もっとも信頼をおくべき、国の政治が『嘘』で汚されて久しい。
またインターネットの発展にともない、『嘘』も個人的レベルから国際的レベルまであらる形態の『嘘』が瞬時に、物理的距離
を物ともせずに伝搬する世の中に私達は生きている。
ロシア軍侵攻の戦争の最中にも『嘘』が飛び交い、一体なにが『嘘』でなにが『真実』なのか…
判断基準を持てない…状態にこそ、私たちは恐怖を感じているのだと思う。
そんな時代の『エイプリルフール』…ってどんな意味があるのだろうか?
釈迦が『悟り』を開き、それを衆生に教える決心をして、他者の前に姿を現したとき『覚者』としての彼を誰かが疑った…
という話は聞いたことがないが、実際、彼を目の前にした者は、彼の様子に疑いようがなかったのではないか。
彼自身がドスン!と腑に落ちた時点で『?』が観え、彼自身に『嘘』がなかった。
老師の弟子となり、いわゆる『禅問答』の修行をしたが、今思うと、この『禅問答』というのは
私自身が感知していない『嘘』までもを老師は看破し決して見逃さず、徹底して許すことがなかった。
禅ではよく無になれ…というが、『無』になってない自分がより鮮明に観えてくるものの、その正体を老師は決して教えない。
『観音』という基音があれば、それに同調する自己を自分自身が観なければならない。
これからの時代、AIとかなんとかが幅をきかし、『嘘』も見破ることがますます難しくなるのだろう。
騙されやすい人間の弱点には、やはり『悟り』という『覚醒』にむけて修行が必要ではないか。
先日、ストラスブールに一泊二日で観光。その際 『Folon展』でこんな作品を観た。
彼も『大疑団』を抱いた一人なのだろう。
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