)気がしていた・・・。

 

  だから学生になり、友達と教室で過ごしていても、私は自分の意見を述べることは少なく、だいたいニヤニヤ誤魔化していたような … 

  一時期、外国人が抱く『曖昧な日本人像』の典型でもあったのかも。

  そう思うと、この『曖昧な微笑』というのは日本人の文化レベルの域に達していたわけで、単に語学が苦手という理由だけではなかったのかも?

 

  実際、30年以上にわたり海外在住という立場に身をおいて、たぶん私の『曖昧な微笑』も様々な意味で磨きがかかったであろうか。

  何故なら、私は自分が『知らない』ということを面壁の修行を通して、娑婆の生活を通して身をもって知らされたお陰だと思うからだ。

  ・・・と、ここまで格好つけて書いたら、アインシュタインの『アッカンベー』が浮かんだ・・・!



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