もはや高齢の域に入った私だが、未だに”シェイプ“にはこだわりがある。
52歳で他界した父が、肥満で病気持ちだったことが、反面教師的に私に影響を及ぼしたと思う。
札幌は、昨日あたりから気温がガクンと下がり、今朝は20度と肌寒いほどだった。走るのに快適な気温の中、週に一度のジョギングをした。
週に一度走るだけだが、適度に筋肉も付き、きっと脂肪も汗となって減っている。たった30分ほどのゆる~いジョギングだが、それでも走った後では体脂肪率が1パーセントほど減っている。
私の人生の中で、今、過去一スタイルが良い。ああ、これが10代から20代の時に獲得できていればなあ。私の人生も違ったものになっていたのではないだろうか。
スタイルが良いと書いたけれど、「私の歴史の中で」ということで、相対的なものではない。むしろ、私は骨の形からして、ブサイクなのだ。
子供の頃からスポーツが好きだった私は、小学校の高学年の時、クラスで行なった肺活量の測定で女子で一番数値が高かった。後にその理由を骨の形で知ることになった。
30歳前後のことだったと思うが、社内の健康診断で聴診器による診察を待っていた時のこと。
私を含めた女性社員は、行列を作り診察を待っていた。一人また一人と診察が終わっていくごとに、ゆっくりと歩を進める。
壁際には、何故か女性社員の写真サイズのレントゲン写真が名前入りで貼られていた。
手持ち無沙汰にレントゲン写真を眺めていると、社内でマネキンのようにスタイルの良いSさんの写真があった。
あばら骨の形が上から下に下るに連れてしぼられ、美しい逆三角形になっていく。映画「風と共に去りぬ」に出てくるヴィヴィアン・リーのボディーを締め上げるあのコルセットと同じ形。
当たり前のことだが、スタイルは基本骨格なのだ。
自分の写真もあったが、ひどい骨格に愕然とした。あばら骨の形がビア樽と同じ形だった。
小学生の時の最高数値の肺活量は、このビア樽の中で、肺が思う存分膨らんだ結果なのだろうと思う。
10代から30代の頃に私を悩ませたのは、大きなお尻と太い足だった。
母はスカートを私に履かせたがったが、私はジーパンばかり履いていた。
上半身は普通のサイズなのに下半身はLサイズというアンバランスな体型。ジーパンのサイズはエドウィンの31インチ。足とお尻はピッチピチなのに、ウエストはブカブカだった。
それが今では下半身もやっと普通サイズに近づいた。それが嬉しい。
ただ、残念ながら一箇所だけ脂肪が落ちないところがある。ポッコリお腹である。若い頃にはペッタンコだったのに。
このポッコリは、走っただけでは燃焼しないシブトイ脂肪。ここさえ攻略すれば完璧なのだが…。
出来れば楽をして脂肪を減らしたい。
そこで、大昔母が試みて挫折した「脂肪もみだし方」をやってみることにしたのだ。
方法は至極簡単。余分なお腹のお肉を両手でつかんでニギニギするだけだ。テレビドラマを見ながらでも出来る。たったこれだけのことだが、効果は直ぐに表れた。
これまで両手の中にしっかりあったお腹のお肉が、とても柔らかなフワフワな状態に変化したのだ。
副産物的にお腹の表面にあった醜い段差も無くなり、見た目がややなめらかに、見苦しくない程度になった。
ポッコリも以前よりは若干凹んだような気もする。ここまで来たら少し腹筋運動をして、脂肪退治を加速したくなった。
リンパの流れを良くするのも良い様なので、お風呂の時に簡単なリンパマッサージをし、数日前から、レッグレイズを軽く寝る前にやり始めた。
その結果が楽しみだ。
勉強のように頭脳を鍛えることは苦手だが、目に見えて効果の出る肉体改造は楽しい。思い通りの結果が出れば万々歳だ。
いくつになっても、身体を鍛えれば結果が出るのは、松平健さんがライザッ◯のCMで証明している。忘れてはならない人もいた。私が子供の頃大人気だった大村崑さんが、ほとんど変わらない姿でCMに出た時はビックリ仰天した。現在91歳だそうだ。素晴らしい。
シニアの先輩たちに勇気づけられながら、お金をかけず、ゆる~く気になるところをシェイプアップして楽しむのだ。
継続は力なり。