私が、朝起きたら真っ先に合掌する仏像は『阿弥陀如来』像だ。
『阿弥陀如来』とも知らずスイスに渡る直前ぐらい前(約32年前)に骨董品店で安く買った仏像の印相というのが
あとで本で調べると、仏像のなかで最も一般的と思える『施無畏印』と『与願印』であった。
『施無畏』とは『恐れを取り除く』…という意味はわかったつもりでいたが
今回の『ロシアのウクライナ侵攻』という実際の戦争を目の当たりにするまで、
私はこの『施無畏』という印相が持つ真意を解っていなかった事に気付く。
数多くの仏像が『施無畏』印を我々に示している本当の意味・・・。
人間を愚かな行動に導く根源には、必ず『恐れ』があり、それが人間の最大の弱点であることを仏様は知っているのだ。
だから、仏はまず『施無畏』を人々に印相として示すのだと思う。
今回の戦争にしても、敵対する双方のいずれかが『脅威』を感じ『恐れた』ことが、そもそもの原因となっているのだろう。
それにしても、戦争というものがこんなに残虐なものであるとは・・・おそらく双方とも今は戦争に突入したことを後悔していると思う。
これほど街が村が滅茶滅茶に破壊され、一般市民を無意味に殺戮する戦争がどれだけ愚かな行為であるかを・・・。
今こそ、われわれ人間には『施無畏』・・・という教え、『慈悲と智慧』の教えがあることを世界の人々に知ってもらいたい。
生まれるとはそういうこと
死を克服する為には何でもする
恐怖とは偶然による必然の原動力
愚かしくとも繰り返す