スイスで定年退職して今年で6年目…この持て余すほどの私の『自由』について、考察してみようと思ったら
私の人生のテーマ自体がじつは『自由』・・・ということであって、他の何ものでもない事を知ってカルチャーショック!
昨日は、自己の人生観を一言でいうと『観』などと書いたが、『自由』の二文字のほうがより私の人生の実態に沿っている事がわかったのだ。
私はこれまで『自由』という言葉を、哲学など学問上に使われるよそよそしいモノと感じて、真剣に考えたことがなかった。
しかし、『自由』が『自らに由って』・・・という趣旨と捉えて自分の人生を『還暦スキャン』すると鮮やかに『自由』の二文字が浮かぶ。
『自由』を辞書で調べると、諸説ある中…福沢諭吉がLibertyを訳す際に仏教用語から『自由』を選んだとあり、さもありなんと賛同したが
『自分』を『自ずと分かれ、自ずと分かる』という仏説であると主張する馬骨であれば『自由』が仏説でないわけがないのだ。
『自由』が『自らに由って』であり、その『自ら』とは何かという『?』がそもそも『道』にシステム化されていたとは・・・(仏も知らなかった)
昔、中国の禅僧が『平常心是道』とのたまったが『自由是道』の意であったか。
先月観たローザンヌ新美術館での『椅子展』は展示法も含めて傑作であった・・・『独坐大雄蜂』でこの椅子に坐すのは誰だろうか?
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