数年ぶりに会った友人や知人から、会った瞬間に「全然変わらないね」と、言われる事がある。
お世辞かもしれないけれど、そんな時は「いやいや、シミとかシワとかすっごい増えているから〜」などと言いつつ、私は内心ちょっと嬉しい。
高齢者と呼ばれる年になったけれど、出来るだけ昔と変わらない外見でいたい。だから、ささやかな努力はしている。
白髪を染める。足腰が弱らないよう毎日ウォーキングをし、週に1回はジョギングもする。メイクは昔から、ナチュラルメイクだから、それは変わらず。服装も服自体をあまり買わないし、昔から持っているものを着ているから、これもあまり変わらない。もしかしたら「全然変わらないね」は、洋服の効果が一番大きいかも知れない。破れるまで着る主義だから。
とりわけ気を付けているのは、姿勢だ。曲がった背中や腰こそが、最も老人らしく見えてしまうから。
無職だから自宅で過ごす事が多い。ほぼ緊張を強いられる事など無い日常。常にリラックスし、脱力して過ごしていると、姿勢をくずしっぱなしの状態が続く。
“姿勢を正す”事を意識的にしないと、高齢者の背中は曲がりやすいのだ。脱力したまま楽な姿勢を取っていると、きっとその姿勢で固まってしまう、と私は危機感を覚える。
食事時は特に姿勢を正す良いチャンス。簡素な食事でも、晩餐会に臨んでいるかのごとく、優雅に背筋を伸ばし食事を味わう。それがたとえ納豆とタクアンであったとしても。
好きなドラマを観る時も、新聞を読む時も、時折思い出しては、お腹を引っ込め背筋を伸ばす。
人はいつしか年老いる。私は若い頃から老人になる事に怯えていた。だから、テレビなどで、年齢より若々しく見えるお年寄りの言動を見聞きして、来たるべき日に備えていた。若々しく見えるお年寄りは、みな姿勢が良い。姿勢が良いから若々しく見えるとも言える。
姿勢を正すことに関して、これまで出会ったもので参考にしている事がいくつかある。
姿勢の良いお年寄りの言葉でよく聞くのが、
「頭の上に1本紐が付いていて、それをピンと張った状態に保つ事」。イメージしやすい言葉で、説得力がある。
また、数年前に知ったのが、座っている時に「骨盤にある仙骨を立てる」というのもわかりやすい言葉だ。
「仙骨」が何で、どこにあるか知らない人にはチンプンカンプンかもしれないが、骨盤の図解を見ながら位置を正してみると、きっとなるほどと理解できると思う。一度やってみて欲しい。
つい最近では、「胸骨を持ち上げるように」という表現をテレビで耳にし、具体的でわかりやすいので、歩いている時に思い出しては実行している。
こんな風に、背骨の方にばかりシフトしていた私は、最近別の部分が大きく変化している事に気付いて、ショックを受けた。それは背骨の下につながるお尻である。
近頃、椅子に座るとお尻が痛くなる事がたびたびあり、Gパンの“はき心地”もお尻のあたりが何だかいつもと違うなあ、と感じていた。それで、洗面台の大きな鏡に体側を映してみたら…そこにあるべき“突き出たお尻”が無かったのである。
そんなに痩せた訳でもないのに、あの、かつては走るとユサユサ揺れた、♫ブリンバンバン、ブリンバンバン、ブリンバンバンボン♪の豊満なお尻が…無い。
若い頃には、この突き出たお尻さえなければどんなに良いだろうと思っていた。あれほど忌み嫌っていたお尻なのに、不思議なもので、あるべきものがそこに無いと、言いようの無い寂しさを感じる。まるで長年付き合った相棒を失ったような気分だ。
変わってそこにあるのは、見慣れない、実に“お婆さんらしいお尻”。風船が萎んでしまった様だ。
週に一度のジョギングも、大殿筋の発達には全く関与しない事が判明した瞬間でもあった。
私のお尻はシニアモデルにトランスフォームしていた。近年最大の肉体的変化だ。
あの自己主張の強かった私のお尻は、若さの象徴でもあったのだなあと、今しみじみと思う。
乙女の敵であった“脂肪は”、枯れゆく我が身にとって、今や愛しい存在ですらある。