拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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  気合の国 〜『発勁よい・のこった〜』

2023年04月23日 | 東洋自分なり研究所

  先日、『気合』について書いたのだが、 → 2023年4月1日のブログ記事〜『気合の国・・・』

  その生ぬるい認識に、私の愚脳はディープラーニングしたのか? 赤信号で警告を発してきた。

 

  今やヨーロッパにおいて『Zen』という言葉は、『落ち着いた態度・静寂で平安な様子』といった意味合いで日常的に使われている。

  それは日本においてもほぼ同じで、それ以上でもそれ以下でもない・・・というのが現状であろう。

  私、馬骨のレベルながら『禅』が人類に伝えようとしている事柄の重要さを思う時、『名月』をただ眺めているような認識にとどまって

  いるようではいけない、『禅』は『名月』を目指すが、その前に『自己と名月』の『間の飛躍』を問題にしている事を忘れてはいけないのだと思う。

 

  『禅』の認識について、西欧と日本での違いがあるとすれば、『禅は厳しい』・・・という認識が日本人一般にはあるかもしれない。

  『禅』といえば『悟り』、『悟り』といえば『凡人には無理』・・・という認識が一般に流布して、省みることすらしない。

 

  しかし、人間の『仕合せ』ということを真剣に考えた時、金や地位や名誉が『天動説』であり、自分の内に『悟りの花』を咲かせる事が

  『地動説』で真理である事を、現代の人々はうすうす気付き始めているように思う。ただ、その方法がわからないだけなのだ。

  しかし、それこそが大問題なのだと思う。

 

  いま日本で、『AI』とか『Chat GPT』とか騒いでいる一方で、若者たちの間では『格闘技』が注目を浴びているが

  この現象を貴方はどう観るであろうか?

  私はこの現象に、『間の飛躍』に本能的に気付いた若者たちが、『喧嘩道』という『気合』を前面に押し出して闘う『奥の細道』に

  『AI』に夢中になる連中とは真反対の『道』を切り開こうとしているように観える。

 

  そんな風に考えた時、日本の国技である『相撲』の力士が闘う際に行司が叫ぶのが・・・『発勁よい、のこった!』で

  この『はっけよい、のこった』をググってみると色々な説がありハッキリしないとのことであるが『発気揚々』あたりのことらしいが

  馬骨に云わせれば、中国太極拳の『心技体』が『気合』によって異常な『力』を発揮する、『発勁(はっけい)』こそが語源にふさわしい…

  と思う。だから行司は力士に『気合を入れて『発勁』しろ! 』と言い、『のこった』は『それでは、まだまだ『間の飛躍』には遠いぞ!』と

  叱咤激励・・・しているわけだ。 『発勁よい、のこった!』・・・と。 これこそが『気合の国』でなくてなんだ。

 

            

  

  



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