拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 俳号 “ 一撮 ” 誕生

2011年07月21日 | 必撮無眼流
  そばだてる 猫の耳にも 届きしや
         
        梅の香 運ぶ 風の便りよ   一撮 (2005年作)

           

  今日、その昔(4,5年前)日本在住のフランス人作家 ゾペッティさんから 「処分するので、よかったらどうぞ・・・」
  と頂いた本の中の一冊「芭蕉の詩想」山本唯一著 の本をひもとくと、裏表紙にボクが6年前に書いたこの和歌があった。
   (・・・こう書くとカッコいいが 引越し屋の役得ってもんで・・・)

 だいたい、和歌とか俳句とか 一切関係ない人生を歩んできたので この6年前の和歌だかなんだかわからない一句を
 その出来の良し悪しは 別として 七・五調で 詠んでいた自分に 結構驚く。

 というのは、一週間ぐらい前 このブログでも宣言したように、ツイッターでもって俳句を詠み
 始めたところ 出だしこそ モタツイたが 一度弾みがつくと 語呂ゴロ、ごろ頃、
 拙い一句(ツイッター)が 出てくる出てくる。 仕事してる間も(内緒!)ふと一句、
 トイレに行っては ふと一句、電車に乗っては ふと一句・・・といった具合。

 自分は「視覚的人間」であり 言語を介した 「文学的人間」では無いと ハッキリ認識
 していたのであるから、自分でも意外や意外、さぁ~お立会い、お立会い、、、とこんな調子で
 たった一人で調子にのってしまう自分がいるのだ。昔、子供の時見た映画なんかがよみがえって
 いろんな口調なんかが 脳天に登ってくるようだ。この俳句という 5・7・5の制限が
 脳の活性に 凄くイイのじゃないだろうか。 ボクは数独には全く興味無いけど
 やっぱ 文系かいなボクは。 言葉による写真のような俳句を目指すので 俳号を ”一撮”とした。

  今日の自称「傑作」エヘン! では・・・  (電)車窓には マトリックス状に 雨しずく
                                       一撮
  これって 映画マトリックス フアンでないと その良さが 解らないかも。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿