あそび心575

 酔生夢死を楽しみたいのですが、与命僅か。遺す未練も後生の楽しみ。 
 交心もらえるとハッピーです。 

【転載】 沖縄戦60年 この地獄を忘れまい

2005-06-23 09:54:00 | 時事問題
GET考える力! DO IT !学びの楽しみ!
現代社会 指定レポート NO・0518号
 050623   組  番 名前            ♪

沖縄戦60年 この地獄を忘れまい

 23日は沖縄の「慰霊の日」である。太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的な抵抗が終わった日とされている。
 あれから60年たつ。当時5歳以上だった人に戦争の記憶があるとするならば、その世代はいまや1割になった。だからこそ、この悲惨な戦闘を後の世代に伝えていかなければならない。そんな努力がつづいている。
 沖縄県宜野湾市の佐喜真美術館は、三方を米軍普天間飛行場の金網に囲まれている。軍用地の地主だった佐喜真道夫さん(59)が再契約を拒んで土地を取り戻し、飛行場を削り取る形で建てた。
 「1発の爆弾で、半径700メートル以内の住宅がすべて吹っ飛んだ。そんなのが1坪に4発も落ちてきた。この展示室は44坪あるので、176発が落ちたことになる」。沖縄戦を描いた絵を背に、佐喜真さんは体験者から聞いて歩いた膨大な言葉を入場者に伝えていく。
 沖縄は本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた。日本軍は住民を戦場に根こそぎ動員した。男性は子どもや老人までが防衛隊に駆り出され、女子生徒は看護隊に組み込まれた。
 米軍は地形が変わるほど、空爆や砲撃を繰り返した。軍隊と住民が混在する島で、米軍が「ありったけの地獄」と呼んだ激しい戦闘が3カ月に及んだ。
 亡くなった二十数万人のうち、住民の犠牲者が本土からやって来た兵士を大きく上回る。それが沖縄戦だった。
 住民の悲劇は、敵の米軍によってもたらされただけではない。

 ガマと呼ばれる洞穴に逃げ込んでいた住民が、敗走してきた日本軍に追い出され、砲弾の下をさまよった。
 日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告していた。実際に、米軍に連れ去られて帰された少年と農民が日本兵に殺されるなど、スパイとみなされる住民が相次いだ。
 そんな中で、米軍が上陸した慶良間列島などでは、追いつめられて肉親同士が殺し合う「集団死」が起きた。慶良間列島だけで犠牲者は700人にのぼる。
 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(76)はその生き証人だ。母親と妹、弟の命を奪った。
 「『鬼畜米英』によって耳や鼻をそぎおとされ、女の人は辱めを受けると信じ込まされていた。それよりは、自らの手で愛する者の命を絶つことがせめてもの慰めという心理状況に追いやられた」
 この世の地獄というほかない。
 佐喜真美術館には年間5万5千人が訪れる。うち4万人が本土からの修学旅行の子どもたちだ。
 美術館の屋上に上がれば、普天間飛行場での大型ヘリの離着陸を目の当たりにする。過去の戦争に重なり合うように、現代の戦争がそこにはある。
 60年前に、沖縄で何があったのか。それを知ることは、現代の戦争を考えるうえでも、決してむだにはなるまい。
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