ちょうど一週間前、9月8日(土曜)テニスUSオープン女子決勝があって大坂ナオミが
セレナ・ウイリアムに勝った。ボクは大坂選手の準決勝の試合をたまたま見て、去年準優勝したという選手とのスリリングな対戦をみて、こりゃ明日の決勝は絶対見たい…
と思った。なにせ対戦相手は動きにスピードがあって、ちょっと油断するとすぐに逆転する勢いがあったが、それを無難に抑えて決勝進出を決めた大坂ナオミという聞いたこともないアメリカ育ちの日本人選手に何か底抜けの力を感じたのだ。
セレナ・ウイリアムとの決勝戦はスペシャルな雰囲気の中で終わり、大坂ナオミ選手二十歳の魅力が逆に大きく引き出された形であったとボクは思う。
翌日から今日まで『大坂ナオミ』の名はまさに世界中にひろがったであろう。
日本での試合があるとかで、現在日本に滞在中で、それをマスコミが放っておくわけがあらず、あちこちでインタビューを受けているようだ。
そこで問題とまでは言えないが、彼女が日本人の母親とハイチ生まれのアメリカ人を父に持つ、いわゆる『ハーフ』でアメリカ育ちの彼女は日本語もまだよく話せない…
それでも『日本人』と名のるところに抵抗を感じる人々もいるようなのだ。
確かに、単一民族の島国日本に住んでいると、我々日本人は外国人やハーフの立場にいる人が何故か気になることは間違いない。
ボクなんかもスイスに移住した当時、『ハーフ』の運命を背負ってきた人々にどんな宿命が待っているのだろうか、などとスイスと日本人の間に生まれた子供達を見るたびに自問したものだが、長年こちらに住んでいと『ハーフ』なんかは別に珍しくも何ともなく、2重3重、いやもっと複雑な血筋に生まれた人々が実に沢山いることを知ることになるのだ。
話を日本に戻すと、『ハーフ』という宿命に対する思いが二通りあるのだと思う。
一つはネガティブな見方、純血ではなく混血であること。
一つはポジティブで、混血することで心身両面で何かがパワーがアップすること。
ボクもじつは、江戸っ子の母と道産子の父の間に生まれた『ハーフ』であるが
それとは別に、ボクは赤ん坊のときに『育ての母』に育てられ、小学校にいくようになってから『生みの母』と『育ての母』の間を行ったり来たりして育っ運命にあったが
それは、親子の関係に『血のつながり』はどれほどのものか?とボクに思わせたのである。その結果が、『禅』や『国際結婚』なんかへとつながってきたような気がする。
『愛情』の元で育つことだけが大切なのであり、あとはどうでもいい…みたいな。
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