こちらスイスでは対コロナ騒動の自粛ムードがゆるんでいるというのに、ボクの方は花粉症のクシャミとプチ風邪による夜中の喘息風『咳』で熟睡出来ず、心配性の相方は勝手にコロナテストを申し込んでしまって、検査を受ける羽目になり、幸運にも今朝『Negative!』の連絡を受け胸を撫で下ろしている。
昨日、アマゾン・プライムで観たドキュメンタリー映画『Homme Less』(2014年公開)をみて他人事ではない感じがした。(懐かしいくらい)…
タイトルは『Homme Less』であって『Homeless』ホームレスの言葉と掛けたところにポイントがある。Homme…とはフランス語で『男・人間』の意で『なにかか欠けている男』の意か?
ジョージ・クルーニーばりの色男で、20代の頃はモデルとして有名雑誌に起用された経歴があり、その後俳優、ファションカメラマンなどをして今日にいたり映画撮影した時点で52歳。
その彼がどういうわけかホームレスで、昔友人が貸してくれたアパートの鍵を使って建物に入り友人が住んでいるアパートの屋上に毎日忍び込んで屋上の片隅に寝袋で寝泊まりしているのだ。
ボクも35年ぐらい前、写真家として成功するべくアメリカンドリームを夢見てニューヨークに一年近く滞在したことがあるので、なんとなくこんな雰囲気が分かる気がする。ただ、ボクは色男ではなかったからすぐすべてを諦めたから良かったものの・・・。
映画の後半で、屋上で寝袋に入っている彼にインタビューするシーンで『どこで道をまちがえたか…』と涙して後悔する場面のあと、色男でモテてたでしょうに、なんで結婚しない?という問に対して『どうしてか分からないけど、人に愛していると言ったことがない』…という言葉が印象にに残った。
「色男」の自分に酔ったまま、何とかなるだろう…というのが落とし穴ではなかったか?
それは彼がカメラマンとしてモデルを撮影するシーンを見ても写真に賭ける情熱とか真剣さに欠け、数打てば当たる的な様子に窺い知ることが出来る気がする。
これはボクのニューヨーク物語 33歳であった。
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