科学というのが、『悟り』の予感を目指しながら、真逆の方向にのたうち回っているドラゴンに観え、それがSF(Science fiction)の仮想現実に描かれる。
紀元4世紀、般若心経などの仏典がサンスクリット語から中国語に鳩摩羅什等によって訳された。
その際、『観自在』『般若波羅蜜多=到彼岸』『色即是空空即是色』など『悟り』の内容を訳した言葉にずーっと科学はついて回ってきた。
『色』から『空』へ人間はロケットを打ち上げ、今ではGPSを実現させ『観自在』を得た。
おかげで、引越し屋をしていた私は、それによってどれだけの恩恵を受けたか・・・。
心の『GPS』…つまり『悟り』があれば、愚かな理由で争ったり、自殺したりすることも確実に減るであろうに…。
しかし、『科学』は『悟り』の模倣でしかないため、その発展は人類に利便性と同時に壊滅的脅威をさらすことになった。
『悟り』の予感には憧れるのだが、『我欲』を捨てる・・・世界などは考えも及ばず、二進(にっち)も三進(さっち)もいかない人類。
しかし、『坐』というUFOで『到彼岸』してしまった仏陀は言う、『我欲』はまったく捨てるには及ばなのだと、『色即是空即是色』…であるから。
要は『慈悲と智慧』で『自利利他』を実現する『不二の法』による制御を智ることなのだ・・・と言っている。
『今日[1947年]の所では、自分は世界人としての日本人のつもりでいる、そして日本にー東洋にー、世界の精神的文化に貢献すべき
ものの十分に在ることを信じている。これを世界に広く伝えなくてはならぬ、伝えるのが日本人の務めだという覚悟で生きている』
・・・・ 鈴木大拙 『東洋的な見方』より抜粋
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