自身の出生を考えたとき、『バラバラ家族』出身で、『先祖供養』という意味での『彼岸』という言葉と出会う事なしに大人になってしまった。
北海道という屯田兵による新開拓の地であれば、そういった土着・伝統色が本州と比べると希薄なことも理由であったのかもしれない。
(我が故郷の『北海道開拓史』についてまったく無知であったが、今後はインターネットで探究の道も開かれ、勉強してみょうと思う… )
テレビや映画ドラマではない次元で『彼岸』という言葉に出会ったのは、般若心経を理解しようと仏教書に向き合った時、『般若波羅蜜多』が
『般若智である彼岸への到達』・・・つまり『般若智の完成』の意味での『彼岸』であるという事を知って『へ〜っ』と思ったのが最初であった。
『彼岸』が『先祖供養』で、『彼岸花』が『曼珠沙華』という風に何時の頃からか変化してしまったが
『彼岸』が『悟りの岸』という人間の目標であり、『彼岸花』が聖観音菩薩が持っている『蓮華』で『拈華微笑』の華で
それは『仏』の最大の『悲願』が人々の『悟りの華を咲かす事』であることの象徴・・・であると、仏教本来の真意に立ち戻る運動になるべきだろう。
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