一ヶ月ほど前に、映画『日日是好日』のことを書いて 2024年9月14日のブログ記事〜4回目の『日日是好日』…
その時に、この映画の原作となった『日日是好日』森下典子著の電子版を再読し始め、昨日読了した・・・。
禅から発祥した『道』文化の中でも、最も古いと思われる『茶道』・・・残念ながら私は全く門外漢で『茶道』の何たるかを全くしらない。
(ながら… 修行時代、禅道場で行われる『茶礼』に、『茶道』の原点がある・・・と、勝手に思い込んでいた。ふてぶてしくも… )
映画『日日是好日』は素晴らしかったが、原作を読むと、著者の典子さんがどんどん目覚めていく様子に『茶道』が単に形式の美しさを
探求するものではなく、人を『悟りの道』にいざなう『茶道』であることが解る。
実際、彼女は茶室では十年以上のベテラン格になりながら、後輩たちの成長に目を見張り、自分の不器用さ加減に限界を感じて
『茶道』を止める決心をしたそのタイミングの時、先生は彼女に『お茶事』の『ご亭主』を指名したが、その一事が彼女をして覚醒に導く。
『 「薄茶」から稽古を始め、「濃茶」や「炭点前」を毎週繰り返してきたが、あれは、「茶事」をパートに分割した練習だったのだ。
楽章ごとに区切り、バイオリン、チェロ、フルート、ホルンなど、楽器ごとに分かれて何年も何年もパート練習していた。
今日初めて、フルオーケストラで全楽章を通しで演奏してみたのだ。(略)私達は一つのステージに立った。そして自分たちが演奏していたのが
壮大な交響曲だったことを知ったのだ。』(原作より抜粋)
ここまで読んだ時、私は交響曲の『響』の字に、思わず反応した・・・。というのも、
『悟り』は、私には『郷里サトリ』で『郷』の字の解字が
このように、『茶』というごちそうに対して『自我』と『無我』が対面する・・・
このときの『響き』が、彼女には『茶道』の交響曲と響いたわけであるが、
これを私の場合に置き換えた時、三十数年前、私の感得した『観音』というものが『世音』に働きかけた時、
『観世音』という交響曲として、聞いている自分を観ずる・・・のだ。
禅には『聖胎長養』ということがあるが、自覚した『事』柄を本当に自分のものにしていく過程、大切に養っていく過程があることをいうのだろう。
先日、相方が両親宅で写真の整理をしていると発見した写真。
当時(1990年頃)、私達は太極拳を李徳芳先生に習っていたが、それを初来日した両親に披露した図
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