拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『坐』型 ・ UFOの行方

2023年03月24日 | 東洋自分なり研究所

  私は一昨日のブログに何気なく『自由時間』と書いたが、その『自由時間』という言葉にひどくインスパイアされてしまった。

 

  というのも、最初に『坐禅』したとき、『坐禅は時間の無駄』という怒りが、これまでの『時間』観に疑義を挟んだ・・・ことは

  これまで何度も書いてきた。・・・つまり私にとって『時間』に関する究明が『坐禅』する大命題であったのかもしれない。

  その頃はまだ『諸行無常』なんていう言葉も知らなかっただろう。

  そして『諸行無常』とはつまり『時間』であり、『生老病死』の正体であり『一切皆苦』であった。

 

  そしてこれもこれまで何度もブログに書いてきたが、『坐』は私にとって『UFO』如き光の速さで飛ぶ飛行物体で、『坐』を組むとは

  コックピットに乗り込む『感覚』そのものであった。そんな事を書いたブログがこれ 2023年1月のブログ記事〜『坐』=大乗UFO

  光の速さで飛ぶ物体の中では時間が遅くなる・・・というか、『時間が無くなる』・・・そんな感覚が『坐』にはあるのだ。

  だから、先日なんとなく『自由時間』と書いたが、私が行き着いた禅修行の『坐』(禅)そのものが究極の『自由』の究明であり、

  『時間が無い』状態の体得でなかったか。 それゆえの『観自在菩薩』で『過去・現在・未来』が菩薩にとっては観自在なのだ。

 

  『UFO』を『未確認飛行物体』とはよく言ったもので、あっち行ったり、こっち行ったり、『自己自身が未確認』であれば『ふわふわ』と

  浮いていうる状態そのものが凡夫の我々自身の姿ではないだろうか。

  一度しっかり『坐』という『UFO』に乗り込んで、『無の真空』を飛んで、円盤内を観た時『坐』の字を観るだろう。

  自分の『自我』に対峙して坐っているもう一人の『無我』自分がいることに気づく。

  『坐』の字の『人』二人は、自己であり他己である『自他不二』を表し、坐という安らぎ『涅槃寂静』を観るだろう。

 

        

          郷里の『郷』の字も人が二人向かい会っている・・・『坐』もまたしかり

             

  

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿