好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

いっしょに捨てようよ♪♪♪ 答を! 

2007-09-24 15:56:10 | パラダイムレボリューション







★ いっしょに捨てようよ♪♪♪ 00801

――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――

答を

――☆★☆―――――――――――――――☆★☆――

いっしょに捨てようよ♪♪♪  

何を?

答を。


答を求めないと、

それぞれの良さが見えてくるよ。







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★★★ 『 古い時も、蘇る時も、重なり合って・・・ 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 6001
♪♪♪  

★★★ 『 知る努力伝える勇気花木槿 』
♪♪♪  

★★★ 『 つながり合うから人間なんだよ 』
♪♪♪   
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 飛ぶ汝れを蓮の台に掬いたし ★ UFOを見た!   

2006-09-25 09:57:13 | パラダイムレボリューション



 未知恵 。。。≪ ・・・・・ ≫

 老仁 。。。≪ 飛ぶ汝れを蓮の台に掬いたし・・・
 あぁ、やっぱり自在ですよね、未知恵さん。空翔る蓮の台のUFOはすばらしい夢を運んでくれますね・・・ ≫

 未知恵 。。。≪ ≫

 老仁 。。。≪ ええええええええええっ・・・さすがだ!!お話聞かせてくださいよ。目撃者から直接聞くの初めてですよ。お願いします。 ≫

 未知恵 。。。≪ ≫

 老仁 。。。≪ UFOは純真な心にしか現れないんですよ。老仁はその存在を信じ、一度遭遇したいと念じ続けてきたのに会えません。動機不純で読み取られているんでしょうか・・・ ≫ 

 老仁 。。。 ≪ 二度目は????? ≫

 未知恵 。。。≪  ≫

 老仁 。。。≪ そうか、気づかないだけなんだろうか・・・やっぱり、不純な動機の前には現れないような気がする。20万人のうち何人に見えたんでしょうね・・・ ≫ 

 未知恵 。。。≪ ≫

 老仁 。。。≪ ということは未知恵さんと息子さんは陶酔も雑念もなく、虚ろに空を眺めていたわけですよね・・・。虚ろな空に夢を求めていたのでしょうか・・・その夢とUFOがシンクロすることってありえますよね・・・そんな遭遇体験したいですよ。・・・けれど、未知恵さん、三度目は拉致されないように注意していてくださいね・・・ ≫






『 飛ぶ汝れを蓮の台に掬いたし 』
 




『宇宙が好き』との巡り会い・・・

2005-08-07 13:46:21 | パラダイムレボリューション
 好奇心全開! 夏休みに入って、BLOGサーフィンを楽しんでいます。あらゆる分野に挑戦するつもりです。
 今日は上兼さんの『宇宙が好き』へ訪問して、グループに参加させてもらいました。
 愚仁も 『パラダイムレボリューション』 をテーマに新しい世界の探求をするつもりでしたがずっと頓挫したままになっていました。『宇宙が好き』との出会いを契機に、また、パラダイムレボリューションのテーマとつきあっていこうかなぁ・・・と好奇心が拡大しつつあります。

≪★  はじめまして、青柳仁といいます。 05/08/07 13:25
 
 BLOGサーフィンしていて 『宇宙が好き』 へたどり着きました。
 仁も宇宙大好き仁です。時々宇宙仁になったりしますけれど、本来的に無知なので忍術が効きません。
 ここで宇宙人さんとコンタクトが取れて、つき合い方のスタンスとスキルを学べたらいいなぁと願っています。無知を晒し続けるかもしれませんが、好奇心旺盛で、順応無碍を長所に生きてきましたので、普通には参加できるよう成長するつもりです。
 よろしくお願いします。
 『たくさんの・・・』・・・もう出会いのはじめから、すごいテーマですが、驚きません。宇宙人さんのイメージがもう馴染んできたように感じています。楽しいですね。≫

初心に返れ 老子第40章

2005-03-13 14:53:07 | パラダイムレボリューション
初心に返れ

春が萌えいでて夏になり、
冬がまた春になるように、
生もまた燃焼し、元素に戻り、新しいものになるんだよ。 
人もまた青年期に生まれ変わり、
自己実現を果たし、嬰児に戻っていくんだよ。
季節は巡り、みどりに戻る。人も命に回帰する。
TAOな人はいつだって初心に戻るんだよ。

初心に戻るTAOな人は、
赤子のように、肌も心も柔らかいよ。
ちょっと傷ついても壊れそうに繊細だけど、
傷ついても壊れても、再生する力は水のようにしなやかなんだ。
TAOは宇宙の始まり、いのちの始まりだから、
はじまりの柔らかさがTAOな人の生きる力なのさ。

この世の全てのものは一から始まるけれど、
この私もやっぱりこの私から始まったんだ。
一は無から誕生したように、
この私もまた私の中の無から誕生するんだよ。
私の中の無というのはね、宇宙のように広大無辺で、
孫悟空のように変幻自在なんだよ。
夢見る力が無の力だから、いつだって新しい人を創造できるんだ。

 『老仁のTAO 第40章』へどうぞ!

老子的パラダイムへの接近

2005-03-12 22:15:04 | パラダイムレボリューション
 はじめに

 <学を絶てば憂いなし>とは強烈なフレーズです。逆説なのでしょうか・・・。
 <柔よく剛を制す>の理解のされ方を考えると、順説と理解する方がいいようです。
 古来学問の道は、東洋的にみれば、「孔子的世界」の追求と成就を志向してきたと考えられます。いわば「現実路線」です。西洋的にみれば、「アリストテレス的世界」の追求と成就を志向してきたと考えられます。いわば「科学する世界」です。唯物論の世界と括ってもいいのでしょうか。
 この学問の道のパラダイムに対峙して、東洋的にみれば、「老子的世界」の受容がありました。孔子がついに受容できず、恐怖した世界です。「孔子的世界」の破壊ないしは自己否定の廃墟に成り立つ世界です。けれどそれは宇宙の根源的成り立ちに重なる世界だと把握されてきました。西洋的にみれば、「プラトン的世界」の想起があります。プラトンが「イデア」という言葉で開示しようとしたものが何であるのか、量子論からのアクセスが期待されます。
 「老子的世界」のパラダイムで「教育」の在り様について考えてみたいと思います。
 

 
 1・教育の責務

 第19章は例によって「治政の書」風に書かれています。そして「治政」の原則は「見素抱樸、少私寡欲」にあると説いています。この治政の原則に依拠しない「三悪」を老子は例示します。つまり「聖と智」、「仁と義」、「巧と利」です。この「三悪」を棄てて、本性を自覚させれば、人民は幸せに暮らせると説いています。
 教育に関わって、この意味を考えると、「本性を自覚させる」のが教育の根本だということでしょう。
 教育の現在を「荒廃」と危機的に捉えた文部省は、教育理念のパラダイムを大転換しました。
 すなわち<生きる力>と<ゆとり>をキーワードとするいのちの価値の創造を提唱しました。
 世界の現在を「破滅」と危機的に捉えた国連は、「国連人権教育の10年」を全世界に発信しました。(1995年)。



 2・世界の現在

 はじめに、でみたように、学問の道はひたすら「孔子的世界」の追求と成就を志向してきました。
 つまりは、老子のいう「三悪」の追求です。「人間的な、あまりに人間的な」現実路線としての「立身出世」コースを謳歌礼賛してきたのでした。その頂点に「軍産学共同戦略」がヘゲモニーを握っていました。米ソ冷戦時代の科学の躍進と悪魔支配ともいうべき核戦略構造は依然として「破滅」を増殖させています。


 3・<道>に立つ

 新しく教育理念の根幹に据えられた<生きる力>をどこに求めればいいのでしょうか。
 老子のいう<本性を自覚する>というのはどういうことでしょうか。
 結論を先にいえば、「老子的世界の受容」という<道>を歩き始めることでしょう。


 4・気づく

 <生きる力>は「教えて」「与えられる」ものではありません。
 <生きる力>は、自分の中に<生きる力がある>と気づくことから始まります。
 その<気づき>は<生きる力>を実際に生きている人との<出会い>によって成り立ちます。


 5・創造の主体

 <出会い>が教育の成り立ちの始まりであり、根本であるということについて考える必要があるでしょう。
 「知識」と「技能」は「教える」ことのできるものですが、そして「経過」も「結果」も目に見えるものですが、<生きる力>は「教える」ことのできないものです。そして「経過」も「結果」も目に見えるものではありません。
 <生きる力>は<共に生きる>ことによって<共に育つ>ものなのです。
 <生きる力>は共生・共育の中で自ずから創造されていくものです。
 人間は自己自身を創造していくものなのです。


 6・相互変革

 教育が「功利」追求の手段となり、教育の真の目的が見失われてきたことを、深く反省する時期が到来していると考える必要があります。教育においても新しいパラダイムの創造が世界の潮流となっています。
 教師として、教育者として、この新しいパラダイム創造に参画していく意志と主体性の確立が、今、個人に課された焦眉の課題ではないでしょうか。
 教師が変われば学校が変わる。
 学校が変われば生徒が変わる。


 7・己を知る

 「学を棄てれば憂いなし」は、功利追求の手段と化した教育状況を放棄して、教育の真の目的を成就する教育状況を創造しなさい、という戒めとして理解したいと思います。
 「自知者、明也」と『老子』第33章にあります。教育の真の目的は<己を知る>ことにあります。
 「自勝者、強也」と続きます。<己を知る>ことは同時に<己に克つ>ことなのです。
 古来、とりわけソクラテスによって、<汝自身を知れ>が教育の目的とされてきました。
 <私>の中に全てが存在します。
 <私>の中に<道>が存在します。
 <道>が<全て>です。 
 <道>に戻れば<知足>の豊かな世界が開かれます。


 おわりに

 <生きる力>を「聖と智」、「仁と義」、「巧と利」に求めることを棄てて、「見素抱樸」、「少私寡欲」ことに求めることが教育の根本理念となる日が来ることを切望しています。
                      


 と、とても真面目な文章を、珍しく書いてみました。
 といっても、冗談ではありません。やはり真面目なTAOの基本的なテーマなんです。
 これほど真面目で、根源的なテーマはないでしょう。
 これからこの基本テーマに沿って、遊びながら、TAOに迫っていきたいと思います。

 『老仁のTAO』へどうぞ!

つながれ、新星子のこころ

2005-03-08 13:18:03 | パラダイムレボリューション
 今日授業で生徒たちに<新星子コンミューンのこころ>を『なしかね?』通信にして、メッセージを発信しました。明日から入試で、おそらくこのクラスは最後の授業になるはずでしたから、1年間を振り返って、最後のメッセージを送ったのでした。
 何人かがノートに感想を書いてくれました。


 新しい人になろう by 樹優     
 人とは、人と人はつながっている。
 星の子→新しい星の子→新星子コンミューン
 シンクロニシティ→共時性・・・時間を共有すること
 心はどっかでつながっている!!!

 あたしも、誰かのことをすっごく思ってて、それでメールしてみると、その人からも同時にメールがくることがよくある!!やっぱりシンクロニシティがあるんだね☆なんかすごいと思う。科学的にはよくわからんけど、科学的にはわからない何かがあるってすごい。人間ってすごいと思う。自分にもこんな力があるなんて・・・。きっと、お母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、ひい×1000おばあちゃん・・・ってずっとたどっていくと、世界中の人は、みんな血がつながっているんだと思う。だから、「他人」なんていないはず。世界中の人はみんな家族!!
 早くみんながそれに気づいて、よく考えてみれば、戦争なんて起こらない。殺していい人なんていない。無知は差別、無知は人殺しっていう言葉の意味が、今日の授業で、すっごくわかった。毎日が学習。無駄な時間なんてないはず。だから、毎日、毎日、新しい自分になりたい。明日は、今日の自分よりも素晴らしい自分になっているといいな。
 ありがとう、仁。仁も家族だよね♪
 自分の力は∞(無限大)。

  『新星子コンミューンのこころ』 へどうぞ!

老仁のTAO 第15章 <新しい人>はいつだって自分の中にいるよ

2005-03-06 13:08:53 | パラダイムレボリューション
 『TAO 第15章 顕徳』

 春雷に呼び覚まされた愚仁の中の<新しい人>を思っていると、祥造さんのTAOの言葉が浮かんで、雪のように踊り始めました。仁もつられて、雪になり、雪と一緒に踊ってみました。雪のように小さくなって、雪の結晶さんたちの虹色の舞いを見ながら、自分も雪の結晶のように舞っているのでした。音楽や芸術と無縁に生きてきた愚仁ですが、なにやらコスミックなリズムを体感しているような気がします。
 その後で、祥造さんのTAO第15章を読んでいたら、自ずから言葉さんたちが湧いてきて、踊るようにメッセージを発信しています。おもしろいんで、それを記述してみました。記述が追いつきませんでしたけれど、そのメッセージはもっとシンプルで、おっとなるほどと感心していたのですけれど、記述の段階で、愚仁の解説に変わってしまうようで、ちょっとがっかり、色あせてしまいましたが、紹介してみます。


昔からたくさんのTAOと友達になった人がいるけれど、
その人たちはちょっと風変わりで、人生の達人と呼んでもいいよ。
見た目は隣のおっちゃんだけど、
あるいは無邪気に山野で遊びまわっている子どものようだけど、
つき合ってみると、奥が深いんだ。
どこまで行っても先が見えないくらい大きいよ。
達人さんたちの世界は銀河のようなものだね。

そんな大きな人たちが昔も今もたくさんいるんだよ。
あんまり大きすぎて、あんまり深すぎて、つかみとることはできないけれど、
あえてこんな人だよとイメージできるように例えてみるようね。
TAOと友達な人を「TAOな人」と呼ぶことにしてみよう。
「TAOな人」はあなたの中にもちゃんといるんだ。
不器用で、ナイーブだけど、
空気のように気づかないことが多いけれどね・・・

TAOな人は、まず、目立ったことはしないね。
人の後ろからついて行くんだ。
だから、自分がどうすればいいかよく見えている。
要するに、慎重なんだ。いいかえれば、よく学ぶ人なんだ。
自分がどこにいるかよく知っているし、
自分の周りのことをよく知っているから、
危険な冬の川を渡ることだって、普通に、できるんだよ。

人と交わる時でも、世間とつき合う時でも、
いつも知らない森の中を歩く時のように、
一歩一歩、確かめながら、進んでいくんだよ。
トゲを踏んで怪我したり、毒虫に刺されて熱を出したり、
獣に襲われてひどい目に遭うのが恐いからね。
知ってるつもりにならないんだ。
信じているふりはしないんだ。 
 
どんな立場の人とでも同じスタンスでつき合うんだよ。
お偉いさんに媚びたり、卑屈になったり、
弱い立場の人を蔑んだり、いじめたりしないんだ。
あるがまんまの自分のままで、
自分を大切にするように人を大切にするから、
心は乱れることもなく、心は驕ることもなく、
客人のように穏やかでいることができるんだ。

だからTAOな人とつき合っていると、
自分も、だんだん素直になって、
警戒心も緊張も、不安も欲も消えていくよ。
氷が溶けるように、
心のバリアが解けていくんだ。
拘りを消し去ってくれる人と時空を共にできると、
とてもハッピーになれるんだよ。

ほんと、TAOな人って素朴な人と呼び替えてもいいくらいだよ。
飾りっ気はなく、おしゃべりでもなく、
目立った才能をひけらかすわけでもない。
山から切り出した材木が、
荒削りのまま、無造作に放り出されている材木置き場の
材木の一つのようなものなんだ。
そんな材木あなたの中にあるでしょう。

荒削りの材木だから、何にでも創りだすことができるんだよ。
出会った人に合わせて、何にでもなるんだ。
そんな大きな心を持った人がTAOな人なんだ。
例えていえば、深い深い谷のようなものだ。
谷は宇宙の気の集まるところ、
地球の気の放射されるところ。
空即是色の人間劇場と呼んでもいいよ。

ともかくも、TAOの人には何でもありだね。
好きなものも嫌いなものも、美しいものも汚れたものも
ごったごったに自分の中にあるでしょう。
TAOな人は下流の濁った川の水のように、
流れ来るものは何でも受け入れる寛容な器なんだ。
何でも受け容れて、ごちゃごちゃ混沌としているけれど、
いつのまにかそれぞれが所を得て、清らかに澄んでいくのだ。

また、山河のように穏やかで、安定していて、
けれど自然の営みは休むことなく、
さまざまないのちを育み、天地を動かして調和を保つのだ。
そのようにTAOな人も穏やかに人の中にあって、
いのちとこころの深いところでつながっているから、
人と共に動き、人と共に苦しみ、人と共に喜び、
人と共に幸せを生みだしていくのだよ。

少しイメージできたかい?
TAOな人を自分の中に見つけることできたかい?
このようにTAOな人として生きていく人は
いつだって満足というものを求めようとしないものさ。
生々流転のエネルギーそのものだから、疲労さえ知らないんだよ。
いのちが新陳代謝するように、自分がボロボロに使い尽くされても、
そのボロボロのまんまでまた<新しい人>に生まれ変わっていけるんだよ。


木乃実さんのマスターへの道

2005-03-06 00:30:38 | パラダイムレボリューション
 <「真っ白な年、まだ未来は心(ここ)の中。素敵な未来を思い描くと、きっと素敵な未来が足音立てて遊びに来ますよね」って、いいフレーズですね。
アメリカのお医者さんでディーパック・チョプラという人がいるのですが、彼によれば、私たちは太陽と同じようにそれぞれ固有の光の波長を持っていて、心で思い描いていることが波となって現実の世界に波及して、その波長と同じ現実を引き寄せるらしいです>
 光の先輩さんたちのメッセージを読みとる力を得た木乃実さんがいて、読みとる力は共振だから、共振の中で波長が同じになっていくんでしょうね。光が波動であるように、愛もまた波動だから、光さんたちの愛は木乃実さんの愛となって生命を得ることになる。命を得た愛は波動としてあらゆるものに分け与えられるでしょう。波動は時に生きるエネルギーとなり、時には道しるべの言葉になり、時には愛のドラマになる。一つぶの滴は流れて、大河になり、大河は雲となって山に戻るんですね。降りては昇り、降りては昇り、多くの光さんたちが、星のように瞬き、太陽のように燃え、銀河のように広がっていきます。
 聖マリア病院で診察を待つ間、洞ののマリアさんを見ていました。雪が降りかかります。風に舞う雪さんたちが光さんに変わるような気さえします。変幻自在の舞いを幻想さえするのです。それらはみなマリアさんから解き放たれているような気もしました。マリアさんが佇んでいる洞は雪も届かず暗いのです。その暗さの中から波動が吹き出していて雪と光を舞わせているのでしょうか・・・。<天と地の出てきた神秘の門、あれを開いて、母と遊ぶことができるんだ>そういう思いをもちながら、祥造さんのTAO第10章を読んでいたんです。昨日、<もう先輩さんたちの言葉か木乃実さんの言葉か区別がつかないほどに木乃実さんは光さんたちの世界になじんでいた。どうしてこんな奇跡が起きるんだろう・・・。>と不思議に思っていました。でも、答はすごくシンプルだとわかりました。<われら心と肉体を持つものは、ひとたびタオの道につながれ、体と心は離れないようになる>。素直に戻れば玄の力が湧いてくる。直観で感じたように、セドナの旅が木乃実さんのバリアを解き放ってくれたので、木乃実さんは神秘の門をくぐることができたんでしょうね。玄の又玄。<ひとの玄(おく)にある深い力が、いちばんよく働く>ところに木乃実さんは行くことができたんだ。
 <やっとここまで来たね>、セドナの旅で木乃実さんを初めて迎えてくれた天の声です。そして、今、<「よく来たね。つらい思いをして、手放して、よく来た」>と迎えてくれる天の声があります。マスターになるには資格試験があるのかどうか愚仁は知りませんけれど、「よく来たね」はマスターの世界の市民権を獲得した人へのねぎらいの言葉なのではないでしょうか。・・・木乃実さんは、光の先輩さんたちのメッセンジャーなのではなく、光の先輩さんたちの仲間入りをしたひとりの光さんになったのでした。
 貫いて我を撃ちたる春の雷    仁
 遠くで轟く春雷が鈍く鈍く近づいてきて、足元に舞い始め、そして螺旋状に舞いあがって、脳天を駆け抜けていきました。外に目をやると洞のマリアさんに雪は同じように舞いかかっています。愚仁は木乃実さんというマスターに出会っているように感じました。
 数十日前、鈴音さんというTAOな人に出会い、弟子入り志願をして、鈴音さんから弟子入りを認めてもらったばかりです。二人の師を持つなんて不届きで、罰当たりなのでしょうけれど、学びの喜びはかけがえのないものですから、この喜びをあたえてくれる人は老仁にはかけがえのない師なのです。欲張りですけれど、もっともっと、たくさんの師に出会えるようにシンクロニシティの旅を続けたいと思います。シンクロニシティの旅はフローの旅と呼び替えてもいいのかなぁと思っています。

 『天からの声』 へどうぞ!

「永遠の舞い」ってなに?

2005-02-24 13:26:07 | パラダイムレボリューション
 <座っているときは、まるでそこにいないかのように平らかなのに、話しはじめると、まるで虹がかかったようにダイナミックになる人。瞑想しているときは年老いた賢者のように厳かなのに、踊っているときには無垢な赤ん坊のようにきらきらと笑う人>・・・そして、<チャーミングでセクシーでダイナミックで、幼子のように純粋で賢者のように荘厳な人。水晶のように透明で、光を反射すると虹色に輝く人>を木乃実さんの紹介してもらいました。木乃実さんが瞬時に好きになった人です。そんな人っているんですね。そんな人に出会えるのもやはり特権的な享受力を持ち合わせていないとだめなのでしょうね。木乃実さんがそんな人の出現を求めていたからその人が出現したと言ってもいいのかもしれません。<道のりは 短くても長くても/想うことで 可能性が広がる/何を望む/何を願う>と93MRさんが詠い、このフレーズを木乃実さんが好きになる。そして、木乃実さんは 「私もあんな50代になりたい!!」 と願う。命が連なり合って舞うのを感じます。一つひとつの命が自分自身でありながら、自分自身であることが命の連なりとして一つのハーモニー、一つの舞いを創りだしていく。共鳴・共振が舞いのモードなのかもしれません。そんなこと想っているとジーンさんエリオットの「永遠の舞い」を紹介してくれました。
 <回転する世界の中心に不動の点・・・肉もなく、肉ならぬものもない、来ることなく、向かうこともない
その中心に舞いあがる しかし、それは停止でもなく運動でもない、だから固定とは呼べない 過去と未来とが一つに集まるところ
そこから来ることも、そこに向かうこともない
上昇もなく、下降もない ただ点、不動なる点・・・
そこに舞いはなく、そこにただ一つの舞いがある。

   (T・S・エリオット『四つの四重奏曲』「焼け果てしノートン」)

 エリオットの隠喩につづけていいますと、私たちは永遠なる舞いの一部分なのです。その舞いにとっては、私たちの上に、あるいは内に起こるようなものは何もありません。そしてその舞いそのものは永遠に、正確に、繰り返されています。その底には、私たちを含めた宇宙のすべてのものを一つにつなぐ原理が隠れています。

 『タオ こころの道しるべ』ジーン・シノダ・ボーレン著より (p29)>

 木乃実さんが<私もまた、新しい夢を想い描き始めました。大きな、大きな夢。それを実現するために宇宙を信頼すること>とコメントしているのを見ました。どんな「大きな夢」なんだろう、・・・もう好奇心全開です。ワクワクランドにましぐら。

TAOな人に会いに行く01

2005-02-14 20:44:08 | パラダイムレボリューション
 <何気なく開いた本のページに、探していた言葉を見つけて、はっとすることがある。
ほしいと思っていたものが、翌日に手に入って驚くことがある。行きたいと思っていた場所を思い浮かべた数日後に、そこに誘われて驚くこともある。宇宙はいつでも私を驚かし、私を喜ばせ、私を見るべきものへ、行くべき場所へ、会うべき人へと導いてくれる。
 さて、今日、私が出会ったのは、ひさしぶりに開いたネイティブ・アメリカンの教えの本。読んで、心がすっきり晴れた。この本には、混乱したエネルギーをひとつにまとめる力がある>と木乃実さんのいう「ネイティブ・アメリカンの教え」はアナログで大きい。こんな本を読んだり作ったりする人がつながっている人はきっと。TAOな人だろう。そう思って木乃実さんがつながっている人を渡り歩いてみることにした。うんんん、やっぱりすごい。おもしろい。
 <あたしの趣味のひとつに雑巾の狂い縫いというのがある。いらなくなった服を切って、ただあてもなく縫いつづけるのである。これをはじめたら、 なかなか止めることが出来ない。ついつい徹夜までしてしまう。アホらしくなってくるんだけど 、この雑巾の狂い縫いには不思議な魔力があって止めることが出来ない。出来ないというよりは許されないという感じにとても近い>という「雑巾の狂い縫い」の東京典子さんを尋ねた。この無駄ごとは確かにもうTAOな人だ。誰も真似ができないよ。だがとことんとことん、朝までだって狂い縫いをつづけるのだ。<あたしとミシンと、いらなくなった服の再生化にはきっと計ることの出来ない秘密がかくされている。そう!この雑巾の狂い縫いは世界平和に繋がっているかも知れない。どこかの誰かを知らず知らず助けているのかも知れない。ヒトの進化に役立っているかも知れない。誰にもわからない何かも戦いに必要なことかも知れない。本当のことなんて誰もわからない>・・・そうなんだ、と感じてしまう。
 典子さんの版画はトーンがステキでお気に入りになった。こんなステキな版画を創っている人が真夜中に平和を願って雑巾の狂い縫いを一心不乱に実行している。もうTAOな人の典型ですね。典子さんの版画のブルーにも魔力が潜んでいる。