映画『マトリクス』やリュック・ベッソンの『Lucy』で、あらゆる情報を示す数字(?)が空間に雨が降ってくるように現れる場面があるが
あれが最先端科学が唱える『ホログラフィー原理』を元にした表現なのであろうか?
科学は最小を追究していくなか、量子力学で『観』のある事に行き着いたが、(映画ではその情報が観える人には観えることを表している)
仏教を中心にする東洋思想は、古来より宇宙の最小かつ最大単位であると見なす『観=法』を基礎にして文化にまで発展させて来たといえる。
ここに2014年に発表された、京都大学基礎物理学研究所の高柳匡氏のレポートを散見すると
『 「超ひも理論」がブラックホールなどの重力現象の解明にどのように役に立つのか・・・鍵となる考え方:情報の量=面積
さらに発展させるとホログラフィー原理という考え方に行き着く 』・・・
私にはもちろん何のことやらさっぱり解らないが、このあたりの研究を基にして近年著しく展開していることだけは解る気がする。
そうした事を踏まえて考えてみると、『芭蕉』の俳句というものは、彼独自の『観』能力によるホログラムの解読であったろうか?
何気ない日常風景に芭蕉の『観』が作用した時、いやゆる『涅槃寂静』が現前する・・・といったような。
先週金曜日、5月12日は私の71歳の誕生日で、これは相方がプレゼントしてくれたコラージュ写真であるが、
これこそ、相方の気持ちを二次元的に視覚化した『ホログラフィー』で、『奥の細道』的な風情はそれを詠んだ『芭蕉』へのオマージュであろう。
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