ボクの様な 撮心を 旨とする チマタ・スナップ派写真家にとって、 約20年の歳月を竜宮城ですごした写真家にとって、 この現代というデジタル時代は
写真界に画期的変化をもたらした代わりに 肖像権という 重いオモリの足かせを 写真家に課した時代といえる。
ボクが写真を始めた40年前は 街中で誰かの写真を撮っても 発表しても 何の問題もなかったけれど 今は被写体の許可を承諾が 無ければコンテストに
しても 受け入れギャラリーにしても 発表できない・・・という。
ブレッソンや ロバート・フランク みたいな写真、 それとフランスでもっとも愛されている写真家 ロベルト・ドアノー「路上のキッスの写真で有名」
なんかも 今や夢の夢・・・となるのだろうか?
写真家の良心というものは パパラッチみたいな者によって 尊重されることは 無くなってしまったのか?
確かに 猫も杓子も デジカメ、携帯カメなんかで 何でもかんでもバチバチ撮って ネットにバンバン UPする時代であれば 肖像権で自己を保護する
権利を主張することは 十分わかる。
肖像権か 創造権か どこで その一線を 引くのか・・・それが問題だ。 活き活きとした人間を撮る、撮りたい写真家にとって。
ボクは 自分が美しいと思ったもの 感動したもの ホノボノとするもの 逞しい生命力あふれたもの なんかを 自由に 必撮するつもりだ。
写真界に画期的変化をもたらした代わりに 肖像権という 重いオモリの足かせを 写真家に課した時代といえる。
ボクが写真を始めた40年前は 街中で誰かの写真を撮っても 発表しても 何の問題もなかったけれど 今は被写体の許可を承諾が 無ければコンテストに
しても 受け入れギャラリーにしても 発表できない・・・という。
ブレッソンや ロバート・フランク みたいな写真、 それとフランスでもっとも愛されている写真家 ロベルト・ドアノー「路上のキッスの写真で有名」
なんかも 今や夢の夢・・・となるのだろうか?
写真家の良心というものは パパラッチみたいな者によって 尊重されることは 無くなってしまったのか?
確かに 猫も杓子も デジカメ、携帯カメなんかで 何でもかんでもバチバチ撮って ネットにバンバン UPする時代であれば 肖像権で自己を保護する
権利を主張することは 十分わかる。
肖像権か 創造権か どこで その一線を 引くのか・・・それが問題だ。 活き活きとした人間を撮る、撮りたい写真家にとって。
ボクは 自分が美しいと思ったもの 感動したもの ホノボノとするもの 逞しい生命力あふれたもの なんかを 自由に 必撮するつもりだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます